そらみつ みそら file  ~To Provide You With Unity~

こころとからだについて、気がついたことを書いていきます。
『』の中の言葉は、見えない世界から伝わってきたものです。

時代遅れの神社

2015-03-17 05:33:55 | 未来の創造

3月3日、午前中まるまる時間ができたので、ある由緒古い神社を参拝してきました。
行くように言われたわけでもないのですが、早朝にウェブ上で地図を見ていてふと浮かんだところです。
大阪の下町にあるその場所を訪れたのは初めてでした。
 
大通りから数十メートル奥に入り口が引っ込んだその神社は、都市部にあるところは多くがそうであるように、回りを高い建物に囲まれながら、こじんまりとうまくその区画にはめ込まれていました。
神前に立ち、とくに何も言われることもないまま何となく祝詞を唱え、その場に同調してみると、
『時代遅れの神社。
徐々に切り離される。
厄払いをしなければいけませんな。』
という声でした。
気になったので数回尋ねたのですが、似た答えが返ってきます。
 
自分にできることが何かあれば、と思うと
『ならん、ここは切り離される。』
と再度伝えられます。
 
ほかに、わたし自身のことを伝えてきた言葉もあったので、伝えてきた主体はここの祭神ではなく、より全体を見通している存在だったのでしょう。
 
全体の調和の中で区切りを迎えるのならばむしろ歓迎することなのかもしれません。
居心地が悪いところではありませんでしたが、水場付近にゴミの袋が山積みされていたり、裏手から出て行ったところもすぐゴミ収集場所で乱雑になっていたり、と、無理に探せばおかしなところはありました。
おかしな、というよりその下町のごっちゃな雰囲気と一緒になっておもしろい、とわたしは思ったぐらいなのですが。
厳しい伝えられ方をしたのは、きっとそれだけの理由ではないのだと思います。
 
ただ、これだけの人通りがある場所であり、古くから祀られた場所ながら、滞在した数十分もの間、誰も参拝にやってこなかったのは、思い起こすと違和感を覚えます。

コメント
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