最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で地域限定の医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

岡村昭彦の写真展が函館で開催

2015年10月01日 06時36分37秒 | メディカルはこだて
 米国のグラフ雑誌「ライフ」に南ベトナム戦線での写真が特集されるなど、世界的に知られた報道写真家・岡村昭彦の写真展「ヴェトナム戦争からホスピスまで われわれはどんな時代に生きているのか」が9月18日から25日まで函館市地域交流まちづくりセンター(函館市末広町)で開催され、期間中は多くの人が訪れた。写真展を企画したのは栄文堂書店店主で岡村の長女・佐藤純子さんだ。  


栄文堂書店店主で岡村の長女・佐藤純子さん

 東京生まれの岡村は、進学した東京医学専門学校(現・東京医科大)を中退。函館郊外の当別トラピスト修道院で客室係として働いた後、函館で出会った女性と結婚。その後、ベトナム戦争の取材で世界のOKAMURAとなる。1965年に出版した「南ヴェトナム戦争従軍記」(岩波新書)はベストセラーとなり、日本人の目を東南アジアの戦争に向けさせた。その後二度の長期間の南ヴェトナムへの入国拒否にあいながらも、北アイルランド紛争やビアフラ戦争、エチオピアの飢餓などを取材するなど数々の世界史の現場に立ち、国際フォトジャーナリストとしてカメラとペンにより「我々はどんな時代に生きているのか」という視点から未解決の戦争と平和の問題を鋭く訴え続けた。フリーランスとしての生涯は常に弱者の側に身が置かれていて、水や食べ物、さらにはバイオエシックス(生命倫理)やホスピスに取り組んでいたが、85年3月敗血症のため死去。56歳だった。
 岡村を再評価する機運が高まっている。昨年7月19日から9月23日まで東京都写真美術館で岡村昭彦の写真展「岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて」が行われた。写真展のきっかけは岡村の遺族がフィルムなど約5万点を東京写真美術館に託したことによる。期間中の来場者数は2万4千人を超え、個人の写真展としては異例の観客動員数となった。
 今年は戦後70年、ベトナム戦争終結からは40年で、岡村の没後30周年になる。今回は東京都写真美術館の写真展からベトナム戦争やビアフラ独立戦争、エチオピアの飢餓、北アイルランド紛争などの写真46点に加え、岡村が戦場で使用したヘルメット、取材で愛用したライカのカメラ、パスポート、「南ヴェトナム戦争従軍記」の生原稿などの遺品も展示された。
 初日の18日にはオープニングトークとして佐藤純子さんの挨拶のほか、写真史家の戸田昌子さん(武蔵野美術大学非常勤講師)による解説も行われた。


写真史家の戸田昌子さん(武蔵野美術大学非常勤講師)

 戸田さんは昨年の東京都写真美術館での写真展に関して、展示写真すべてのセレクションやキャプション執筆の担当、展示レイアウト案づくりやチラシ、ポスター、カタログ製作など企画に深く関わった。「生きること死ぬことのすべて」というタイトルも戸田さんの発案だ。


岡村が戦場で使用したヘルメット、取材で愛用したライカのカメラ、パスポート
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