頭を冷やす
耳を澄ます
あちこち冷まして
からだを澄ます
ことばに出番はない
出番を与えすぎだね
出入り禁止、およびでない
ことばがなんとかかんとか
本来とか、本質とか、真理とか、
偉っそうに、すっこんでなさい
なんも知らないのにかぎってあれこれ宣う
ほんとにかっこわるすぎるぜ、田吾作くん
きみも一緒にどう?
さあ、はじめようか
お絵描きの時間がはじまるよ
頭を冷やす
耳を澄ます
あちこち冷まして
からだを澄ます
ことばに出番はない
出番を与えすぎだね
出入り禁止、およびでない
ことばがなんとかかんとか
本来とか、本質とか、真理とか、
偉っそうに、すっこんでなさい
なんも知らないのにかぎってあれこれ宣う
ほんとにかっこわるすぎるぜ、田吾作くん
きみも一緒にどう?
さあ、はじめようか
お絵描きの時間がはじまるよ
斯う西洋の圧迫を受けている国民は、
頭に余裕がないから、碌な仕事はできない。
悉く切り詰めた教育で、
そうして目の廻る程こき使われているから、
揃って神経衰弱になっちまふ。
話をして見た給へ大抵は馬鹿だから。
自分の事と自分の今日の、只今の事より外に、何も考えやしない。
(代助『それから』)
牛になる事はどうしても必要です。
吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。
あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。根氣づくでお出でなさい。
世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、
火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。
それ丈です。决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。
相手はいくらでも後から後からと出て來ます。さうして吾々を惱ませます。
牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。
人間を押すのです。文士を押すのではありません。是から湯に入ります。
(「大正五年八月、芥川龍之介・久米正雄宛書簡」)