野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



江戸時代、天下の台所と知られた大坂には、町人に比べて武士の数が極端に少なかったことが知られています。

  

 

その人数には諸説あるようですが、薮田貫さんの著書「武士の町大坂」の中の数字が最も信頼性が高いと思うので、大阪城の写真と一緒にそれをご紹介しましょう。天守閣

 

 

薮田貫さんは、1大坂城内に在勤する武士、2大坂城外の奉行衆、3与力同心、4諸藩の蔵屋敷に勤務する武士の4グループに分け、その数を明らかにしています。大手門

  

 

まず、1の大坂城内には東西2組の大番衆とその与力がいて合計980人。次に山里、青屋口、中小屋、雁木坂に配置された加番(4名の大名)とその家来が1000人。青屋口加番は、青屋門の内側に配置されていた

  この

 

さらに京橋口と玉造口に置かれた定番(2名の大名)とその家来が470人。定番に付属する地方の与力同心は別にカウントしています。京橋口に通じる極楽橋

  

 

大坂城のトップとして君臨する城代は、就任する大名の石高によって家来の数が変動するので610~1005人、徳川幕府の軍事拠点だった大坂城内には、常時3160~3555人の武士がいたようです。城代が守備した大手多門櫓

  

 

次に2の奉行衆は、東西町奉行と川口の船奉行、その家来家族が210人。大坂城の6役奉行(鉄砲、弓、具足、金、蔵、材木)とその家来家族が350人。さらに2人の大坂代官とその家来家族が90人、奉行と代官合わせて650人となります。ここまで1,2でカウントした武士は幕府から派遣される転勤族だったようです。大阪城の金蔵は金奉行の所管

  

 

定番と奉行衆の配下で転勤の無かった地方役人、3の与力同心は、定番付属、町奉行、船奉行付属、6役奉行付属、合わせて与力130人、同心480人、蔵番など123人、その家族を合わせ3000人。天守閣

  

 

最後に4の諸藩大坂蔵屋敷に勤務する武士は、1藩平均10名とし90藩で900名としています。本丸への正門、桜門

  

 

以上を総計すると7710~8105名、江戸時代の大坂の人口は、約40万人とされていたので武士の比率は僅か約2%程度だったようです。

 

 

参考文献:「武士の町大坂」薮田 貫著

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )