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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



京都から九州までの天満宮の中で、特に菅原道真に関係の深い25か所を選んで「菅公聖蹟二十五拝」というらしいが、阪神福島駅前の福島天満宮は、その第12番とされている。



901年、左遷された菅原道真が、航路を使って太宰府をめざした時、当時西への船旅の風待ち所(島)がこの地であったという。



ここに立ち寄ったとき1本の梅の木を見た道真は、「行く水の中の小島の梅さかば、さぞ川浪も 香に匂ほらむ」という歌を詠んだという。

土地の土豪であった「徳治郎」のもてなしを喜んだ道真は、布に自らの姿を描いて与えたといい、現在も此の自画像が福島天満宮の御神体となっている。



道真が風待ちの間にこの土地(島)の名を聞くと、鹿飢島とか葭原島と呼ばれているとの答えであったので、徳治郎の徳にちなんだ「福島」と改めればどうかと言ったらしい。

福島天満宮鳥居の向こうには超高層ビル



それ以降、この地は福島と呼ばれるようになったというので、福島の名付け親は天神さんでおなじみの菅原道真という大物であった。

大宰府に左遷されてほどなく道真は亡くなっているが、訃報を聞いた福島の人々は、その徳を慕い、907年に道真が歌を詠んだ梅の木の場所に祠を設け道真を祀ったのが福島天満宮の創始であるという。

福島天満宮から程近い玉江橋



従って福島天満宮の創始は、919年とされる太宰府天満宮、947年の京都北野天満宮、949年の大阪天満宮よりも更に古い1100年の歴史を持っている。

福島天満宮の旧社殿は、1909年の大火で炎上し、御神体を除く旧記・宝物等大部分が、灰燼に帰したが、6年後に本殿が再建され、1921年には拝殿以下の社殿が竣工している。

福島の超高層ビル全景



戦時中の1945年、境内に焼夷弾が11発も落下したが、すべてが不発弾であったために焼失を免れたのは道真の霊験であったのかもしれない。

境内



1967年、なにわ筋の拡幅で120坪を道路に提供しているので、現在のような狭い境内になってしまったようである。


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