読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

日本型「成果主義」の可能性 城繁幸 東洋経済新報社

2005-07-21 22:13:44 | 読んだ
「成果主義」には興味がある。
こう見えても「人事」関係はすごく考えている。
「経営」は人事である、ともいえる。なにしろ経営資源はヒト、モノ、カネ、情報といわれる中でヒトだけはそう簡単に扱えない、ヒトがモノやカネや情報を扱うのである、だから人事というのは大切なのである。

さて、これまでの日本では「年功序列主義」の人事であった。
著者は、年功序列制度は「日本の発展を支えてきた」「落伍者を生まない」「組織拡大がすべてだった」「評価制度は必要なかった」だという。

つまり年功序列制度は常に右肩上がりの業績に対応する制度だと、私も思う。
ところが、右肩下がりになってきた経営状況では、業績が上がらないのに経験を積んだだけで給料が上がりポストも上がることができなくなってきた。
で、アメリカで成功している「成果主義」を持ち込んだ。

これ、それまでの「天皇制」がある日突然「民主主義」に変わったのと似ている。
最初は歓迎だった、しかし、そのうちになんだかあわなくなってくる。そして、日本型民主主義、日本型成果主義となり「本来」がどこかへいってしまう。

何故なのか?
著者は4つの問題点を挙げている。
しかし、私は著者がいう「殿様さながらの管理職」という部分が最も大きな要因だと思う。

それは成果主義だけではない。
なにか新しいことをしようとしたとき、管理職は「自分だけは特別だ」とおもうらしい。しかも「特別」とは「免除」されることと思っているらしい。

著者もだが私も、そのことでは苦い思いが一杯ある。
つまりは日本では、リーダーになる、出世するというのは「殿様」になるということなのだ。
そして、皆で殿様になろう、としてきたのが経済の発展にも生活環境の整備にもつながりうまくいってきた。
それは年功序列制度はある意味「公平・平等」だったからだ。

若いときに我慢していればいずれ報われる。
という公平・平等な制度なのだ。

しかし、今は明日のことさえも定かではない。我慢が将来報われることも定かではない。
ということだから、今の業績に報いるために今の業績をはからなければならない、それ成果主義だ!しかも成果主義はどうも人件費を削減できるらしい。

結果は、業績も上がらず社員のモチベーションはさがる、経営状況は好転しない。

著者はどうしたらいいといっているのか?
それは読んでのお楽しみ。

私は、成果主義を諸手を上げて賛成はできない。それはこの本を読んだからではなく、これまでいろいろの事例を研究(?)してきたことと、周りの人たちを見ていてそう思うのだ。
全ての人間は自分を高める努力をする、と言う前提であれば、成果主義は機能するだろう。
従って、成果主義に馴染まない人をどうするか?が問題だと思う。

その辺は私も考えているが、ちゃんと著者も「日本型成果主義」を示している。
成果主義は企業だけの問題ではない。行政においても、収入の減少と費用の削減のなかで人件費をどうするかは大きな問題だ。それは給与だけでなく、いかに働く人材を確保するか、ということもある。

働いても働かなくても待遇に差がなければ、多くの人は働かないだろう。
また、働いた成果が正当に認められなければ、心から働かないだろう。

人事は杓子定規やマニュアルではできないものだ。暖かい心と冷徹な眼が必要なのだ。

この本は「成果主義」と言うものを通して「人」とはなんなのか?ということも問いかけていると思う。

追伸
 これで当面の課題の本を読み終えた。新潮文庫の100冊からとりあえず2冊の物語を読もうと思っている。
コメント
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