リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

世界もちょっとひと休みしたらいいのに

2014年03月16日 | 日々の風の吹くまま
きのうはずいぶん雨が降ったと思ったら、今度は強風注意報だって。大雨と一緒に来ない
だけましかもしれないけど、今年の弥生3月は何か荒れるなあ。まあ、世界も何やかんやと
荒れ模様。マレーシア航空の飛行機は謎が深まるばかりで、どうもパイロットにハイジャック
されたのではという話になって来た。飛行機を操縦するパイロットがハイジャック犯になって
は、どんなセキュリティ対策を講じてもどうしようもないだろうな。機長はどう見ても狂信的な
人ではなさそうだけど、まあ、人間は誰でも親しい人にもわからないことが多いから。

プーチンは何が何でもクリミアを取り返すつもりのようで、次はロシア人の人口比率が高い
ラトビアを狙っているという噂もある。クリミアとは状況が違うけど、イタリアでは何とベニス
で千年の栄光を取り戻そうとイタリアからの独立を問う住民投票があったと聞いてびっくり。
カナダでは、ケベック州議会の総選挙でまた分離するの、しないの。もっとも、ケベック以外
のカナダ全国で分離を認めるかどうかの国民投票をしたら、「出て行きたきゃ行っていいよ」
派が多数を占め可能性がある。カナダ人はそのくらいケベックにうんざりしているってことだ
けど。

今日は日がな一日あくびが出るくらい退屈な契約書の翻訳。それにしても、ちょっといいホ
テルの部屋くらいの面積しかないスペースを借りるのに、すごく手続きが煩雑でびっくり。好
奇心からストリートビューで調べて見たら、「何とかハイツ」とか名前が付いていそうな、東京
中のいたるところにあるような二階建ての何の変哲もない、いわゆる「マンション」だった。ぐ
るっと見回すと、あちこちの道端に自動販売機が並んでいて、どの商店の前にものぼりが
何本も立っていて、家の玄関先には鉢植えが並んでいて、消防車がつっかえそうな狭い道
路が行き着く交差点には「止まれ」と書いてあって、つまり、東京中のいたるところにある
「風景」。近代的な巨大都市の東京でも、ビル街をちょっと外れると、歩いていて見える風景
には紛れもなくアジアの雰囲気がある。

その東京に行くまで、あと2ヵ月半。飛行機とホテルはとっくに予約を済ませたけど、保険の
つもりで予約したホテルのキャンセルを忘れないようにしないと。でも、その前に次の火事
場仕事をやっつけないと、3月が終わってしまう。ライオンのごとくやって来た3月、子羊の
ごとく去るのか、ライオンのごとく吼えながら去るのか。風、強くなって来たなあ・・・。

☆どこへ行くのか、アベジャパン

2014年03月16日 | 日々の風の吹くまま
3月15日。日本の浦和というところのサッカースタジアムに、日の丸と「旭日旗」と一緒に「JAPANESE ONLY」という横断幕を張った人がいて、人種差別だと問題になり、結局は「観客なしでの試合」という処罰を受けて一件落着したらしい。幕を張った本人は本気で「外国人お断り」の意思表示だったという話だけど、外国人といってもいろいろだから、いわゆる「欧米人」も含まれるのか、それとも「アジア人」だけが対象なのか、それとも人種に関わらず「非日本国籍者」すべてが対象なのか。まあ、旭日旗を見ればだいたいの見当はつくから聞くまでもないけど。サポーターともめると困るから(つまりクレーマーが怖い?)、本人の同意を得てから撤去することになっていたそうで、「お客サマは神サマ」は建前で、本音は「腫れもの」ということかな。

浦和は大東京圏にあるという以外はどんなところか知らないけど、社長曰く、「職員の差別に対する感度の低さが最大の原因」。ふむ、「差別に対する感度」ねえ。つまり、「JAPANESE ONLY」という表現を見て、外国人排除を意味するものだと気づかなかったのか、それともそれが差別だとは思わなかったのか、それとも無意識に同調したのか、それとも英語がまったく読めなかったのか。いずれにしても、日本の思想には、差別の善悪意識どころか「差別」という概念そのものがないんじゃないかと思う。というよりは、日本人は概して他人の(特に自分に向けられた)行為に対しては時には異常なほど敏感だけど、自分の行為に関してはいたって鈍感なだけだと解釈すべきなのかもしれない。

それでも、少なくとも日本社会の潮流は確実に排外主義、排他主義に流れていると思う。そういう社会が日常であれば肌で感じることはないかもしれないけど、「部外者」として外からのぞいていると、排他主義がじわじわと巷に浸透しつつあるような印象を受ける。というよりは、排他的な意識は元から「異質なものを排除したい」という欲求の中に存在していて、バブル崩壊後の長い閉塞状態で鬱積した不平不満を嗅ぎ取った狡猾な人間たちがそれを巧みに利用しているということかもしれない。世界の歴史を見ると、為政者が都合が悪くなると人民の不満の矛先を異人種、異文化、異宗教に向けさせて、差別や迫害を生み、殺戮や戦争を起こした例はいたるところに数え切れないほどある。

もちろん、日本国民が日本という国、日本人という民族に誇りを持つのは当然のことで、それを誰がとやかく言う筋合いはないけど、その誇りが他を貶めて排除することで得られるものなら、どれだけの価値があるというんだろう。いくら国際化を叫んでもそれは建前であって、外国人に痛いところを指摘されると「我々は(お前たちとは)違うんだから」と返すのは、300年も鎖国していた国の「我々意識」が変わっていないということかな。まあ、外国に行けば行ったで、想定通りにならないとその国や国民を散々に貶して溜飲を下げているけど、日本語でやっているから、結局は自慰と同じ。それで本人たちの気が晴れるならそれでいいけども。

一般に個人を社会の最小単位と見ない日本社会では、誰もが垂直に細分された「層」あるいは「群」のどれかに所属していて、それぞれの職名や地位で呼ばれる。新聞記事を見るだけでも、個人の名前に必ずといっていいほど会社員、主婦、無職、会社社長といった「地位称」が付いていて、それが記事の内容とどんな関係があるのかと首を傾げることが多い。まあ、個人が基準じゃないから、そういう「呼称」を遣うしかないのかもしれないけど、今日の大手新聞サイトには見出しに「中国籍の男」というのがあった。「フィリピン国籍の女」、「韓国籍の男」といった、外国人であることをわざわざ強調するような見出しや記事は今に始まったことではないし、意図が透けて見えるんだけど、そういう見出しをつけた記者も編集者も、たぶん自分たちの差別意識には気づいていないだろうな。

今日のJapan Timesにいわゆるネット右翼に関する記事があって、1930年代に「自由主義、個人主義、資本主義の世界の失墜は避けられない」と、ファシズムを賞賛した官僚の発言を引用して、「日本はあの時代に戻ろうとしているのか、戻ろうとしていると考えるのは杞憂なのか」と問いかけていた。ナショナリズムの波が日本を飲み込んだのは東北大震災で被災者の忍耐力や秩序ある対応を世界に賞賛されて舞い上がってからだったと筆者は言っている。困った人を助け、弱者に涙するのは日本人の遺伝子だとある老学者が言ったそうだけど、震災から3年経った今でも26万人もの人たちが避難生活をしている東北と、東北復興の資金も人手も流れるであろうオリンピックに今から浮かれている東京のコントラストこそが日本だと思うけど。

記事はネット右翼についても、単なる過渡期の現象なのか、あるいは新しい未来の始まりなのかは今のところわからないとしながらも、「日本のメディアも政治も経済も在日に牛耳られている」というのは、ナチの「ユダヤ人が秘密裏に世界を牛耳っている」という宣伝と似ていると言う。まあ、韓国や中国に対して異常な憎悪を燃やして罵詈雑言をネットに振りまいている連中は、おそらくバブル崩壊後の閉塞感や孤独感、無力感、不幸感といったネガティブな感情から来る苛立ちを考えもせずにぶつけて高揚感を得ているんだと思うけど、それが今ではネット右翼主婦まで登場して、中国人や韓国人だけでなく、韓流からキムチを売るスーパーから韓国車を運転する日本人にまで憎悪の牙を剥き、その子供たちまでが「反韓」を口にしているという話で、こっちの方が日本の将来にとってずっと危険だと思うな。

理性派だと思っていた人たちまでが感染している兆候が見えていたところなので、考える自分を持たない無知な人たちはひとたまりもなく洗脳されてしまいそうだな。人種差別や排他主義が蔓延るのは貧困や無知に囚われている地域や集団に多いように思う。独裁者が現れやすいのもそういうところじゃないのかな。貧すれば鈍するという譬えの通りなのかもしれない。ネット右翼に乗っ取られて久しいローカルの掲示板でも反韓、反中、反在日、反日本の憎悪が燃え盛っていて、英語のメディアに出たらヘイトクライムに認定されそうな過激さだけど、日本人同士が日本語で互いを在日呼ばわりしているだけの話で、おもしろくもない。ただ、学校で教え込まれたのかどうかは知らないけど、「仮想的有能感」とやらに囚われて、現実の自分を直視できないでいる世代であることはたしかだろうな。

でも、何だかんだ言っても、生き難そうな社会だなあとは思っても、日本の未来を決めるのは日本人なんだから、日本人が遠い過去の栄光?への回帰を求めているのなら、それでいいと思うし、今のままではダメだと思うなら、民主主義国なんだから、政治を変えればいいと思う。だって、どの国の国民にも民族自決権というものが保証されているんだから。