読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

爆睡

2005-07-15 23:10:34 | 日々雑感
本日は、日曜日に出勤したため振替休日。
予定は「眠ること」

なんだか近頃、チョット気が緩むとすぐ眠くなる。
で、眠くなったって眠ることはできないわけだから、なんだか欲求不満状態であった。

それで、本日は朝のお勤めをすまして10時ごろから眠った。
本でも読んでいれば起きてられるかと思ったが、すぐ眠った。
12時30分ごろ起きて、また13時30分頃から眠った。
眠れるんだなあ。
これは体が望んでいたことなのかもしれない。
しかも、何かをしなくてはならない、という気持を捨てて、今日は眠ろう、と思っていたから、何の気兼ねもなしに眠れた。

で、今からまた眠る。まだ眠いのである。
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特上カバチ 週間モーニング新連載

2005-07-14 23:14:00 | 読んだ
進化型 新連載!カバチタレ!2だそうで
この間、カバチタレの連載が終了して残念だなあ、といっていたら、もう再開した。

嬉しい、のだが、なんだかなあ、という気持もないでもない。

というわけで、主人公田村が行政書士になって、新展開、というところ。
そして、ライバルというか強敵、住吉美寿々(一応美人)が登場。
乞うご期待、というところ。
「がんばってや」というカンジ

追伸
 「志企業のすすめ」(天明茂)完読
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歴史読本8月号 織田・豊臣・徳川家 家臣団出自・系譜・人物総覧

2005-07-13 23:38:24 | 読んだ
という題名のとおり、織田・豊臣・徳川と続いた、いわゆる戦国末期の家臣団についてどどっと紹介されている。

日本史で一番面白い時代が、この時代ではないだろうか。
それまでの秩序が破られ、しかし、天皇家という秩序は生き残る。
破壊だけではなく、従来の権威や秩序もある程度残す。
これは、日本人の好むところであろうと思う。というか、このことから日本人の好みとなったのだろうか。

オール オア ナッシング
ではなく「そこはそれ、まあよしなに」という、曖昧さの美みたいな・・・

本当の原因や要因を徹底して破壊するのではなく、いわゆるスケープゴートに責任を持たせて、後は「水に流す」という文化を再確認するような時代だったと思う。

このとき、織田信長が徹底して破壊したら、日本の文化はまた別のものになったと思う。
戦国時代、明治維新、そして第2次世界大戦終戦、いずれかのときに、徹底して前時代を否定してしまったら、どうだったのか?

戦国時代は、新しい考え方も芽生えたが、結局はそれまでの日本に戻った。そんな時代のような気がする。
しかし、この時代は、多士済々、面白い人たちが出てきた。しかも、それまでの権威ではないところからでてきたところに、面白さ、があるのだと思う。

追伸
 「志企業のすすめ」(天明茂)も読んでいます。
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せつないカモメたち 高樹のぶ子 週刊朝日連載中

2005-07-12 22:06:40 | 読んだ
毎週火曜日は、週刊朝日、の発売日である。
近頃は、この高樹のぶ子の小説と、幸田真音の小説が楽しみである。

高樹のぶ子の小説は、あまり期待をしていなくて、そして最初のほうはやはり面白くなかった。
のだが、最近は展開が大いに気になる。

今週号で第11回だが、主人公の香代子(40歳:バツイチ)がふとした弾みで中学生のアヤと出会い、そのアヤと心が通いそうな通わなそうな時期に、アヤの父と出会う。
この出会いが「恋」とか「愛」に発展するのか、中学生のアヤはどうなるのか。

近頃の小説は展開が速いのだが、この小説はそれらから比べればゆっくりしている。
その「ゆっくりさかげん」がなんだか一週間にあっているのだ。

追伸
 「志企業のすすめ」(天明茂)を読んでいる。
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国家の罠 佐藤優 新潮社 その2

2005-07-11 22:19:22 | 読んだ
さて、佐藤優氏が考えた「時代のけじめ」つまり国家の路線転換とは何か?
小泉内閣になって、これまでの路線から転換をしなければならないこととは何か?

一つは
内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換
であるといっている。
どういうことか?

今国家財政は危機に瀕している。(と政府は言っている)
その対応策として、税金分配の一つである「地方交付税」や「国庫補助」制度を改革しよう、という動きがある。つまり、これまでは東京であれ片田舎の村であれ、ある程度公平に地方交付税制度屋補助金というもので、分配するので、足りない部分は補助制度で、まあひとつよしなに。ということであった。

しかし、この制度であると、極端に言えば、人口が20万人の市でも3千人の村でも同じような体育館ができたりする。それはチョットいかがなものか、財政的にも危機状態にあるから、こういった制度は縮小して、自分のところでやる事業については自分で財源を確保しなさいよ、と変わってきている。財源を取り上げる代わりに、税をとる権限を分けますよ、と、まあいわゆる三位一体の改革ですね。

このような改革をしますと、今まで国会議員の先生方が地元のために、補助金を持ってきたり、補助制度を作ったり、地方交付税制度を拡充したりしていたこと、いわば、国から「公平」に金を持ってくることができなくなる。こういうことをする先生を「政治権力をカネに替える腐敗政治家」というらしい。

与党、自民党の先生方は多くがこの型の代議士であるから、その筆頭的な代議士である鈴木宗男を、今までは許されていた罪にたいするハードルを(許容範囲)下げて、引っ掛けて、他の先生方に思い知ってもらおう。
というものらしい。

なるほど、世の中はそのように動き始めている。

またもう一つは
外交的に「地政学的国際協調主義」から「排他主義的ナショナリズム」への転換
だそうで。

これも靖国参拝問題や北朝鮮への制裁措置など、協調というよりは「日本国家は毅然としているんだ」というような「力み」が近頃感じられますな。
鈴木先生は、こっち側なのかと思ったら、外交的には協調路線派だったらしいです。

とまあ、佐藤優氏は言うわけで。まあ、そういわれればそのとおりのような気もする。
こういう路線転換時に、転換に邪魔するような者はスケープゴートとして国策捜査により、罪をかぶらされる、その対象になった者はある程度あきらめなければならない。
という論旨である。

つまり、自分がやったことは悪くはなくて、単に運が悪かった、だけのものかもしれない。
といっているようで(というか、言っている)、せっかくいい分析をしたのに、チョット言い訳がましいなあ、と思ったのでした。

佐藤氏の情勢分析は、スゴイ、と思う。どうしてそんなに分析しているのに逮捕されたんだろうか、と思うのだが・・・

つまりは「人」というのは複雑でややこしいものなんだ。理屈や理論だけで冷静には生きていけない。「情」というものがその行動を支えたり縛ったりしているものなんだなあ、ということを改めて感じられたのであった。

日露の関係や、外務省のドロドロ、官僚と政治家の付き合い、検察の取調べ、などなど「面白い」部分はいっぱいあるが、私にとってはその「人」というものの不可思議さが、この本では一番面白いと感じた部分であった。
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国家の罠 佐藤優 新潮社 その1

2005-07-10 23:06:01 | 読んだ
著者は、外務省専門職員、いわゆるノンキャリアである。
キャリアとノンキャリアの違いは、出世。キャリアはほとんど「大使」になれるが、ノンキャリアはナカナカなれない。
しかし、著者は「専門職」としてのやりがいを見つける。

ロシアに関する「情報屋」として専門的知識と人脈を構築し、日露関係のエキスパートになる。
これが、外務省内或いは政治家(橋本龍太郎、小渕敬三、森喜郎の歴代総理、そして鈴木宗男)に認められ重宝される。

認められる、ということが幸なのか不幸なのか。
認められ、自分の意見が「国策」となり実行されていく。そのことが、彼を満足させる。
満足は、多から見れば増長に見えたり、虎の威を借りる猫に見えたりしていたんだろう。
人は、強いものには、形として概ね無条件で従う。しかし、心から従わない場合は、その強いものが負けたとき、自分は最初から従う気はなかったのだ、と思うらしい。

本書は、著者の側から見た、外務省の一連の事件である。
従って、私としては、本書に書かれていることが全くの真実だとは思わない。
しかし、彼のものの見方には「ナルホド」とおもうところがある。

外務省の一連の事件は「鈴木宗男」の失脚を狙ったものである。その要因として自分も巻き込まれた。
なぜ、鈴木宗男は失脚しなければならなかったか?若しくは失脚させなければならなかったか?
それは、「国の施策」が変わったからである。

一連の事件は「国策捜査」であるという。
国策捜査とは「時代のけじめ」なのだそうだ。つまり、これまでの時代から新たな時代へ移行するときにスケープゴートを示して時代にけじめをつける。

では、今回の時代のけじめとは・・・
このあたりが最高に面白い部分であったし、考えさせられたことであった。
そして、著者のこの分析には心の底から「なるほど」と感心させられた。

で、私も鈴木宗男と佐藤優がスケープゴートに選ばれた理由を考えた。
それは男というものが「仕事の能力」をもって評価された時代から、「イケメン」に象徴される美醜によって評価される時代となってきたことではないか。
テレビ向きなのかどうかということから言えば、彼ら二人はあまりに「悪役」の面相であったことが、事実はどうあれ、マスコミによって叩かれる原因となったと思われる。
あとはあることないことをくっつければいい。

さて、本当の「時代のけじめ」とはなにか。
それは、続く、である。

追伸
 「志企業のすすめ」(天明茂)を読んでいる。暖かい読物が欲しかったのである。
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低温注意報

2005-07-09 21:12:45 | 日々雑感
低温注意報が出たらしい。

昨日は日が当っているのに、風が冷たくて、昼休みの「車でお昼寝」は窓を閉めていた。
今日などはなお寒くて長袖のシャツを二枚重ねて着ていた。

7月だというのにこれでいいのか!
って誰を責めたらいいのやら。

救いは、楽天がロッテに勝ったこと。
ロッテの渡辺俊介が見たかったが、7月はイロイロあっていけそうにない。

追伸
 「国家の罠」(佐藤優)を読んでいる。面白いし考えさせらる。
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炎立つ5 高橋克彦 講談社文庫 その3

2005-07-08 23:54:20 | 読んだ
第5巻「光彩楽土」最終巻である。
いよいよ、蝦夷の歴史は、安部一族と藤原経清と子孫「奥州藤原氏」に秀衡の時代となる。

この巻において、高橋克彦による新たな歴史解釈が示される。
源義経が平泉にやってきた訳、源頼朝がなぜ義経と平泉を憎んだ訳、などが新たな視点から語られる。
そして、何故、奥州藤原氏が滅んだのか。

今までの読んだ物語では、義経を殺せば平泉や藤原が助かるからと、奥州藤原第4代藤原泰衡のアンポンタンぶりが描かれていた。
従って、藤原泰衡って大嫌いだったわけで・・・
今年の大河ドラマ「義経」でも泰衡はアンポンタンになるようで(配役が渡辺いっけいというところがにおう)

しかし、この物語では、藤原泰衡こそ、正統の蝦夷の道を継ぐものとして描かれている。
とうとう、勝者の側から見た歴史ではなく敗者の側からみた歴史があらわれたのである。しかも、敗者として正規の歴史には記されているが、実は勝者なのである、という、なんという「嬉しい」解釈となって。

長い引用をお許しあれ、これこそ著者が言いたかったこと、若しくは私が納得したかったことなのである。藤原泰衡が秀衡の霊前でいう。

「・・・(略)・・・この国は手前一人のものではござりませぬ。民それぞれのもの。これからは民が自らの国をまた作って参りましょう。手前の胸にある蝦夷の国はこうして滅びましても、無数の蝦夷が我らの後をきっと継いでくれまする。今に賭けるより手前は遠き未来に無数の種子を残すことこそ大事と考え申した。陸奥の山野を、陸奥の村々を、陸奥の子らをそのままに残してやりたかったのでござる。一つの花を皆が守るのが蝦夷であるなら、皆のために一つの花が身を捧げるのも蝦夷。一人一人がその心を失わぬためにはなによりも自由でなければなりますまい。・・・(略)」

そしてラスト
「陸奥にはまだ泰衡の炎が赤々と燃えている。」

炎立つ、全5巻を読み終えて、これまで、東北の歴史を読んだり見たりするのはつらい、と思っていたことが、さらさらと流れ落ちた。

東北の歴史は敗者の歴史である。と何度も言ってきたが、まさに坂上田村麻呂から始まり負け続けてきた。源頼朝が藤原氏を倒し、その後我々の地方を束ねた葛西氏も、豊臣秀吉と伊達政宗に滅ぼされた。我らの地方は、伊達政宗に対してもどこか冷たい。伊達政宗が攻めてきて多くの人たちを殺した史跡がいまだに点在するから、なんとなく、負けたほうの気持になってしまうのかもしれない。

その伊達氏も明治維新では朝敵となった。

なんだか寂しいのである、が、今からは、それも見つめることができると思う。
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炎立つ4 高橋克彦 講談社文庫 その2

2005-07-07 20:52:51 | 読んだ
第4巻「冥き稲妻」は、後3年の役である。

安部一族が滅び、源頼義・義家父子とともに戦った清原一族が新たな平泉・陸奥の支配者となる。
その陰には「吉次」=物部一族が安部氏のときと同様に居る。

この前九年の役、後三年の役、そして奥州藤原氏と続く歴史は、実は、滅びたと思われる「血」が続いていくところに「不思議な縁」を感じさせる。

安部一族とともに滅んだ「藤原経清」の子は、その母とともに新たな陸奥の王者となった清原武貞(貞衡)のもとに居る。母「結有」は武貞の妻となり子をもうけている。「結有」は安部氏であるから、一族と夫を滅ぼした敵のもとに居るのである。
経清の子は後の清衡である。

後三年の役は、清原貞衡が死して後を継いだ「真衡」とその異母弟(つまり結有の子)家衡と清衡との争いが発端である。
そして、真衡が死ぬと、今度は清衡と家衡との争いとなる。
この一族の争いに、またしても源氏が介入する。
源義家である。

源義家は、武家の手本のような人物である。しかし、蝦夷側からすれば侵略者である。
伝えられる後三年の役においては、蝦夷を人あつかいしないような振る舞いをしている。それをどう描いているのだろうか、というのが本編の楽しみの一つであった。
著者もあとがきで書いているが相当苦労したようである。

さて、この第4巻を読んでも感じられるのは、敗者の悲しみである。なぜ、朝廷は蝦夷を滅ぼさなければならないのか?というのは大きな疑問である。

この物語にはあらわれていないが、どうも「富」を狙っていたのではないか、と思うのである。
前九年の役・後三年の役についてネットで調べていたとき、フト目に付いたものがあった。そこで述べられていたのは、奥羽山脈に点在する鉱物資源が、古来の争いの原点ではないか、というものであった。

そういう意味でとらえれば、陸奥の国を手中に収めようとすることもわかるような気がする。
つまり「欲」で中央が動き、末端では「情」つまり愛と憎しみで人が動かされていた。
そこに物語が生じる、のであった。

清衡は、奥州藤原の祖となる。
その要因は源義家の援けであった。だから、多くの蝦夷を殺害したにもかかわらず、また清衡にとっては親を滅ぼした相手であるにもかかわらず、源義家は、東北で評判がいいのである。
これもまた勝者の歴史なのであった。
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アリバイ

2005-07-06 23:12:12 | 日々雑感
なんだかブログにつながりが悪いので、本日は、アリバイつくりだけにしておこう。

それにしても、仙台往復の車の運転は疲れる。
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NSP 天野滋 逝く

2005-07-05 19:07:44 | 日々雑感
NSP(ニューサディスティックピンク)のリーダー天野滋さんが亡くなった。

初めてNSPの歌を聴いたのは高校1年(だと思う)、NHK岩手のFM放送、土曜日の午後。お気に入りの曲(主にフォークソング)がかかる番組だった。そこに素人からの投稿(?)というかテープが送られてきたものを紹介するコーナーがあり、そこで初めて「あせ」を聴いたのだった。

♪つぶつぶの しょっぱい汗を~♪
というのは妙に印象深く、その後リクエストがあったのだと思うが、よくかかった。
「さよなら」もかかっていたような気がする。

それからアレヨアレヨという間に(実際はイロイロとあったのだと思うが)ポプコンを経由してレコードデビュー、そして「夕暮れ時はさびしそう」のヒット、と続いたのであった。

私も、その影響を受けたのでした。
そのなかでも、高校3年のときに同級生で結成したバンドでは、コンサートの初めの曲に「さよなら」を持ってくるなど、ええ、いろいろでした。
そういえば、そのグループ名もTISH(たった一本の線香花火)という、NSPを意識したものであった。

ナニが一番好きな曲か、といえば、私は「雨は似合わない」である。
特に
♪おでことおでこくっつけて また話がしたい♪
というところなど涙が出てくるようなカンジである。

叙情派フォークといわれました。基本はそこにありましたがそれだけではなかったと思う。
でも、私が好きだったのは「女々しい」詩の部分。

♪腕を振って、胸を張って、ワンツー、ワンツー、歩けー♪という水前寺清子的(正確には水前寺清子の歌的)生き方も必要だが、NSPの(正確にはNSPの歌的)女々しい感情も必要だ。

男らしく振舞おう、と思えば思うほど、振り払えない「女々しさ」を感じる。
そんな時、NSPの歌は、ジワーッとひゅるひゅると心の中にしみこんできては、ひとりっきりのときなど、涙を流しながら口ずさんだりさせるのだ。

今朝、天野さんの死をしってから、一日中、NSPの歌が頭の中で響いていた。
なぜか「赤い糸の伝説」が一番多かったような気がする。
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炎立つ 1~3 高橋克彦 講談社文庫 その1

2005-07-04 22:46:58 | 読んだ
第1巻「北の埋み火」第2巻「燃える北天」第3巻「空への炎」
ここまでの主人公は「藤原経清」であり、「前九年の役」がメインとなっている。

私はあまり東北の歴史物語は好きではなかった。
その理由は、ほとんど負け戦であるから。奥州藤原氏だって、源義経だって、最後には負ける。
それが「暗く」感じられてイヤだった。

しかし、東北に住むものとしてそれでいいのだろうか?という思いは常にあった。また、北上川の橋の写真を撮りにあちこちを歩くたび、歴史の立て看板をみて、なんだか勉強不足であるなあ、と思っていた。だから、いつかは「炎立つ」を読まなければという思いは強かった。

この第1巻から第3巻は、炎立つの前編である。
すなわち、前九年の役の滅ぼされる側の人たち、安部貞任を中心とした安部一族、それに加担をした藤原経清を描き、何故、彼らは滅びたのか、ということを描いている。

それは、大和朝廷の日本統一のための犠牲になったのだといえる。
大和朝廷にとって、自分たちの政権に邪魔な「蝦夷」を滅ぼすことが大きな望みである。
それは、政権に敵対するから、ということではなく、自分たちと流れる「血」が違うから、ということのように感じられる。

この「血」が違うということは、今でもあるようで、自分たちを優位な側にいる、と認識した時点からその差別が始まるらしい。

この物語においても、源頼義は、ナニが何でも陸奥を我が傘下にいれようと画策をする。
それは、蝦夷(安部一族など)が何かしたからではない、単に目障りなだけなのである。そして共存共栄などしたくないのである。

なんだかこんなこと現代でもあるのではないか。人は変わらないものなのか。

東北の歴史は、常に中央からの圧迫と、ワケがわからない蔑視による迫害である。
今でも、東北蔑視、があるようだ。
それは、我々東北人は明確に感じられる。しかし、それに面と向って対抗する気持はないのだ。
それは、坂上田村麻呂の時代から、いつも敗れていた歴史の重みからなのか、或いは、この炎立つに描かれているように、我々は中央を目指しているのではないからなのか、わからない。

たが、この物語を読むと、東北人として、なんだか居ても立ってもいられない気持になる。
それは、いわれのない迫害を受けてきたことの「血」とか「縁」がまだ体のどこかに潜んでいるからではないだろうか、なんて思ったりする。

続く
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反省と負け惜しみ

2005-07-03 21:56:41 | 日々雑感
試験終了。
次の試験は9月。チョット余裕がある。ヤレヤレというところだ。

ところが本日の試験2科目とも、テキストにないものが多くでた。今回の科目を選んだ理由が「楽そう」ということだったが、やっぱり学びたいものを学ぶべきだった。「ラク」というのは楽しんで学べることであった、と反省をしている。

しかし、そうとはいえ、テキスト全体を読んで現行の社会との関連を述べる試験とか、他の資料を当って学ばなければならないような試験問題というのはいかがなものか。
通信制の大学はテキストが基本である。

というわけで、今回の試験は「可」でいいや。仕方がない、問題が悪いのだ。

と、負ける前の負け惜しみ。勝つ前にバンザイだ。

追伸
 「炎立つ」第5巻(高橋克彦)を読み終えたい。
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夏休み

2005-07-02 23:40:04 | 日々雑感
明日の科目修得試験を終えると、とりあえず、気持ち的には「夏休み」に入る。
あとはレポートをコツコツとするだけ。
だから明日のために最終の追い込み試験勉強!

ところが、お昼に久々に飲んだ花粉症の薬が、午後からの眠気を呼び、午後は眠っていてしまった。
身体的には夏休みに入ってしまったカンジである。

明日の科目修得試験は兎も角単位修得に目標を下方修正したのであった。

追伸
 それでも「炎立つ」(高橋克彦)は4巻を終了、5巻(最終巻)にはいる。
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雨、降ればいいのか降らないほうがいいのか

2005-07-01 23:47:33 | 日々雑感
明日の朝は、ソフトボールの練習日。
雨が少しでも降れば中止としている。
1にリハビリ、2に健康、3・4がなくて、5に勝利。技術の向上などはありえないし。
であるからして、激しい練習はしていないものの、休みの日はのんびり寝ていたい。
しかし、休みの日に寝ているのは、なんだか勿体無い。うーん。

というわけで、練習をしたくもありしたくもなし。
それならば、雨が降ればいいのだが・・・
降らないほうが、なんだかいいようなきもするし・・・

とグズグズな心なのでした。

追伸
 「炎立つ」第4巻(高橋克彦)読んでます。
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