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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



沖縄特攻に向かう途中、米軍機の空襲を受けて沈没した戦艦大和の測距儀伝令兵、北川茂さんの講演「戦艦大和の最後を語る」を先日聞いてきました。会場は撮影禁止だったので、海遊館の熱帯魚の写真と一緒に紹介しましょう。

戦後、近鉄電車に務め、現在90歳という北川さんは大変お元気で、当時の様子をしっかりとお話しされていました。・・・ツノダシ

その講演の中から、大和から退去して駆逐艦雪風に救助された部分を少しだけ紹介しましょう。・・・タテジマキンチャクダイ

総員退去の命令を聞いた測距儀伝令兵の北川さんは、大和の最高部にある15m測距儀の上に一旦避難しますが、大和がさらに傾いたため海中に転落、直後に起こった大和の海中爆発で海面に浮かびあがっています。・・・ミヤコテングハギ

しばらく重油の浮かぶ海を漂い、駆逐艦雪風に救助されますが、まだ大勢の生存者が海にいたそうです。・・・ツノダシ

先に救助されていた大和の能村副長(副艦長、海軍兵学校50期、海軍大佐)が、駆逐艦雪風の寺内艦長(海軍兵学校55期、海軍中佐)に救助を続けるように頼みますが、寺内艦長は、本艦の指揮者は私です、雪風はこれから帰港しますと回答、雪風は現地を離れた、と北川さん。

北川さんは、雪風が大和沈没地点を離れてすぐに敵潜水艦の追尾が始まり、乗員には音を出さないようにという潜水艦警報が発令され、警報の出ている間は生きた心地がしなかったそうです。・・・オヤピッチャ

北川さんは、現場を離れるのがもう少し遅れていたら、アメリカ潜水艦の魚雷攻撃で雪風は沈没、救助された大和乗組員も全員戦死した可能性があったので寺内艦長(1905年~1978年、40歳)の判断は正しかったと断言していました。・・・テングハギ

こうした実戦の経験者は次第に高齢化していて、あと10年もすると聞くことができなくなると思うので、今回は貴重な機会でした。・・・ヒメアイゴ

 北川さんの講演を聞いて、救助した駆逐艦雪風のことをもっと知りたくなりました。

 つづく



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