またテンコモリ
◆海苔だんだん(有機ななつぼし・発芽玄米・海苔・七色・醤油)
◆高菜漬け◆チャンジャ◆ピリカラ昆布
◆三つ葉とハムの和えもの(残りもん)
◆人参とピーマンの酢味噌炒め
◆銀ダラの粕漬け
◆筍の甘辛煮
◆大葉
◆キムチ納豆(キムチ汁だけの)
◆大根わかめ蒸し鶏のおつゆ(大椀)
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今夜は飲み会らしいので、夕餉の仕度はナシ...................
なのでどこかノンビリとした気分で、冷蔵庫を迎える準備をはじめる
最後だからと、食料品を整理しながら丁寧に掃除してやる
ずいぶん頑張ったからな~、引っ越しが5回だもんな
帯広・旭川・東京・水戸・横浜・船橋
引っ越しを1回サボッタので(横浜は2回ぶん居た)本当だったら6回か
震災後の計画停電にも耐えてくれたし、故障もせずに大活躍だった
日高山脈を越え、津軽海峡を渡り、湾岸道路とおって常磐道をつっきる
また都内へ戻って皇居をグルリと周り、東名高速を南へ向けてひた走る
再び渋谷に戻りスカイツリーを横切って、京葉道路で船橋へと来たわけだ
ここでお別れだ、ありがとう日立冷蔵庫っ、元気でなっ
搬入するのに食器棚を移動せねばならず、ちょ~ゲンナリ
なかの食器をぜ~んぶ出して、なんとか体裁を整える
あ~また仕舞うのが大変だわ、整理して掃除したばっかりだったのに
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録画しといた「夜ふかし」をみたら、郷里の帯広が出てきた
「帯広の人はカレーを作らない、なぜならインディアンカレーを食べるから」
かなりの極論だし真実じゃないけど(笑)、確かにインディアンを食べて育ちました
あ~食べたいなぁ、酸味を利かせたスパイシーな味で小学生の頃から食べていた
あのころは1軒しかなかった気がする、ますやパンの向かいあたりに
って言っても、帯広人にしか解らない説明だけど(笑)...............
たまに思い出して、トマト缶とデミグラ缶を入れて、仕上げにカレー粉をたっぷりふり入れ
「インディアンっぽい」カレーを拵えて、郷愁を味わい、過ぎ去りし日々を懐かしんでいる
カレーならインディアン、パンならますや、中華はみっちん楼、焼肉は平和園
お蕎麦はまるふく、焼き鶏は鳥せい、ラーメンは宝龍、菓子は六花亭か柳月
豚丼ならぱんちょ、お団子は・・・・忘れた、鯛焼きと今川・・・も忘れた
とにかく子供の頃って、あれなら此処、これなら其処って決まっていた
今みたいにお店も多くなかったし、あちこち浮気するってこともなかったな
あ~たべたいよぉ
っていうか、もうずいぶん長いこと帰ってないや