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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



先日「戦艦大和の最後を語る」という北川茂さんの講演を聞いたので、北川さんを救助した駆逐艦雪風側の乗組員の証言と、鶴見緑地公園の早咲きの桜の花に飛んできたメジロの写真を紹介しましょう。

駆逐艦雪風の乗組員だった豊田義雄氏の「戦艦大和から雪風へ転勤・二年四か月の奮戦記」によれば、沈んだ大和に一番近い位置にあったのが、駆逐艦雪風で大和爆沈後、海面が平静となると、黒い油が流れた海面に黒い(人の)頭がここかしこに浮いていたと書いています。

一塊になって漂っている大きい方の集団から近づき、舷側からロープ、竹竿、ロープの先に浮き輪をつけたものを投げて引き揚げたそうです。

救助作業をはじめた15時30分、ゴマ粒のような数百機の敵機を見つけ緊張しましたが、敵機は大和の沈没を確認、そのまま消え去っています。

駆逐艦雪風は、大和の生存者を救出するのに約3時間を要し、全員の救助が終わる頃には日没となり、日が落ちてからの生存者救助作業は非常に困難となったといいます。

日没で敵潜水艦の攻撃の可能性が高くなるなか、損傷して自力で動けない僚艦(同時出撃し、まだ沈んでいない駆逐艦)の救助が待っていて、まず磯風に付けて乗員(326名)を収容、その後、磯風の魚雷を狙って砲撃して磯風を沈めています。

次に駆逐艦浜風も同様に処分し、残存艦の雪風、冬月、初霜は救助した各艦乗員を満載し、佐世保に向かったのが22時50分、佐世保入港は翌8日の朝9時頃だったそうです。

夕方には前部を大破した駆逐艦涼月が後進のまま帰投して計4隻の駆逐艦が帰還しましたが、特攻艦隊は大和、矢矧、磯風、浜風、霞、朝霧が沈み、計3721名の戦死者を出して挫折しています。

雪風の田口航海長の証言によれば、撃墜された米軍パイロットも相当数泳いでいましたが、その付近の海面は緑色のマーカーで色取られ、それをめがけて米軍飛行艇が着水し手際良くパイロットを収容していたそうです。

一億玉砕、死んで靖国神社で再会しようという日本に対し、撃墜されてもすぐに救助され、生きて再会できる米軍、戦う前から勝敗は明らかだったのです。

参考文献:激動の昭和 世界奇跡の駆逐艦 雪風 駆逐艦雪風手記編集委員会編集

つづく



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