報道(県警は発表)によればこの年の奈良県内初詣客が220万人にも達したという。
大晦日から正月三が日にかけての県内にある主な五つの寺社仏閣でのことだ。
最多は橿原神宮でおよそ87万人。
次いで春日大社が50万人で大神神社は48万人だった。
お寺では生駒の宝山寺では25万人、次いで信貴山朝護孫子寺が8万人ほどだったといい、お寺よりも神社が上回っている。
5社寺を合わせた数では約12万人も増えたそうだ。
このように電車や車で出かける人は相当な数になる。
大量輸送が発達していなかった時代。
移動する手段が足しかなかった頃はどうだったのだろうか。
そんな光景とかけ離れた様相を醸し出す地元の氏神さんの初詣。
産土神へ参る人の数は集計されるはずもない。
年末に聞いていた大和郡山市小林町ではどうなのだろうか。
簾型の注連縄を飾って参拝者を待つ杵築神社のトーヤ(当屋)。
右座と左座からなる二人のトーヤだ。
境内でとんどを焚いて村人たちを待っていた。
冷え込む元日であったがとんどの火は暖かい。
とんどにはマメガラが用いられる。
一年がマメになりますようにと残しておいたマメガラに村の願いがある。
一人、二人と参拝者がやってきた。
お参りする人たちは俄かこしらえのさい銭箱に入れて手を合わせる。
鳥居に掛けられた簾型の注連縄は年末の28日にトーヤが掛けられたものだ。
「参拝済んだらお神酒やで」と座を待つことなく振舞っていく。
服忌の家ではお参りができないのだとSさんが年末に言っていたことを思いだす。
座の人らも何人かが参拝された。

その人たちは拝殿の左側に登った。
拝殿は氏神さんから見て左側が左座。
右側が右座と決まっているようだが正月は左側だけに集まった。
そうしてトーヤが差し出すお神酒をいただく。
正月の祝いの酒だという。
話によればかつて地主が左座だった。
その名残があるのか今でも権限をもっているのは左座だという。
左側にある狛犬には雨乞祈願の文字が見える。
いつの時代か刻印が読み取れなかったので判らないが當邑でも雨乞いがあった証しがここにある。
一方、とんどの火に暖まる人たちは元気がいい。
「三輪の火をもろうて正月の雑煮を炊く火にしたものだ」と話すHさん。
自宅の門に飾った注連縄飾りのユズリハに炊いたお米を数粒供えるという。
それは三が日も続けると話す。
村人は次々と初詣でに参られる。
とんどの周りは談笑で賑わうさなか境内北にある新福寺からお経を唱える響きが聞こえてきた。

家族など親近者が堂内にあがってご開帳された本尊に向かう年始のお勤めだと住職は話す。
お勤めを終えて村人とおめでとうさんのご挨拶。

マメガラの束を椅子替りにしていた婦人たちも思わず立って笑顔で談笑する。
しゃべる、はしゃぐ婦人たちの声はとても明るい。
座の人たちはそんな様子も知らずにお神酒をよばれている。
そのころやってきた家族連れ。

子供さんは正月らしい和服を着せてもらって参拝する。
「あんた可愛いなったね」の声に笑顔で応える女の子。
晴れの元日に着た和服姿に喜びを隠せない。
有名寺社では見られない光景が小林町にあった。
なんともいえない村の元旦風情を醸し出す
(H24. 1. 1 EOS40D撮影)
大晦日から正月三が日にかけての県内にある主な五つの寺社仏閣でのことだ。
最多は橿原神宮でおよそ87万人。
次いで春日大社が50万人で大神神社は48万人だった。
お寺では生駒の宝山寺では25万人、次いで信貴山朝護孫子寺が8万人ほどだったといい、お寺よりも神社が上回っている。
5社寺を合わせた数では約12万人も増えたそうだ。
このように電車や車で出かける人は相当な数になる。
大量輸送が発達していなかった時代。
移動する手段が足しかなかった頃はどうだったのだろうか。
そんな光景とかけ離れた様相を醸し出す地元の氏神さんの初詣。
産土神へ参る人の数は集計されるはずもない。
年末に聞いていた大和郡山市小林町ではどうなのだろうか。
簾型の注連縄を飾って参拝者を待つ杵築神社のトーヤ(当屋)。
右座と左座からなる二人のトーヤだ。
境内でとんどを焚いて村人たちを待っていた。
冷え込む元日であったがとんどの火は暖かい。
とんどにはマメガラが用いられる。
一年がマメになりますようにと残しておいたマメガラに村の願いがある。
一人、二人と参拝者がやってきた。
お参りする人たちは俄かこしらえのさい銭箱に入れて手を合わせる。
鳥居に掛けられた簾型の注連縄は年末の28日にトーヤが掛けられたものだ。
「参拝済んだらお神酒やで」と座を待つことなく振舞っていく。
服忌の家ではお参りができないのだとSさんが年末に言っていたことを思いだす。
座の人らも何人かが参拝された。

その人たちは拝殿の左側に登った。
拝殿は氏神さんから見て左側が左座。
右側が右座と決まっているようだが正月は左側だけに集まった。
そうしてトーヤが差し出すお神酒をいただく。
正月の祝いの酒だという。
話によればかつて地主が左座だった。
その名残があるのか今でも権限をもっているのは左座だという。
左側にある狛犬には雨乞祈願の文字が見える。
いつの時代か刻印が読み取れなかったので判らないが當邑でも雨乞いがあった証しがここにある。
一方、とんどの火に暖まる人たちは元気がいい。
「三輪の火をもろうて正月の雑煮を炊く火にしたものだ」と話すHさん。
自宅の門に飾った注連縄飾りのユズリハに炊いたお米を数粒供えるという。
それは三が日も続けると話す。
村人は次々と初詣でに参られる。
とんどの周りは談笑で賑わうさなか境内北にある新福寺からお経を唱える響きが聞こえてきた。

家族など親近者が堂内にあがってご開帳された本尊に向かう年始のお勤めだと住職は話す。
お勤めを終えて村人とおめでとうさんのご挨拶。

マメガラの束を椅子替りにしていた婦人たちも思わず立って笑顔で談笑する。
しゃべる、はしゃぐ婦人たちの声はとても明るい。
座の人たちはそんな様子も知らずにお神酒をよばれている。
そのころやってきた家族連れ。

子供さんは正月らしい和服を着せてもらって参拝する。
「あんた可愛いなったね」の声に笑顔で応える女の子。
晴れの元日に着た和服姿に喜びを隠せない。
有名寺社では見られない光景が小林町にあった。
なんともいえない村の元旦風情を醸し出す
(H24. 1. 1 EOS40D撮影)