安倍政権は アメリカの顔色をうかがい 県民の意志に反して 辺野古移転を強引に推し進めようとしています。 日本が沖縄を見捨てたのは今回がはじめてではありません。
戦後 沖縄を貸すと米側に伝えた天皇メッセージ 天皇の特使がソ連に持ってゆこうとした和平交渉要綱にはには 沖縄 小笠原 樺太 千島の半分を捨てると記されていたそうだ。そして沖縄戦 島民の1/3が亡くなった。こんな目にあったからこそ 沖縄県民の意志は強いのだろう。海上保安庁の乱暴や 戦車を出してまでのデモ押さえつけには そこに差別 の気持ちが介在しているのではないだろうか。沖縄を書いても リツイートが少ないのは 本土に住む人にとって 沖縄が観光地に過ぎないからなのか それとも なんらかの罪悪感からなのか わからないが 沖縄は植民地日本の最前線であり その意味でもわたしたちの代わりに戦っているのだと思う。
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沖縄の運命を変えた史実は、十分解明されなかった。
宮内庁は昭和天皇の生涯を記録した「昭和天皇実録」の内容を公表した。米軍による沖縄の軍事占領を望んだ「天皇メッセージ」を日本の公式記録として記述した。
しかし、沖縄の問題で重要とみられる連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサーとの会見記録や、戦争に至る経緯などを側近に述懐した「拝聴録」は「見つからなかった」との理由で、盛り込まれなかった。編さんに24年かけたにしては物足りず、昭和史の空白は埋められなかった。
昭和天皇との関連で沖縄は少なくとも3回、切り捨てられている。最初は沖縄戦だ。近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から1945年2月、早期和平を天皇に進言した。天皇は「今一度戦果を挙げなければ実現は困難」との見方を示した。その結果、沖縄戦は避けられなくなり、日本防衛の「捨て石」にされた。だが、実録から沖縄を見捨てたという認識があったのかどうか分からない。
二つ目は45年7月、天皇の特使として近衛をソ連に送ろうとした和平工作だ。作成された「和平交渉の要綱」は、日本の領土について「沖縄、小笠原島、樺太を捨て、千島は南半分を保有する程度とする」として、沖縄放棄の方針が示された。なぜ沖縄を日本から「捨てる」選択をしたのか。この点も実録は明確にしていない。
三つ目が沖縄の軍事占領を希望した「天皇メッセージ」だ。天皇は47年9月、米側にメッセージを送り「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示した。実録は米側報告書を引用するが、天皇が実際に話したのかどうか明確ではない。「天皇メッセージ」から67年。天皇の意向通り沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中して「軍事植民地」状態が続く。「象徴天皇」でありながら、なぜ沖縄の命運を左右する外交に深く関与したのか。実録にその経緯が明らかにされていない。
私たちが知りたいのは少なくとも三つの局面で発せられた昭和天皇の肉声だ。天皇の発言をぼかし、沖縄訪問を希望していたことを繰り返し記述して「贖罪(しょくざい)意識」を印象付けようとしているように映る。沖縄に関する限り、昭和天皇には「戦争責任」と「戦後責任」がある。この点をあいまいにすれば、歴史の検証に耐えられない。
以上
戦後 マッカーサーは日本統治のため 天皇を戦犯にせず 効率よく利用した。日本全国の巡幸を天皇に示唆したのもマッカーサーだったという。岸 信介 など 戦犯も利用した。もちろん 戦中からの CIA直属 ヨハンセングループ 吉田 茂なども利用した。 闇米摘発からはじまった検察も利用した。 かくして 戦後70年たった今も 実質 植民地である。 どうか 一刻も早く真性の自立した国となりますように。TPP 歯止めなき集団的自衛権のまやかしが 国を売らんとする国賊の正体が 明らかになりますように。
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