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未熟なカメラマン さてものひとりごと

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伊予の小京都・大洲を訪ねて 臥龍山荘・不老庵から見たもの

2012-06-06 22:48:54 | 古い町並み

臥龍山荘 臥龍院

臥龍山荘は、清流肱川の景勝地・臥龍ヶ淵の山裾に建つ山荘です。代々藩主の遊賞地でしたが、荒れ果てていたこの地に、木蝋で財をなした貿易商河内寅次郎が、明治30年代、10年の歳月と、巨費(現在の価値にして5億円)を投じて築いたものです。建物は、臥龍院、知止庵、不老庵の三つの建物で構成されています。先日のTV放送での解説によると、外観は、田舎の農家をイメージさせるようなあくまで質素な作り、内部は細部に至るまでとても凝った細工と意匠。この対比がおもしろいですね。

メインの建物は、臥龍院です。桂離宮、修学院離宮などを参考に、施工は大洲、京都の名大工。建築細部は千家十職に依頼して完成した名建築です。(パンフレットより)
多くの若い建築家が、勉強のためにこの臥龍院を訪れるとききました。
まず、順路に従って進むと、「清吹の間」の立派な神棚に驚きます。そしてその下、西側の書院窓に映る花筏の透かし彫り。まるで影絵のように見えました。次の「壱是の間」は格調高い書院座敷、なんと畳をあげれば能舞台となるそうですから驚きです。

私の記憶では、京都醍醐寺三宝院の書院も、同じように能舞台になったと記憶していますが、これに倣ったのでしょうか。そして欄間彫刻の優雅な野菊、鳳凰の透かし彫りが目を引きます。最後は、「霞月の間」、ここで、隣で受付をされている方が説明に来られました。違い棚は、京都大徳寺の玉林院をヒントに作られたとか。三段の違い棚は雲霞に、床脇の丸窓は、奥の仏間の灯明を照らし、月に見立てているそうです。縁は、1枚の仙台松、わざわざ等間隔に削って筋を入れ、寄木のように見せているそうです。

そして臥龍院を出てお庭に廻ります。この臥龍山荘、広さは3,000㎡あるそうですが、私がお庭で一番気に入ったのは、数々の蹲踞と飛び石。特に飛び石は、いろんな形のものを使用し、とても変化に富んでいます。そして苔むした庭園は、西芳寺をも連想させます。そして奥に進むと、茶室知止庵があり、さらに奥に進むと、不老庵の茅葺きの屋根が見えてきます。こちらでは、お茶の接待があります。(抹茶400円、お菓子付)お茶の先生方が交代で当番をされているとか。不老庵には広島から来られた先客がありました。女性2名、男性4名の熟年のグループです。居合わせた人々との交流も楽しいものです。
この不老庵からの眺めは特に素晴らしく、眼下に清流肱川を望むことができます。崖の上にせり出して建てられる手法は、京都清水寺と同じ舞台造り。ちっと大袈裟ですが、国宝投入堂にも似ている感じがしました。その木は、樹皮がそのままで野趣にあふれています。

この不老庵の天井は、竹が編み込まれたもので、川に映る月の明かりがこの天井に映り込むように設計されているそうです。床には夏蝋梅、そして京焼のわざわざ特別に作らせたというお茶碗でいただく、抹茶は何とも言えません。誰もが外の景色に見入っているとき、
「あ! イタチがいる!」と誰かが声をあげたので、見ると
小さな黒い小動物が、対岸の河原からこちら側の川に向かって走ってくるではありませんか。
「いや! カワウソじゃないですか!」と私。
「いやいや、犬じゃないか!」と別の一人が言うと
「犬じゃないでしょう!」とまた別の一人。
しばらく、沈黙のあと、その姿がだんだん大きくなり、何であるか確認できると、
「なーんだ!ダックスフンドじゃないか!」
と、一同大笑い。走るスピードが速く、耳が見えにくかったのでそのように見えたのでしょう。その後ろから飼い主も駆けてきました。(リードを付けていませんでした)

こうして、抹茶と、豊かな自然を満喫した後、大洲城を目指し出発したのでした。
(つづく)



飛び石も変化に富んでいる


肱川を眺めながら不老庵でいただく抹茶は何ともいえない
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伊予の小京都・大洲を訪ねて(その2)裏通りの人気店

2012-06-02 00:44:18 | 古い町並み

静かな下町風情の裏通りは、どこか懐かしい


いわはんのご主人が茅(かや)でつくるバッタ

おはなはん通りを抜け、この旅一番の目的地、臥龍山荘を目指します。突き当りの交差点を左に進むと、空き地のかどに今ではめずらしい赤い円筒形のポストが見えます。(散策マップを見ると、「東京ラブストーリー」でリカが別れの手紙を出したポスト。とあります。)
そして、この四つ角を右に進むと、いきなりというか、とても下町の風情のある通りが目に入ってきました。縁台に腰かけて何かを織り込んでいるご老人がいたので、「何を作っているんですか?」と尋ねると、このご老人、はずかしそうに「バッタです」とのこと。道路の反対側を見ると、「でんがく」と書かれた赤い提灯が目立つ小さなお店があり、店先には、茅で作ったバッタが売られているではありませんか。それにしても器用なものです。確か200円だったと思います。こちらは田楽のお店だったんですね。他にも野菜や、「ふかしイモご自由にどうぞ」とありました。あとでわかったことですが、このお店は、「いわはん」といい、このご老人もパンフレットにも紹介されている有名人でした。

そしてこの通りの突き当りを右手に進むと、臥龍山荘がありました。入口は少し下ったところにあります。正面には、肘川の水深が結構ありそうなエメラルド色の淵があって川舟が見えます。
山荘の入り口から団体の観光客が、ガイドさんに案内されて次々と出てきます。来る前、ここを訪ねる人は、そういない、ぐらいに思っていたら、とんでもありませんでした。あたりまえのことですが、大洲を訪ねる人は、かならずここを訪ねるでしょう。小さな門を潜ると、そこはもう露地風の庭園です。右手の石垣の間から、大きな木が幹を出しています。ということは、石垣を作る前に木があったということでしょう。ちょっとびっくりします。受付は、意外とこじんまりとしています。「どこから来られましたか」と聞かれたので、「岡山です。」というと昨日も、岡山からの人が多かったとの話でした。館内の写真撮影はできません、ということでしたが、縁側から庭を撮る分には構わないとのことでした。あとは、順路に従って進みます。(つづく)

(ちょっと余談ですが)
町並みを歩いているとき、1軒の骨董屋さんを見つけました。立派そうな染付のお皿が何枚か道路側に向けて置いてありました。ガラス戸から見える室内は、お道具類がびっしり。この光景を見て、NHKの人気番組「釣瓶の家族に乾杯」で、いつの放送かすっかり忘れましたが、物(商品)が有り過ぎて整理が付かない。と家族の方が話すシーンを思い出しました。あの番組で、出てきた骨董屋さんも、こんな感じだったなと、この時思ったのです。

しかし、何とそのお店が、まさにその番組に出ていたそのお店だったということがあとでわかりました。これには正直びっくりしました。こんなことってあるんですね。「釣瓶の家族に乾杯」で大洲が登場したのは、昨年の11月だったようです。



臥龍山荘下の川岸には遊覧乗船場がある


石垣の間から立派な木が出ている
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伊予の小京都・大洲を訪ねて その1

2012-05-30 20:25:20 | 古い町並み

大洲散策の起点は、大洲まちの駅「あさもや」 駐車場、観光案内所があります。

5月27日の日曜日、愛媛県大洲市を訪ねました。数年前、内子までは行ったことがあったのですが、そのとき時間が足りなくて、目と鼻の先の大洲を訪ねることができず、引き返したことがずっと気になっていました。ところが、先日、日本の近代の名建築を紹介するテレビの番組で、大洲市の臥龍山荘を取り上げていました。その番組を見ていると、どうしても行きたくなってしまいました。前日の土曜日、翌日の天気をチェックすると、夏日の好天の予報でした。これは行かなくては、と当日の朝、8時頃自宅を出発しました。
ナビを、観光協会のある、大洲まちの駅「あさもや」にセットすると、所要時間は3時間半と出ました。時間通りだと、11時半到着の予定でしたが、途中2回トイレ休憩を入れ、車の流れに合わせて進むと、11時頃到着しました。正味、2時間半ぐらいでしょうか。
大洲まちの駅「あさもや」の観光駐車場は、ほぼ満車でしたが、なんとか停めることができました。観光協会で、散策マップを手に入れ、見どころを聞いて、いざ散策開始です。

まず、「おはなはん通り」を訪ねます。その昔、朝の連続テレビ小説で爆発的に人気のあったあの「おはなはん」です。この大洲が舞台だったようです。通りは、それほど距離のあるものではありませんし、白壁の町並みが特に続くわけでもありませんが、通りが当時のまま残っており、雰囲気だけは感じ取ることができます。道の片側には、水路があり、小さな魚が泳いでいました。さて、この「おはなはん」の物語、作者の母(はな)の本当の舞台は、徳島市だったそうですが、戦争で古い町並みが失われ、大洲にロケ地の舞台を移したそうです。樫山文枝が木に登って、夫となる軍人役の、高橋幸治を上から覗き見る、というシーンは、よく覚えています。何と視聴率は、50%という驚異的な数字だったとか。
(つづく)



おはなはん通りは、「あさもや」からすぐのところ。
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瀬戸の花嫁・川舟流し(岡山県倉敷市)

2012-05-15 23:09:47 | 古い町並み

倉敷の古い町並み GWともなるとご覧のような人出です。

GWの5月3日、倉敷で毎年この期間中に開催されている「ハートランド倉敷」のメインイベント「瀬戸の花嫁・川舟流し」を見に行ってきました。チボリ公園跡地にできたアウトレットモールなどの大型商業施設のため、駐車場がとても混んでいると聞き、少し離れた、倉敷中央病院の有料駐車場に停めて会場に向かいました。
商店街に入ると、かわいいバトン姿の小さな女の子が集まって、どことなくざわざわした感じでしたが、手に入れたパンフレットを見ると、まもなくこの商店街をパレードするとあり、これへの参加者なのでしょう。せっかくなので時間まで待って見ていくことにしました。倉敷小町を先頭に、倉敷市消防局、市内の各中学校のブラスバンド部など、相当な数の行進です。楽器でも、笛程度ならどうということはないのですが、ドラムや鉄琴など重いものを肩から前に提げて行進する女子中学生の姿を見ると、ちょっとかわいそうになりました。パレードが終わり、えびす通りのアーケードを抜け、本通りに出ると、一気に古い町並みが開けてきます。

近年、道路が改修されてとてもきれいになりました。GWの期間中に加えて、今年はアウトレットモールにやってきたとみられる若い人の姿も多くあり、近年にない人出です。それでも、森田酒造までやってくると、電柱はまだ地中化しておらず、道もぐっと狭くなります。吉井旅館や、提灯屋、畳屋など古い店が郷愁を感じさせてくれます。手作りの本格的な帽子のお店、倉敷汎布を売る店、懐かしい倉敷のセピア色の写真を売る店など、いくら時間があっても足りません。

そろそろ、川舟流しの時間が近づいて来たので、美観地区へ向かいました。路地に入っても白壁の蔵が続いています。美観地区の中橋付近までやってくると、相当な人垣です。倉敷川の川べりには、びっしりとカメラマンが陣取っています。前回(一昨年)来たときは、いい位置を取ろうと30分以上前から場所取りをし、随分気合も入っていましたが、今日はその気力もなく2列目後方からの撮影です。川舟流しの始まる5分前でも、菅笠でゆっくり川舟を楽しむ人がいました。(乗船ひとり300円)大観衆の注目の中で、これまた貴重な体験です。
すると間もなく、「瀬戸の花嫁・川舟流し」が始まりました。倉敷川を約20分かけて往復します。柳の緑がさわやかで、一年で一番いい季節かもしれません。白無垢姿の花嫁が、長持ち唄の歌い手と尺八の奏者とともに、ゆっくり進みます。



美しい花嫁が舟に乗って倉敷川を下ります。

船頭さんの絶妙の竿さばき、無駄な動きは一切ありません。花嫁は少し横座りで、顔はじっと動かしません。したがって撮影のチャンスは、一度、10秒ぐらいしかありません。それでも、何枚撮ったことか。せっかくいい角度で撮っても、目を閉じている場合があります。それにしても今年の花嫁役の女性は、なんと美しいことか。来た甲斐がありました。

瀬戸の花嫁・川舟流しが終わると、美観地区を一周、かわいい倉敷小町の三人が、ビラを配ったり、記念撮影に応じたりと、大変忙しくしていました。
次に倉敷天領太鼓川舟流しがあるというので、こちらも見て帰ることにしました。狭い川舟に若い男性が5人ほど乗っています。軽快な横笛の音色、リズミカルな太鼓の音、初めてききましたが、なかなかノリのいい曲です。



倉敷天領太鼓も素晴らしい。

川舟を堪能したあと、食事をして帰ることにしました。そして再び、本町へ。商店街にあった、カレーの人気店か、本町の町並みにあった蕎麦屋にしようか、迷いましたが、結局、そばの店にすることにしました。時間も15時を過ぎているので相席ですがすぐに座ることができました。私も手打ちそばを趣味でやっているので、参考までにお店のそばの味も気になるわけです。ざるそばを注文しましたが、味はなかなかのものでした。食べ終わったあと、どこのそば粉を使っているのか気になり、レジの店員さん(アルバイト?)に聞いたところ、遠慮がちに主人に尋ねてくれました。この主人、忙しいからかどうかわかりませんが、とにかく機嫌が悪いことこのうえなし。帰ってこのお店の評判をブログで確認してみると、結構手厳しいことがたくさん書いてありました。ものは言い方、店員さんにもお客さんにも気持ちのいい対応をしてもらいたい、味はいいのに惜しいことだと思いました。

詳しい画像はこちらでご覧ください→こちら
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鞆の町をぶらり (広島県福山市)

2012-01-18 22:22:52 | 古い町並み

万葉集にも歌われた、潮待ち、風待ちの鞆の浦

買い物でお隣の町、福山に出たついでに、またまた鞆の町をカメラ片手に散歩してこようと思いました。当日は特別寒くもなく風もなく、青空が広がる絶好のお出かけ日和でした。鞆に向かって進むと、途中、消防出初め式があるらしく芦田川にかかる橋の下の河川敷には何台も赤い消防車が並び、ちょうどバトントワラーの妙技が行われていて多くの車やファミリーで賑わっていました。また、空を見上げると飛行船が音もなく飛んでいて、どこかに車を停めて撮影しようかどうしようかと迷っているうちに、あっという間に広島方面に行ってしまいました。飛行船は以前にも見たことがあり、飛行ルートになっているのでしょうか。

今日は、あまり時間がなく、ほんとにぶらりという感じです。福山市の中心部から鞆までの所要時間は約20分。いつものとおり市営駐車場に車を入れ、海外沿いの歩道を歩いていると、サヨリの天日干しをしている漁師さんの露店があり、もう少し歩くと、防波堤の上で、釣り糸を垂れる人がいました。「ここで釣りをしてはいけません」と書かれた立札が立っていましたが、お構いなしのようでした。鞆の浦の観光マップには「こりゃ、つれるで!」と人のイラスト描かれており、終始一貫していないようです。
以前はこの海岸通り、違法駐車が目立ちましたが、規制がかかりとてもすっきりしています。竜馬伝のころは、相当な賑わいでしたが、随分落ち着いてきました。
仙酔島行きの渡船乗り場から、「平成いろは丸」が出航していました。真っ黒い船体で、相変わらず異様な雰囲気です。
久しぶりに対潮楼に寄ってみようかと思いながらも、まっすぐ進むとそこは鞆港です。漁船がたくさん停まり、港の向こう側には、常夜灯、いろは丸展示館、そして右側の港の奥には、雁木とよばれる石の階段があり、このあたりはまさに撮影スポットです。港に沿って歩き、路地を通って常夜灯、いろは丸展示館前の広場に出ます。
鞆港は全国的にめずらしい江戸時代の港湾施設がそろって唯一残っているところです。この町が架橋問題で揺れています。最初に提起されてから実に29年、まだ決着がついておりません。

次に古い町並みの小路を通って、医王寺に行ってみることにしました。緩い坂道を歩くこと10分、医王寺太子殿参道と書かれた石柱が見えます。医王寺からの眺めも鞆を代表するスポット。一番の場所は、鐘楼前のベンチですが、残念なことにご夫婦がずっと座っていました。別に邪魔をするわけでもないのですが、せっかくなのでひとつ鐘をついてみました。ちらっと振り返ってみるものの、動きそうにないので、少し遠めからの撮影です。



サヨリの天日干しは鞆の名物

ここから、鞆の浦が一望できるのですが、さらに見晴らしがいいのが、太子殿からの眺望です。一度だけ行ったのですが、さらに数百段を登らなければなりません。この道は、あのシーボルトも登ったという記録があるそうです。
医王寺からの帰り、いつものカフェ「友光軒」に寄ってみました。奥さんがお客さんに架橋問題の説明をしていました。おそらく質問を受けたのでしょう。私も「その後、どうなっていますか?」と尋ねると、明日、住民への説明会が昼中にあるとのこと。「お仕事を持っている人は出れないですよね。鞆地区の住人もだんだん少なくなって、5000人を切りましたよ。」
「奥さんは、架橋に賛成、反対?」と尋ねると、「お客さんはどう思われますか?」と逆に質問を受けたので、「この海の景観は、できることなら残してほしいですね」というと、「外からの人は、皆さんそうおっしゃるんですよ」とのこと。それでも、「住人の数が随分減ってきたので、以前ほど橋の必要性はなくなったのでは」、とも言われ本音が少し見えた気がしました。
帰りに海岸沿いにあった露天で、サヨリの天日干しを買って、鞆をあとにしました。


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