ASAKA通信

ノンジャンル。2006年6月6日スタート。

「知の作法」20240624(20240216)

2024-06-24 | Weblog

 

 

 

 お前は他人の何を愛するのか?
 ──私の希望をこそ。
 お前にとって最も人間的なことは何か?
 ──誰をも恥ずかしい思いにさせないこと。
 体得された自由の印は何か?
 ──もはや自分自身に恥じないこと。

    (F.W.ニーチェ『悦ばしき知識』信太正三訳)

      *

知が頼もしく感じられるとき
知りえないものへの敬意と礼節が同伴している

敬意はおのれを照らす外部世界の感知に由来する

知が超えられない限界線、非知的作動があって
知のいとなみの全域を覆っている

限界線の内側で自足するかぎり
まちがう可能性は必然的に排除できない

知の外で動くもの、知に収まらないもの
限界線の向こう側で息しているものがいる

この直観がおのれの知をくりかえし反照する

非知なるもののたしかな感知
敬意とつつしみ、みずから反照し検証する意志

それらは限界線の内側の戦いと結ばれている

真理と正義の独占へ走る知の暴徒たち
頭ごなし、決めつけ、僭称が行きつく専制支配

生を痩せ細らせるように刈り込み、
非知と無知を断罪し蹂躙へ走るもの

知に呪われ、一切を知の檻に収監する暴徒たち

正しく客観的で善なる存在であることを疑わない
つまり、血塗られた惨劇の歴史の張本人たち

知が築いた伽藍から逆算して生を審問し裁定する
どんな知の内側にも宿りうる呪いと倒錯の病原

本質的な思考はこの内なる暴徒の根拠を切り崩すように
命令や要請や義務や当為の肥大した威光を滅ぼすように進む

非知のかたわらに身を置きながら
一切のゲバルトの成分を抜き取り

真理 正義 客観、超越化した全体
すなわち、すべての審問の玉座を完全に廃棄して

みずからの知を検証する方法をたずさえ
生の励ましとなるように一切を変換して歩む作法がある

 

 

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