最新の治療法など、地元の医療情報を提供する「メディカルはこだて」の編集長雑記。

函館で地域限定の医療・介護雑誌を発刊している超零細出版社「メディカルはこだて」編集長の孤軍奮闘よれよれ・ときどき山便り。

緩和ケアは特別なケアではなく、患者さんの日常を支える看護の基本です

2018年06月20日 10時10分59秒 | メディカルはこだて
第66号では函館おしま病院看護部長の秋庭聖子さんを取材した。


「カナダのホスピスで行われている音楽療法が緩和ケアを目指すようになった出発点」と語る
は函館おしま病院看護部長の秋庭聖子さん。

今年4月函館おしま病院(福徳雅章院長)の看護部長に就任したのが秋庭聖子さんだ。3月まで青森県立中央病院で緩和ケアを担当していた秋庭さんは愛知県の出身。地元の高校に進学後は公務員や教師を目指していた。「大学の入試試験は目標を実現させるための第一歩でしたが、試験当日はしっくりとしない気持ちに襲われました。看護学校を受験する友人を見て、大学以外の選択肢があることに気がつきました」。
名古屋赤十字看護専門学校を卒業後、名古屋第一赤十字病院へ勤務。希望した外科病棟ではなく、配属は中央手術室だった。「最初は役立たずの自分に自己嫌悪の毎日でした。『術野を見るように』と先輩から言われたことを忘れずに、イメージトレーニングを繰り返しました。そして医師の指示がなくても、次に必要な器具を予測できるようになり、新人でも評価されたことは自信につながりました」。
「当時、胃がんの患者に告げられる病名は胃潰瘍です。進行がんの場合も事実を知らされることもなく、亡くなる事例を目の当たりにして、疑問や憤りを感じていました」。昭和62年厚生省で「末期医療に関するケアの在り方の検討会」が開催され、同時期に東京で「ホスピスケア研究会」が発足。研究会に参加して、がんの痛みがとれることを知った秋庭さんは、病院の仲間と「ターミナルケア研究会」を設立する。「院内のがん患者に対する疼痛管理に改善はありませんでしたが、これは名古屋だけの問題ではなかったのです。自分が担当した白血病の患者3人が真実を告げられないまま亡くなった後、病院を退職しました」。



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