リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

何か違和感が・・・

2015年11月15日 | 日々の風の吹くまま
久しぶりの日差しがうれしい日曜日。山並みを覆っていた雲のベールが上がると、やっぱり
雪景色。朝食後はちょっとさぼって、リビングのお気に入りのチェアで日向ぼっこをしながら
しばしタブレットでゲーム。川向うの埠頭には大きな貨物船が3隻も横付け。自動車埠頭で
はずらりと並んだ新車が日差しを浴びてきらきら。明るい太陽の光を浴びていると体の芯ま
でほかほかと幸せな気分になる。ああ、ワタシはこういうひとときが欲しかったんだ・・・。

だけど今日も仕事日。まず最初の仕事を納品して、明日が納期の2つ目にかかる。「わが
社の社員の正しい行動のあり方」みたいな文書。「こういうことはやりません」て、やらない
のが社会人として当然じゃないかと思うけど、そんなのおかまいなしに思い付きで正しくな
い行動をする脳タリンが増えたのかもしれない。それで「こういうことはやっちゃダメだよ」と
いうマニュアルが必要になったんだな、きっと。でも、よけいなことを考えている暇にさっさと
仕事を終わらせないと。だって、「受注しました」ってメールが来ているから、今週は仕事漬
けだぁ・・・。

仕事の合間にニュースを読んだり、掲示板やFacebookをのぞいてみたり。Facebookに
はフランスの三色旗を重ねたプロファイル写真が溢れている。無差別テロの犠牲者を悼む
のは人として真っ当なことだし、その気持を共有することに異存はないけど、三色旗の後ろ
にあるのは幸せいっぱい、笑顔いっぱいの写真。そういうのがずらりと並んでいるのを見る
とどうしても違和感が沸いて来る。付和雷同していると言ったら意識高い系に攻撃されそう
だけど、ツイッターの安直なリツイートと同じように、どうしてもメディアイベントになっている
という印象になってしまう。

このソーシャルメディアも今では個人の言論や表現の自由を脅かす武器になって来た感じ
がする。どこかの(権利)意識高い系がFBやツイッターで脈絡を無視して「この言葉/表現
は不快だ」とか「人種差別だ」とメディアに載せただけで、寄って集ってのメディアリンチで謝
罪させたり、辞職に追い込んだり。当の意識高い系は自由と人権の旗を振っているつもりだ
から、他人の自由と人権を侵害しているとは思いもしないだろうな。ひとりが(自分が)不快
なものは何であれ許せないというのに付和雷同した群衆によって言論が封じられて、結局
は誰も何も言えなくなるなんて世の中にならないといいけど・・・。