野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



大阪における陶磁器商のおこりは、肥前鍋島家の上屋敷に肥前物の伊万里焼が回漕され、それを商人が扱ったことに始まるといいます。

坐摩神社



その後尾張産の陶器、つまり瀬戸物を扱い始めたことにより陶磁器商は急成長を遂げ、西横堀問屋街が形成されています。



その後も瀬戸物の大商いは続き、1680年には江戸堀から四つ橋までの西横堀が「瀬戸物町」と呼ばれるようになり、今もその名残となる陶磁器商を数軒見ることができます。

四つ橋付近の西横堀跡



幕末から明治、大正にかけての瀬戸物町には、200以上の陶磁器商店が軒を並べ、近畿、四国、北陸地方にその販売網は広がっていたようです。

坐摩神社の境内のスイレン



藁を荷造材料として大量に使う西横堀せともの町の陶器商人は、江戸時代に火防の神として愛宕山将軍地蔵を守護神と仰ぎ、厚く信仰していたようです。

坐摩神社の境内のハス



その瀬戸物町の商人たちが、毎年夏に端物や見本品を一般の人々に安く提供したのが「せともの市」で、江戸時代初期から受け継がれてきたようです。



陶磁器商達は、1872年火防地蔵尊に代って靭南通一丁目に火防陶器神社を創建しましたが、1907年、市内電車敷設のために、坐摩神社の境内に移転したようです。

坐摩神社の境内のむくげ



しかし、1945年に戦災に遭ったために西横堀浜筋に再建されましたが、1971年阪神高速道路の敷地となったことで坐摩神社の境内に再び移転しています。



移転した陶器神社の扁額は、火防陶器神社の名にふさわしく燃えない陶器製で、野球の火消し役となる押さえのピッチャーに、ぜひ紹介したい神社なのです。



坐摩神社の境内では、「大阪せともの祭」が催され、ここでは器への感謝の気持ちを込めて、「茶碗供養」があるので有名です。



先週の23日、その「大阪せともの祭」が開催されていましたが、今日の坐摩神社はその屋台が片付けられて静かでした。



坐摩神社の神紋、サギにちなむサギソウは、丁度今が開花の季節なので展示がしばらく続きそうです。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )