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かぼちゃの花炒め⑦ 

2015-10-02 10:41:58 | Weblog
市場にかぼちゃの茎を運ぶ女性。(文山にて)

【かぼちゃの花は食通の証?】
 当初、かぼちゃについて書かれた中国最古級の書が『滇南本草』なのだから雲南原産説もありかな、原産地だから余すところなく食べる知恵があるのかな、と当たりをつけていたのですが、調べてみると違うようでした。

 でも雲南ではカボチャの種から花、茎、葉っぱまで余すところなく、たしかに食べられていました。

 ご存じのようにカボチャの種はひまわりの種とともにお茶うけに中国各地で食べられます。日本で見るものと違って種が緑に見えるのは、白い皮をむいた中身だからで特別なものではありません。
 
ただ、かぼちゃの花を普段から食べる国は少なくてメキシコ、イタリア、中国の雲南ぐらいです。これらの共通することはあるでしょうか。

まず思い当たるのが、
① 中南米産の作物は手間をかけずとも単位当たりの収量が高いので、伝来された当初、貧しい地域で歓迎されたこと

② 材料の隅々まで上手に食卓に登らせる努力を惜しまなかったこと、つまり食べることに貪欲、食いしん坊だったこと

③ 新しい食文化に抵抗感がなく、受け入れる素地があること、たとえば、各少数民族が暮らす文化の多様性などがあったためかなあ、と考えます。

また、理屈抜きで考えると、かぼちゃの花を食べる地域は、どうも料理が私の好みにあうのです。野菜が豊富で、油っこくなく、味のバランスが絶妙。このラインで考えると、日本もかぼちゃの花の食文化があってもよさそうなのですが、伝来当初、肉食文化ではなかったせいなのでしょうか。

ちなみに料理に使うかぼちゃの花のほとんどは雄花です。雌花は受粉するとかぼちゃになります。日本の家庭菜園をされる方のブログを見ると、たくさん咲く花をせっかくだからと天ぷらや肉詰めにする料理を紹介され、イタリアでも食べている方法なのでおいしい、と書かれているのですが、日常食として定着している例はないようです。

花の鮮度が短く、すぐにしおれてしまうのでよほどのブームでもない限りは流通ルートに乗ることはないでしょう。      (おわり)
 
参考文献
李昇他「南瓜伝入中国時間考」『中国社会経済史研究』2013年第3期、p88-94、北京大学
内林政夫「コロンブス以前の中国のトウモロコシ-中国本草書[本草品彙精要]より」藥學雑誌126(1), 27-36, 2006-01-01 、公益社団法人日本藥学会
ベトナム料理・かぼちゃの花エビ天ぷらhttp://www.sbs.com.au/food/recipes/pumpkin-flowers-stuffed-prawn-bong-bi-don-thit
※1 趙伝集「南瓜産地小考」『農業考古』1987年第2期、p299-300、江西省社会科学院
※2 李兆良著『宣徳金牌啓示録-明代開拓美州』聯経出版、2013年10月

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