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読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

炎立つ5 高橋克彦 講談社文庫 その3

2005-07-08 23:54:20 | 読んだ
第5巻「光彩楽土」最終巻である。
いよいよ、蝦夷の歴史は、安部一族と藤原経清と子孫「奥州藤原氏」に秀衡の時代となる。

この巻において、高橋克彦による新たな歴史解釈が示される。
源義経が平泉にやってきた訳、源頼朝がなぜ義経と平泉を憎んだ訳、などが新たな視点から語られる。
そして、何故、奥州藤原氏が滅んだのか。

今までの読んだ物語では、義経を殺せば平泉や藤原が助かるからと、奥州藤原第4代藤原泰衡のアンポンタンぶりが描かれていた。
従って、藤原泰衡って大嫌いだったわけで・・・
今年の大河ドラマ「義経」でも泰衡はアンポンタンになるようで(配役が渡辺いっけいというところがにおう)

しかし、この物語では、藤原泰衡こそ、正統の蝦夷の道を継ぐものとして描かれている。
とうとう、勝者の側から見た歴史ではなく敗者の側からみた歴史があらわれたのである。しかも、敗者として正規の歴史には記されているが、実は勝者なのである、という、なんという「嬉しい」解釈となって。

長い引用をお許しあれ、これこそ著者が言いたかったこと、若しくは私が納得したかったことなのである。藤原泰衡が秀衡の霊前でいう。

「・・・(略)・・・この国は手前一人のものではござりませぬ。民それぞれのもの。これからは民が自らの国をまた作って参りましょう。手前の胸にある蝦夷の国はこうして滅びましても、無数の蝦夷が我らの後をきっと継いでくれまする。今に賭けるより手前は遠き未来に無数の種子を残すことこそ大事と考え申した。陸奥の山野を、陸奥の村々を、陸奥の子らをそのままに残してやりたかったのでござる。一つの花を皆が守るのが蝦夷であるなら、皆のために一つの花が身を捧げるのも蝦夷。一人一人がその心を失わぬためにはなによりも自由でなければなりますまい。・・・(略)」

そしてラスト
「陸奥にはまだ泰衡の炎が赤々と燃えている。」

炎立つ、全5巻を読み終えて、これまで、東北の歴史を読んだり見たりするのはつらい、と思っていたことが、さらさらと流れ落ちた。

東北の歴史は敗者の歴史である。と何度も言ってきたが、まさに坂上田村麻呂から始まり負け続けてきた。源頼朝が藤原氏を倒し、その後我々の地方を束ねた葛西氏も、豊臣秀吉と伊達政宗に滅ぼされた。我らの地方は、伊達政宗に対してもどこか冷たい。伊達政宗が攻めてきて多くの人たちを殺した史跡がいまだに点在するから、なんとなく、負けたほうの気持になってしまうのかもしれない。

その伊達氏も明治維新では朝敵となった。

なんだか寂しいのである、が、今からは、それも見つめることができると思う。
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