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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



ユネスコの世界文化遺産に登録された京都の寺社17箇所のうち平等院と宇治上神社の2箇所をまとめて見て来た。

京阪電車を中書島で乗り換え、宇治駅に着くと、歴史の街とは対照的なコンクリート打放しのモダンなデザインの駅であった。

駅前の宇治橋を渡り、門前町の表参道を抜けると表門があり、観光客が行列を作っている。

10分くらい並んでやっと境内の中に入ると樹齢200年以上という有名な藤棚が目に飛び込んできた。

その藤棚越しの観音堂の屋根が美しい。

拝観券に書いてある解説によれば1052年関白藤原頼通が父親の藤原道長の別荘を寺に改装したとされ鳳凰堂は今から953年前の1053年に建立されている。

藤棚の前には阿字池という広い池がありその池に面して10円硬貨で有名な鳳凰堂が見えてくる。

鳳凰堂を取り囲んだ池の周囲を藤棚の反対側まで半周すると鳳翔館という2001年に完成した博物館があった。

中はかなり混雑していたのでざっと見て回っただけであるが、鳳凰堂の屋根の鳳凰(国宝)の本物はこの中に展示されていた。

そのほか今から953年前に作成された雲中菩薩像などの平等院の国宝の多くはこの中に収められていて、鳳凰堂の中にはレプリカが置かれているようであった。

鳳翔館を出て、鳳凰堂の裏に回ると屋根の鳳凰が近くに見える。

さらに少し歩くと1180年宇治で挙兵し平家滅亡のきっかけを作った源頼政の小さな墓があった。

もう一度阿字池を一周して平等院の観光を終わり、鳳翔館の手前の鐘楼の横にある南門から外に出ることにする。

この南門でも藤原氏にちなむ藤の花が満開であった。

南門から歩いて5分のところに宇治川にかかる朱塗りの喜撰橋があり、中州の島から対岸へかかる朝霧橋を渡ると宇治神社である。

この宇治川は西暦1184年1月、木曽義仲軍と川を挟んで対峙した義経軍の佐々木高綱と梶原景季が、それぞれ頼朝から与えられた「生唼いけずき」と「磨墨するすみ」という名馬に乗って先陣を競った場所である。

吉川英治の小説に梶原景季が頼朝の名馬の中のナンバーワンである生唼を賜りたいと所望したが、断られたためにやむなく2番目の名馬磨墨を拝領したという。

佐々木は最初から生唼を狙っていたが、頼朝の性格を読んでまず梶原景季が磨墨を拝領したと聞いた後で頼朝にねだって生唼いけずきを見事拝領している。

途中生唼に乗った姿を梶原景季に見咎められた時、高綱は頼朝から盗んだと機転をきかせた嘘をついて、梶原景季の怒りをかわしている。

先陣争いでは途中まで梶原景季の乗る磨墨が勝っていたが、馬の腹帯が緩んでいると佐々木に言われた景季が、それを確認している間に佐々木の乗る生唼が最初に宇治川を渡るというドラマがあったのである。


この宇治神社からさわらびの道という新緑の遊歩道を少し歩くと世界文化遺産の宇治上神社で、ここは宇治川を挟んで平等院の対岸に位置し、平等院の鎮守社として社殿が整えられたらしい。

手前にある拝殿(国宝)は、鎌倉時代前期に伐採された桧が使用されており、鎌倉時代の建物遺構ということで、確かに古く屋根が崩れ落ちそうである。 

菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)、応神天皇、仁徳天皇を祀る本殿(国宝)は平安時代後期に伐採された木材が使われており神社建築では日本最古といわれている。

さわらびの道をさらに歩くと源氏物語ミュージアムがあったが、疲れたので素通りして宇治駅まで引き返すこととした。


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