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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



太平洋戦争の開戦は、日本の中国に対する報償行動(法律用語でいう復仇、国際不法行為の中止を求める行為)がエスカレートした結果だったと歴史学者の加藤陽子さんは書いています。そこで近所の早春の花と一緒にその経緯を紹介しましょう。

相手国が条約に違反する行為をした場合には、それを中止させる目的で相手国の貨物や船舶を抑留したり、領土の一部を占領する行為のことを報償といい、当時は法律上の違法とは見做されませんでした。・・・紅梅

1932年(昭和7年)、リットン調査団が日本を訪れた際に大阪商業会議所は次のような書類を調査団に渡しています。・・・プリムラ・ジュリアンの黄色い花

「満州の変乱を惹起せるは(中略)支那が条約によって日本に認められたる権利を尊重しなかった(日本製品の不買運動の)ため、日本をして正当防衛の行動に出ずるの外なからしめた」・・・白梅

リットン調査団の付属書には、中国による日本製品ボイコットを武力によらない敵対行為とし、これは不戦条約に違反しているので日本は(正当な)報償措置を取っているとの記述があります。・・・サクラソウ

1937年7月、盧溝橋事件で始まった日中戦争で、双方が宣戦布告をしないまま戦闘を続けたのは、双方が日本の中国に対する報償行動と解釈していたからでしょう。・・・白梅

1938年(昭和13年)6月、近衛文麿の書いた文書には、日中戦争をあたかも匪賊(集団で掠奪・暴行などを行う賊徒)を討つ戦いとし「戦闘の性質は、領土侵略、政治、経済的権益を目標とするものに非ず、日支国交回復を阻害しつつある残存勢力の排除を目的とする一種の討匪賊戦なり」と書いてあります。・・・パンジー

また1939年(昭和14年)1月、中支那派遣軍司令部作成の文書に「今次事変は、戦争に非ずして報償なり。報償の為の軍事行動は、国際慣例の認むる所」とあります。・・・プリムラ・ジュリアン

この報償行動は、中国に送りこまれた陸軍の先陣争いとなってエスカレート、これを見た米国が硬化し、中国からの日本軍撤兵を要求したことが1941年12月からの太平洋戦争突入のきっかけとなるのです。・・・シャリンバイの若葉

日本は将兵を消耗品のように扱って一億玉砕(日本滅亡)の方針を展開、対戦する米軍は全力を上げて兵士への補給と救助活動を展開、勝敗は最初から決まっていたのでした。

参考文献:岩波新書 満州事変から日中戦争へ 加藤陽子著



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