ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

1994 一つの気圏

2006-08-19 | Weblog


かたちを定められないあこがれに
くちびるを重ねたいと

世界を遠くに置いて
こころが
まなざしを凝らしたとき

ここはどこよりも遠く
孤独は蜜の味がした



悲しみを埋めた辺境に
ただ酷薄な時間だけが
過ぎていくように思われたとき

永遠の過去と
永遠の未来を貫いて
何かがそこになければならない

激しい渇仰に身を焦がしながら
こころは静かに
秘蹟を待ちうけていた



ソレは 甘美なめまいとしてはじまり

こころを締めつけるざわめきとして
存在を揺るがし

繊細で過激な律動を引き連れ
視覚の彼岸に壮麗な風景を開いた

ソレは 言葉の網をすり抜けていく 不思議な誘引であり

ソレは 太古から永遠を貫く 希望の装置であるかもしれず

こころがもういちど受肉し
なんどでも乳を吸いはじめる
はじまりのはじまりであるかもしれなかった



ソレは 聞かれないかぎり 奏でられない音楽であり

ソレは 聞くことから最も遠い 無音の旋律であり

ソレは 見ることを放棄したとき あらわれる視覚であり

ソレは 指に触れたとき 溶解する雪片であり

ソレは 言葉が触知したとき 消え去る言葉であり

ソレは エロスが追いつけない 愉悦の呪いであり

ソレは いちばん柔らかい部分をめがけ こころを襲い

ソレは 世界のかたちを喪失させる 酷薄ないざないであり

ソレは 訪れとしてだけ受け入れられる 奇蹟であり

ソレは こころが遡行できない非在であり

ソレは 告知することが不可能な陶酔であり

ソレは コスモスの王位をもつものかもしれず

ソレは なによりも鮮明な実在を刻む非在であり

ソレは 悪魔と天使が棲息する 無情の王国かもしれなかった



ソレを語ることが
じぶんをかえることであり

だれかに告知し称揚することが
見慣れた世界と訣別することであり

ソレに触れていることが
新たな存在の階梯を開くと信じられたとき

最初にソレについて語ったニンゲンや
そのように信じられたニンゲンの手になるものを

畏怖の最高の形式において
神々の位置にまで高めてしまったのか



ひとたびソレとの出会いが存在を呑み尽くし
信仰の高みにまで変質したとき

それについてうまく語った者に威光を授け
語られた言葉以上に
言葉に感染する者たちを生み出し

ただじぶんに訪れたソレがソレであると信じるために

震えるようなカタルシスとともに
いまだソレを知らない世界の人びとを
嘲笑し侮蔑することになったのか



それともこころは
非情のまなざしを磨いて

ここに滅びることを受けいれ
じぶんだけに許された
じぶんだけの言葉を求めたのか

あるいはソレが立ち現われる根拠へと分け入り
瀆神の名において
みずからの足音を響かせようと願ったのか



ソレは こころのスペクトルにしたがって
さまざまに分岐し

あるいは異端を宣告され廃棄され
あるいは最強の美となって玉座にすえられ
あるいは日常に追い越されて
あるいは忘却の淵に埋まり
あるいは何度もよみがえり
あるいは遠いノスタルジーに混ぜ合わされた



呪縛とも祝福とも
だれも答えられない問いにおいて

こころは世界を背負い
みずからの生命を背負い

生涯にわたって
未知の気圏を背負っていた



目にみえる世界と
その背景をつくる未踏の領域のすべてを含んで

画然と分けられた
〈ソレ〉と〈ソレでないもの〉があると信じられたとき

煉獄の風景として
世界は開かれていくように思われた
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