写真はマリアンヌ・ノースギャラリーの内部。寒い日でも温かく、座るためのベンチもあり、人々を十分にいやしてくれる。
【マリアンヌ・ノース・ギャラリー】
広大な園内に点在する温室や建物には、日本の江戸から昭和初期の農家の家を再現したと思われる「ミンカハウス(Minka House)」といった笹の生い茂る緑の小道の中間に突如現れる不思議な建物もありましたが、一番、建物の展示でインパクトがあったのが「マリアンヌ・ノース・ギャラリー(Marianne North Gallery)」でした。古風なイギリスの貴族のお屋敷のような建物を入ると、ヴィクトリア朝時代に世界を旅した女性が描いたボタニカルアート832点が壁を覆わんばかりに飾られていました。
マリアン・ノースは貴族の家系の子女で1830年生まれ。父の仕事の関係で、家族で世界を回り、1869年に父が亡くなってからは一人で世界を旅して植物の写生を行いました。アメリカ大陸の次に訪れたのが日本。1875(明治8年)11月7日から12月末までは、横浜、東京、神戸、大阪、京都を訪れ、日がたつにつれ、悪化するリューマチに苦しみながらも富士山と藤の花、印象的なオレンジ色の柿が印象的な絵など数点を遺しています。
まだ写真機が十分発達していなかったころ、彼女の絵はアメリカ大陸各地、日本、香港、シンガポール、ボルネオ、ジャワ、セイロン、そしてインドと植物を中心とした絵画として貴重なうえ、風景画としても楽しめるということでイギリスの博物館で展示の貸し出しの要望があり、またその後、個展を開いたりしたことで、評価も高まっていました。新聞評には「この植物画を主題とした絵画コレクションはキュー王立植物園を最終的な展示場所にすべき」と書いたものもあったのです。
当時、王立キューガーデンの園長は彼女の知り合いのジョゼフ・フーカー卿。そこで彼に手紙を書いて、園内に彼女の資金でギャラリーを建設する承諾を得、さらに彼女自身で建設場所も決め、設計者も指定して1882年6月7日に開館しました。
しかし、この館に出会うまでマリアンヌ・ノースその人もその絵もまったく知りませんでした。キューにきて、たくさん散策して、ほっとする建物を見つけて入って、偶然出会った膨大なこれらの絵画は、決して偶然ではなかったのです。彼女が少し正門から距離がありつつも必ず来園者が訪れるであろうパームハウスの敷地から遠くないところ。人々が帰り道にふと立ち寄る場所を選んだのです。
そして絵は、普通のボタニカルアートとは少し違う。植物の絵ではあるのですが、正統派ではないというか。植物の置かれていたお国柄を取り入れてみたり、色も端正な植物画とは正反対の、ちょっと濃いめだったり。その時の彼女の気分が反映されているような、情念のようなものを感じます。メキシコの女性画家、フリーダ・カーロにも感じるような湿度のある自我のような。
かといって、国立美術館に飾られている植物の写生画や何かを象徴するような画でもない。じつにじつに不思議な空間でした。
その場所をわかっていて意思を持って訪れた人もいたことでしょうが、多くの人はなにも予備知識なく、なんだろう、このお屋敷程度で入り込んだ感じでした。私同様、彼女の情念にあおられて、くらげのようにフワフワと漂っているのでした。
参考文献:柄戸正『ガリヴァーの訪れた国 マリアンヌ・ノースの明治8年日本紀行』(2014年、万来舎)