遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

薬品の値上がり  知的財産権保護で ジェネリック医薬品は消える

http://dot.asahi.com/wa/2014061100110.html

混合診療の導入で 医療格差は広がる

国民皆保険制度は 崩壊する

結果的に 同じ医療費でやってもらえる医療の内容が縮小する

金持ちは自由診療     

腕のいい医師は自由診療や海外へ       

貧乏人は質のいい治療が受けられなくなる

http://matome.naver.jp/odai/2137300661225761301

とにかく 病気にならないようにするしかない。

 

アメリカの投資家は大喜び

http://markethack.net/archives/51962745.html

日本の株価がいっとき上がったとしても TPPで 日本が壊れたらなんにもならない。

TPPで農業 医療 ....命に関わることが崩壊するのだから

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


天皇  


 

天皇はもともと 神 ではなく 祭祀をつかさどる祭祀王 ときにかんなぎであった。 天皇を神にしようとしたモノはすなわち 天皇の威光を利用しようとした輩なのである。

天皇は天意 神の御心を民につたえる御役であった。 政治をまつりごとというのはその名残である。上代では、神を祭ることと政治とが一体である祭政一致であった。天皇は神に祈り 神の声を聴くことで世を治めたのである。逸脱すれば 世が乱れるのは必定であるかもしれない。

『禁祕抄』(順徳天皇著・承久年間成る)は宮中の故實・慣例を記したもので、其の中に「禁 中は年中、事を以て大事とする」との意が記されてゐる。皇室は幾度か危機に瀕したが、必 ず天皇は事を守り祭祀王の道を守られたのである。

今も宮中では毎日のように さまざまな祭祀がおこなわれていると聴く。

わたしは大正天皇を敬愛している。大正天皇は決してお脳のよわい方ではなかった。軍部にとって都合のいい存在ではなかったので 譲位されたようだ。

昔 宮内庁の方に 皇太子様はすばらしい方だとうかがって以来 皇太子様も敬愛している。おことばとおふるまいにブレがない。

どうか 日本が 永遠に平和を希求する国でありますように。

まことに 神国にふさわしい 寛恕の国  喜びの国  曇りなき国  安らかな国でありますように。

 

大正天皇御製

「神まつるわが白妙(しろたえ)の袖の上に かつうすれ行くみあかしのかげ」(大正10年 皇太子(昭和天皇)が摂政として立たれ 祭祀王としての御役から降りられたときの御歌。)

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 

安倍政権は アメリカの顔色をうかがい 県民の意志に反して 辺野古移転を強引に推し進めようとしています。 日本が沖縄を見捨てたのは今回がはじめてではありません。

戦後 沖縄を貸すと米側に伝えた天皇メッセージ  天皇の特使がソ連に持ってゆこうとした和平交渉要綱にはには 沖縄 小笠原 樺太 千島の半分を捨てると記されていたそうだ。そして沖縄戦 島民の1/3が亡くなった。こんな目にあったからこそ 沖縄県民の意志は強いのだろう。海上保安庁の乱暴や 戦車を出してまでのデモ押さえつけには そこに差別 の気持ちが介在しているのではないだろうか。沖縄を書いても リツイートが少ないのは 本土に住む人にとって 沖縄が観光地に過ぎないからなのか それとも なんらかの罪悪感からなのか わからないが 沖縄は植民地日本の最前線であり その意味でもわたしたちの代わりに戦っているのだと思う。

⇒ こちら

沖縄の運命を変えた史実は、十分解明されなかった。
宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。米軍による沖縄の軍事占領を望んだ「天皇メッセージ」を日本の公式記録として記述した。
しかし、沖縄の問題で重要とみられる連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサーとの会見記録や、戦争に至る経緯などを側近に述懐した「拝聴録」は「見つからなかった」との理由で、盛り込まれなかった。編さんに24年かけたにしては物足りず、昭和史の空白は埋められなかった。
 昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている。最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の「捨て石」にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。
二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」は、日本の領土について「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から「捨てる」選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。
三つ目が沖縄の軍事占領を希望した「天皇メッセージ」だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。「天皇メッセージ」から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して「軍事植民地」状態が続く。「象徴天皇」でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。
 私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して「贖罪(しょくざい)意識」を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。

 以上

戦後 マッカーサーは日本統治のため 天皇を戦犯にせず 効率よく利用した。日本全国の巡幸を天皇に示唆したのもマッカーサーだったという。岸 信介 など 戦犯も利用した。もちろん 戦中からの CIA直属 ヨハンセングループ 吉田 茂なども利用した。 闇米摘発からはじまった検察も利用した。 かくして 戦後70年たった今も 実質 植民地である。 どうか 一刻も早く真性の自立した国となりますように。TPP 歯止めなき集団的自衛権のまやかしが 国を売らんとする国賊の正体が 明らかになりますように。

⇒ こちら



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )