野鳥・旅行・観光・テニスなど趣味の写真ブログ
ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1960年7月の大淀区住宅地図を見ると、ウェスティンホテル大阪が建っている場所は「ブルトーザー工事KK整備工場」、整備工場の南の道路を挟んだ狭い土地が創業から13年目の「ブルトーザー工事KK」の本社であろう。



創業者青木氏の子息が会長に、興銀OBのM氏が社長に就任した1989年頃が「ブルトーザー工事KK」から社名変更した青木建設の絶頂期であった。

青木建設がオーナーであったウェスティンホテル大阪



この頃、メインバンクのあさひ銀行とサブメインバンクの興銀との融資をめぐるつばぜり合いは高杉良氏の小説に詳しく描かれている。

しかし、1991年にバブルが崩壊すると青木建設の過大投資は一気に裏目に出ることになったが、有利子負債は5500億円にも膨れ上がっていた。

ウェスティンホテル大阪からの梅田の夜景



ウェスティンホテル大阪開業の翌年、1994年には早くもホテルチェーンを売却するはめになっている。

ウェスティンホテル大阪のスタンダードな客室



足元を見られたせいか、ウェスティンホテルチェーンのスターウッド・グループへの売却は、買収金額の1730億円よりもかなり安い値段だったようである。

ウェスティンホテル大阪のアトリウム



1996年に青木建設は大幅赤字となり、興銀から来たM社長は副会長に退き、代わって社長となったのは、建設省OBの矢野洋一郎氏である。

ウェスティンホテル大阪客室から見た梅田



それでも業績の回復が進まないため1999年、銀行団から2049億円の債務免除を受け、会長と副会長が揃って引責辞任している。

ウェスティンホテル大阪のレストラン



しかし青木建設は、2000年12月負債総額5220億円を抱えて民事再生法を申請して倒産、創業以来54年の幕を閉じたのである。



創業者であった故青木益次氏は、東大法科から大蔵省に入った秀才の長男に社長の座を譲ったとき、まさか会社をつぶされるとは夢にも思わなかったであろう。

ウェスティンホテル大阪客室から梅田スカイビル



エリート大蔵官僚であった青木の子息も、民間会社の経営など大蔵省の仕事に比べればたいしたことはないと軽く考え社長を継いだのかもしれない。

その後2004年4月に東証1部上場の「あすなろ建設」が青木建設を吸収合併し「青木あすなろ建設」として再スタートしている。

旧青木建設本社は今は青木あすなろ建設



青木あすなろ建設の資本金は50億円、売上高983億円(2006年3月決算)、バブルの最盛期の青木建設は資本金217億円、売上高2500億円を誇っていたので正に泡のように膨らんでいたのであろう。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )