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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



長居公園にある「花と緑と自然の情報センター」バラ展で展示されたバラ


日本はバラの自生地として世界的に知られており、品種改良に使用された原種のうち3種類は日本原産である。


奈良時代の西暦713年に編纂された『常陸国風土記』には、「土賊を滅ぼすために、イバラを穴に仕掛け、追い込んでイバラに身をからませて捕まえた」とある。


イバラが多く自生していた常陸国には、この故事にちなむ茨城という地名があり、県名の由来となっている。


又、大阪府の茨木市もイバラの茂る野原だったことから、茨木となっているのでバラは日本と大変ゆかりの深い植物なのである。


江戸時代には園芸バラが栽培されおり、当時日本を訪れたドイツ人ケンペルはヨーロッパで人気のあるバラが日本でも栽培されているのを見て驚いている。


明治維新を迎えると明治政府はヨーロッパのバラ「ラ・フランス」を農業試験用の植物として取り寄せ、青山官制農園(いまの東京大学農学部)で栽培させたが、西洋からの舶来種のバラは「高嶺の花」であった。


その後、バラが接ぎ木で増やせることから、優秀な接ぎ木職人のいる、東京郊外や京阪神地域の郊外で栽培が行われるようになった。


バラは華族や高級官僚といったパトロンを得て、日本でも徐々に愛好され始め生産量も増え始めた。


大正から昭和のころには一般家庭にも普及し、宮沢賢治が「グリュース・アン・テプリッツ(日本名:日光)」を愛し、北原白秋の詩にもバラが登場している。


第2次世界大戦で日本でもバラの栽培より野菜の栽培が優先され、生産が停滞したが、戦後すぐの1948年には早くも銀座でバラの展示会が開かれた。


鳩山一郎や吉田茂など戦後の大物政治家はバラを愛好し、戦後日本でのバラの普及に大いに貢献した。


日本ではバラは花卉としてはキク、カーネーション、とならぶ生産高があり、ハウス栽培で年中市場に供給されるようになった。




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