ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「石牟礼道子×見田宗介、往復書簡」20240721

2024-07-21 | 参照

 

 

 

「第四信 見田宗介 この生の海:七月二十六日」

死んでゆくものたちの目が最後に見ている景色というようなことを考えています。
『花をたてまつる』という御本の「いまわの花」という御文章では、
あの現代の非業の病に八つばかりでみまかってしまった少女が、
たぶん最後に見ることのできた花の色のことを記しておられます。
工場の排水の毒で目のみえなくなった少女が、
その春の日に縁側にまでいざりでて、首をもたげて母親にいう。

 なあ かかしゃん
 しゃくらのはなの
 咲いとるよう
 いつくしさよ なあ
 なあ しゃくらのはなの いつくさよう
 なあ かかしゃん しゃくらの はなの

母親は娘のひとみに見入って、「あれまだ……、この世が見えとったばいなぁ」と。
桜の時期になると、いつもこのことを語らずにはいなかった母親は、
ただ、この娘がこの生のうちにこの花を見てから死んだことだけを、
「よっぽどよかった」と思いなぐさめておられるのでした。
人にとって〈しゃくらのはな〉とは、何なのだろう。
この少女と母親の無念は、何によってもつぐなわれることのないものだけれど、
たとえばもう少しは長い年月を、ふつうに近く生きられた人間なら、
その景色を見た、ということだけで、自分の死と生を納得して
受け入れることのできるような、そういう景色というものがあるのだろうかと。

              (見田宗介『超高層のバベル 見田宗介対話集』)

 

 

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