ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

万歳突撃

2006-08-16 | 私見
 外国人ジャーナリストに広まっているジョークがある。
 沈没しかけた船では、最後に男性が救命艇に乗船するけど、最後に乗ることをクルーが説得すると きの言葉。
 米国人には「女性が見てらっしゃいます」。
 ドイツ人には「上からの命令です」。
 英国人には「女王陛下の名誉のために」。
 そして日本人には「みなさんそうしてらっしゃるようです」。
 ……公共性を実現するためにすら、いったん「みんながやっている」文化に内在する必要が出てく る。(宮台真司×宮崎哲弥『ニッポン問題』2003年インフォバーン)


 日本における「公共性」の範囲は、TPOに応じてあるいは応じることなく、自在に伸縮したり、飛び石的に次々に入れ替わったり、意図的にすり替えられたりする。
 その範囲や内実は幅広く、地球レベル、国家レベルから数人規模の小さなサークルにわたって、任意の選択対象が重層的に混在している。
 そうした選択決定の基本は、ご都合主義的、融通無碍、付和雷同という以前に、「公共」そのものの概念の希薄さ、強度不足、あるいは不在に由来しているようにみえる。
 そこで、「公共性」をめぐって議論する場合も、それが地球レベルなのか、国家レベルなのか、党派や所属集団レベルなのか、地域ローカルレベルなのか、サークルレベルなのか、居酒屋で一杯レベルなのか、収拾がつかないという事態が生まれる。
 ちなみに、国内外の批判もものかは、靖国参拝を強行した日本国首相、すなわち「公共」の番人のトップたるべきポジションにある人物が自画自賛的に強弁したのは、心情=ココロレベル。どちらかと言えば、仮にその裏に大いなる打算や美学があるにしても、居酒屋レベルに近い。
 これこそが、それが何かもどこにあるのかも定かでないはずの、我が伝統のジャパネスクたる「大和魂」(万歳突撃)とでも言えばよろしいのか。
コメント    この記事についてブログを書く
« 1981 夜の果てから | トップ | 1994 一つの気圏 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

私見」カテゴリの最新記事