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未熟なカメラマン さてものひとりごと

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長浜を歩く 古い町並みが残る北国街道の宿場町

2011-09-28 21:33:45 | 古い町並み


1万円未満で行く旅シリーズ 滋賀県長浜

今回は、滋賀県長浜を訪ねました。福山から京都まで高速バス、京都から長浜まではJR新快速です。長浜には、12時40分ごろ着きました。自宅を出てから実に6時間を経過しています。台風のあとの青空が広がる上々のお天気。長浜駅に着くと、すぐに荷物や上着をコインロッカーに預け、カメラだけ手にします。日中はまだまだ暑く、散策には半袖の方が快適のようです。改札前の観光案内所で散策MAPを入手、観光パスポート1,000円を購入して、いざ出発です。
長浜駅の駅舎は、レンガ風の西欧的なデザインで、とても斬新的、近年、建てられたものでしょうか。ちょうどお昼時、どこかで昼食といきたいところですが、その時間も惜しくて、考えないことに。駅の東側に降り立ち、まず秀吉と三成の出会いの像を見て、あとは駅前の筋を南に向かって歩きます。北国街道とは1本西側の筋です。



5分ほど歩くと、交差点から橋の川向こうに「長浜浪漫ビール」と書かれたおしゃれな建物が見えてきました。こちらでは有名な地ビールのお店のようです。道路の左側にも同じようなおしゃれな建物がありましたが、こちらはまったく関係のない有名な宗教団体の建物でした。
建物の角には、馬つなぎ石、そしてその向こうに、独特な舟板塀と白壁の建物が両側に続いています。ガス灯のようなレトロな照明もあり、なかなか美しい町並みです。これだけの建物を維持するとなると、個人ではなかなか難しいのではないでしょうか。この通りは、旧長浜駅へ続く道で「明治ステーション通り」とか「ステンション通り」と呼ばれているそうです。
ここで北国街道に出て、通りを南方面に歩くと、うだつのあがった立派な町屋風の建物が、点在しています。通り全体では古い町並みとは言えないまでも、閑静なたたずまいはどこか懐かしい感じがします。古い町屋を改装したと思われる立派な外観の、レストランやしゃれた旅館もありました。一番うれしいのは、このあたり、観光客の姿がほとんどないということです。




橋の上から、東に目を向けると、土蔵のはるか向こうに、青空に映える伊吹山が見えます。「なんと美しい!」、また家々の前には、季節の花がプランターに並べられ、通りに潤いをもたらしています。一番南あたりに成田美術館がありました。大変興味があったのですが、今回は時間がないのでパスしました。今度は北国街道を北方面に進み、常夜灯まで行ってみることにしました。同じ道を通っても、おもしろくないので一本、東側の筋を歩いてみることにしました。明治ステーション通りまで戻ってくると、また北国街道を北にとって進みます。(つづく)
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三重県関宿を訪ねて その3(1万円未満で行く日帰り旅行シリーズ)

2011-08-03 22:48:53 | 古い町並み
おいしい紅茶のお店で、ひと息ついた後、再び散策を開始しました。まず目についたのが全面透明なガラス戸で、作業場が丸見えの「桶重」さんです。中に年配の男性が一人。ここは桶屋さんのようで、小さな木片(パーツ)をあてがい、当たり具合を見ているようでした。実に細かい作業です。表の看板に創業明治15年とありますから、相当な歴史があるわけです。中が丸見えというのは、作業場にせいいっぱいの自然光を取り入れて作業をしやすくすること、実際の細かい手作業をみてもらい、確かな商品作りをお客さんにも目で見て感じ取ってもらうということでしょうか。それで思い出したのが、昨年、広島県大崎下島を訪れた際、みた古い島の時計屋さん=松浦時計店です。確か日本で最も古い時計屋ということでした。作業場で、仕事に集中できるのは自然光がいい角度で入る限られた時間ということでした。



 さて、次に訪ねたのが、眺関亭(ちょうかんてい)。空き地を利用した小公園、百六里庭の中にあります。眺関亭は、通りに面した鉄筋コンクリート製の町屋風建物。うまく考えたもので屋根の一部がくり抜かれ、展望台となっています。ここから地蔵院方面の中町の通りを眺めるとなんともいい感じなのです。一番の施設である玉屋歴史資料館や関の戸の庵看板もよく見えます。逆に通りからこの眺関亭を見ると、展望台にいる人の顔だけが覗いてなかなか滑稽でおもしろいと思いました。

次に、まちなみ資料館を訪ねました。この資料館では、関の文化財の紹介や関宿に関係する歴史資料が展示されています。
表に「ばったり」があり、中に入ると受付(帳場)がありました。そして奥に箱階段も見えます。でも声をかけても係の人が出てこなかったので、先ほどの桶重さんのめずらしい縁の瓦を見忘れたことを思い出し、見に引き返しました。そして再び戻ってくると受付に女性の姿がありました。入館料は、もう一つの玉屋歴史資料館と合わせ300円、かなり良心的なお値段です。
土間の奥にあった明治時代の自転車を見たあと、座敷に上がりました。小さな山車などいろいろな文化的資料が展示されています、二階には、町並みの保存事業における変遷の様子がわかる長い資料も展示されていました。

 まちなみ資料館を出ると、玉屋の手前に石垣屋という旧町屋を利用した素泊まりの旅館がありました。道路側の間に、昔のものが雑然と置かれています。そしてずっと奥に目をやると坪庭が見え、またその向こうに離れ座敷があるようでした。こういうところに泊まると、昔の旅籠気分が味わえるかもしれませんね。あとで知りえた情報では、こちらには土間にワンちゃんがいたそうで、見ればぜひ撮っておいたのにと、甚だ残念に思いました。

 
そして、そのお隣が、玉屋歴史資料館です。受付で簡単な説明を聞いたあと、通りに面した店の間にあがりました。通り側の戸はすべて開け放たれ、通りから丸見えです。こちらにも奥に坪庭があり、その向こうに離れ座敷が見えます。階段があったので二階に上がってみることにしました。それにしても上がりにくい階段です。段の感覚が狭く、躓きそうでした。二階には、当時の旅籠の様子が再現されています。
 寝具が敷かれた間、小さくて高くて堅そうな枕、すべて質素です。そして食事の配膳の様子、整然と並べられています。
座敷を降り、土間で懐かしいかまどを見て、裏に出ると、これまた立派な土蔵がありました。中は、浮世絵の展示室になっているようでした。

玉屋歴史資料館を出たところで、アンケートの協力を求められました。亀山市観光協会の委嘱を受けた年配の男性の方です。亀山市に来た目的、交通手段、何泊か、何回目かなどを尋ねられました。「関宿だけを見に来た、高速バス・JRで岡山から、日帰りで初めて」と答えたところで、お礼に携帯のストラップをいただきました。




次にやってきたのが、銘菓「亀の戸」で知られる深川屋です。それにしても立派な庵看板です。例によって、亀の戸の文字が、江戸側がひらがな、京都側が漢字になっています。金の文字がとてもきれいで、最近、改修されたのでしょうか。
こちらで、お土産を買うことに決めていたので、躊躇なく店に入ると、「ピポーン」とセンサーでチャイムが鳴り、すぐに奥から店の方が出てきました。「いらっしゃいませ!」
こちらも条件反射的に「関の戸をください!」と言ってしまいました。箱の大きさで、大・中・小とあり、中のものを買い求めました。ほんとは店内に飾られた古いものにも興味があったのですが、見ず仕舞いでした。




お店から出て、中町の通りを進むと、建物が重要文化財の地蔵院が見えてきました。通りの反対側には会津屋など、風格のある建物が並んでいます。このあたりがその昔、一番の賑わいを見せたところでしょうか。
これから先が新所の町並みですが、うってかわって閑静な佇まいです。ほとんど人影が見当たりません。このあたりでパンフレットにあった漆喰彫刻を確認することにしました。なるほど、言われなければ、気づかずに行ってしまいそうですが、虎や鶴、亀など彩色をしていない小振りながら凝った彫刻がありました。まさに職人芸ですね。縁起の良いもので子孫繁栄を願ったものでしょうか。そこで、以前、四国の内子町で見た鏝絵(こてえ)を思い出しました。土蔵に描かれた本芳賀家の彩色された豪華な鶴と松の鏝絵は、いまでもよく覚えています。




新所の町並みの西の端、西の追分まで行ってまた引き返しました。この関の町並み東西1.8キロですから、往復3.6キロ歩いたことになります。駅から通りまでの往復の距離を入れると確実に4キロ以上、でもほとんど疲労感はありません。
時間も残り少なくなってきました。それにしてもきれいな空、町並みと空のブルーの取り合わせはとても美しく、最後にこの景色を忘れまいと思いながら関をあとにしました。家に着くのは午後11時前の予定です。(終わり)

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滋賀県大津市坂本 日吉大社と本家鶴喜そば、そして古い町並み

2011-06-24 22:50:55 | 古い町並み


旧竹林院の日本庭園を堪能したあと、お隣、山側の日吉大社に参拝しました。赤い鳥居をくぐると長い参道が続きます。左側には水量のある大宮川が流れ、両脇に木立が並び、いかにも神の領域という感じがします。
中には、檜皮葺(ひわだぶき)に用いられる檜皮採取のためにはぎ取られたのでしょうか、赤い檜も目立ちます。再生するには実に15年もかかるそうです。いつもそうなのですが、パンフレットをもらって、観るべきところをチェックし効率よく回ればいいものを、その時間も惜しくて、肝心なところを見逃し、あとで後悔するのがいつもの私のパターンです。

楼門の前で、メンバーの一人が「あ!猿がいる」と云ったので、ニホンザルでも見つけたのかと目をやると、それは、ひさしの下で棟をしっかり支える木製のかわいい猿でした。この猿、屋根を支えてくれている「棟持ち猿」というのだそうです。日吉大社では、お猿さんは神様のお使いで神猿(まさる)と呼ばれ、「魔が去る・何よりも勝る」として縁起の良いものとされてきました。
さて、楼門を潜るとその向こうに拝殿、そして、その奥に国宝の本殿がまっすぐ立ち並んでいます。ここは西本宮といい、間をおいて東側にも、同じように東本宮があります。
織田信長の比叡山焼き討ちに伴い、坂本の地の日吉大社も全て灰燼に帰したそうですから、その後の造営となるわけですね。せっかくなので、記念にお守りを二つ買いました。江戸時代初期の神輿や石橋、滝と見どころはたくさんあります。ほんとに広い境内です。




このあとは、昼食の時間です。どこも予約していなかったようです。せっかくなので、有名なそばの老舗、本家鶴喜そば本店で、そばをいただこうということになりました。
お店まで歩いて行くことにしましたが、この道路が広いですね。両側にゆったりとした歩道があり、ずらりと穴太積みの石垣がある里坊が並んでいます。5分ほど歩くとお店につきました。なるほど古い建物です。どこか道後温泉の本館にも似ていると思いました。創業280年、この建物は築130年だそうですから、道後温泉本館よりも古いということになります。時刻は11時過ぎごろでしたが、お客さんが店の前で大勢待っていました。これは相当時間がかかるかもと思いましたが、意外にもすぐにお庭に面した和室に通されました。

皆、それぞれ、ざるそばの大盛り、てんぷらそば、やまかけそば、月見そばなどを注文しました。私が食べた、ざるそばの大盛りは1,100円でした。素直においしかったと思います。伝統の手造りの味ですね。実は私もそばうちを趣味でやっており、こねる工程がなかなか難しいのですが、このお店ではそばではめずらしく「踏む」という工程も入っているようです。うどんならともかく、そばで、「踏む」というのは初めてききました。そば湯をいただき、お腹が膨れたところで、この後はバスの時間まで自由行動となりました。




私は、早速、町並みを散策することにしました。この石垣のある里坊が連なるあたり、とてもゆったりしており、他の重要伝統的建造物群保存地区とは、少し違ったイメージです。それでも、この本家鶴喜本店をもう少し入ったあたり、ばったり床几を備えた古いお店や町屋もあって、先ほどとは違った生活感のある町並みを目にすることができ、ほっとしました。12時20分ごろ、坂本をあとにして、次の目的地、大津市大物に向けて出発しました。(つづく)
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滋賀県大津市坂本を訪ねました。

2011-06-21 22:07:25 | 古い町並み

旧竹林院の庭園は見事というほかありません。

私が加入している、茶道上田宗箇流・井原文化教室(井原松涛会主催)の研修旅行があり、参加しました。今回の行先は、滋賀県大津市坂本と大物です。古い町並みにとても興味がある私にとって、重要伝統的建造物群保存地区指定されている坂本は願ってもない訪問地でした。
井原を早朝6時に出発。偶然にもこの日は、高速道路1000円の最終日でした。しかし時刻が早やかったためでしょうか、渋滞はほとんどありませんでした。
坂本には、10時前に到着しました。その昔、比叡山で修業をした老僧が、隠居してふもとの坂本の地に居を構えたもので里坊と云われる隠居所が多く残っています。そして現在その里坊内の多くの庭園が、国の名勝に指定されています。その代表的な里坊のひとつである旧竹林院は、その後いろいろな人の手に渡り、現在では、個人の所有となっているそうです。このあたりの塀の石垣は、穴太衆積み(あのうしゅうづみ)と云われる独特のものです。野面積みで、表面だけ平らな石を配置し、あとは小石で隙間を埋める工法です。
 一見、荒い感じがしますが、その堅牢度は確かなもので、彦根城など多くの城郭の石垣にも採用されています。しかし現在では、その伝統を継いでいるのはわずか一軒だけとか、寂しい限りですね。
さて、入園料を払って、旧竹林院に入ると、さっそく大広間が出迎えてくれました。2方面が開け放たれた畳の間と、赤い毛氈が敷かれた縁の向こうには、緑輝く庭園が見えます。昨日の雨が、庭園を一面に覆うコケの緑を一層、際立たせ、まぶしいほどです。木々の葉も活き活きとしているように見えます。縁の付近に座ると、係の方の説明がありました。そのあと、せっかくなので、抹茶をいただくことにしました。手際よくお菓子が置かれ、お茶をいただく「あー、なんという幸せ!」まさに至福のひとときです。



つくばい。水が豊富に流れています。


そのあとは、庭園内を散策しました。さすがに山のふもと、庭園内にはいくつかの浅い水路を、勢いよく清らかな水が流れています。 また二つの茶室もありました。大正年間に建てられたもので、そんなに古くはありませんが、かやぶき屋根には、苔がびっしりと生え、なかなかの趣きです。そういえば、名前が竹林院なのに竹林は見なかったような??(日吉大社につづく)
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鞆・町並ひな祭

2011-03-08 07:04:21 | 古い町並み


福山に買物に出た際、少し時間が空いたので、ひとり鞆の浦に行ってみることにしました。時刻は午後2時ごろでした。午前中は青空の見えるよいお天気でしたが、鞆の浦に向かう途中から空は曇り空となり、どんよりしてきました。どうしていつもこうなのだろうと、うらめしく思いながら車を進めます。鞆の浦への所要時間は、福山市中心部から20分ぐらいでしょうか。
 途中、田尻町に差し掛かると、杏祭りのピンクの幟がいっぱい立っていました。そういえば昨年の3月ごろ、杏祭りの始まる前に行ってみようと思いたち、丘陵地を訪ねたことがありましたが、杏はほとんど咲いていなくてがっかりしたことがありました。

さて、海が見えてきたころ、今度は、菜の花畑の案内板が目に留まりました。一瞬、目をやると、黄色い菜の花畑が見えたような気がしました。駐車場も用意されているようです。よし、帰りによってみようと思いました。以前、菜の花畑と海、というタイトルでここで撮影された画像を見た記憶がありました。これはいい被写体ができたと、気分もずいぶん楽しくなりました。
そして鞆町に入り、車を停めようと市営駐車場前までくると、なんと満車ではありませんか。しかたなく我慢して待つことに。何とか停めることができて、ひな祭りの町並み散策開始です。飾ってあるのは、商家だけではなく、普通の民家もありました。お雛さまが飾ってあるところは、目印にのれんがぶら下がっています。古い旧家では、家人が説明をしてくれます。江戸時代から現代まで、創作もの、いろんなお雛様が迎えてくれます。

そのようなお雛様を何軒か見た後、路地のお寺の境内の奥に満開で咲いている梅を発見しました。これは行ってみなくてはと、中に入ると墓地の隅に立派な梅の木がありました。
しばらく観察していると、メジロがやってきました。梅にメジロ、よく見る光景ですが実に絵になりますね。
それから、鞆の浦で一番のビュースポット医王寺に行ってみることにしました。坂道を登ること10分、医王寺に到着です。何組かの先客がいました。このころになると、ありがたいことに空は幾分か晴れ、青空が見えていました。まさに絶景かな、という感じです。
架橋問題で揺れる鞆の浦、橋がどのように架かるか位置を確認しながら医王寺をあとにしました。
医王寺の帰りにはいつも寄る、老舗の喫茶店ですが、今日は時間がないのでパスすることにしました。ここのおかみさんには、鞆の近況などよく教えてもらいました。
さて、鞆の浦をあとにして、例の菜の花畑を目指しましたが、帰り道ではその入り口がわかりませんでした。後ろからの車の通行量が多いので、結局あきらめることにしました。

未熟なカメラマン→私の写真館
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