さて、佐藤優氏が考えた「時代のけじめ」つまり国家の路線転換とは何か?
小泉内閣になって、これまでの路線から転換をしなければならないこととは何か?
一つは
内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換
であるといっている。
どういうことか?
今国家財政は危機に瀕している。(と政府は言っている)
その対応策として、税金分配の一つである「地方交付税」や「国庫補助」制度を改革しよう、という動きがある。つまり、これまでは東京であれ片田舎の村であれ、ある程度公平に地方交付税制度屋補助金というもので、分配するので、足りない部分は補助制度で、まあひとつよしなに。ということであった。
しかし、この制度であると、極端に言えば、人口が20万人の市でも3千人の村でも同じような体育館ができたりする。それはチョットいかがなものか、財政的にも危機状態にあるから、こういった制度は縮小して、自分のところでやる事業については自分で財源を確保しなさいよ、と変わってきている。財源を取り上げる代わりに、税をとる権限を分けますよ、と、まあいわゆる三位一体の改革ですね。
このような改革をしますと、今まで国会議員の先生方が地元のために、補助金を持ってきたり、補助制度を作ったり、地方交付税制度を拡充したりしていたこと、いわば、国から「公平」に金を持ってくることができなくなる。こういうことをする先生を「政治権力をカネに替える腐敗政治家」というらしい。
与党、自民党の先生方は多くがこの型の代議士であるから、その筆頭的な代議士である鈴木宗男を、今までは許されていた罪にたいするハードルを(許容範囲)下げて、引っ掛けて、他の先生方に思い知ってもらおう。
というものらしい。
なるほど、世の中はそのように動き始めている。
またもう一つは
外交的に「地政学的国際協調主義」から「排他主義的ナショナリズム」への転換
だそうで。
これも靖国参拝問題や北朝鮮への制裁措置など、協調というよりは「日本国家は毅然としているんだ」というような「力み」が近頃感じられますな。
鈴木先生は、こっち側なのかと思ったら、外交的には協調路線派だったらしいです。
とまあ、佐藤優氏は言うわけで。まあ、そういわれればそのとおりのような気もする。
こういう路線転換時に、転換に邪魔するような者はスケープゴートとして国策捜査により、罪をかぶらされる、その対象になった者はある程度あきらめなければならない。
という論旨である。
つまり、自分がやったことは悪くはなくて、単に運が悪かった、だけのものかもしれない。
といっているようで(というか、言っている)、せっかくいい分析をしたのに、チョット言い訳がましいなあ、と思ったのでした。
佐藤氏の情勢分析は、スゴイ、と思う。どうしてそんなに分析しているのに逮捕されたんだろうか、と思うのだが・・・
つまりは「人」というのは複雑でややこしいものなんだ。理屈や理論だけで冷静には生きていけない。「情」というものがその行動を支えたり縛ったりしているものなんだなあ、ということを改めて感じられたのであった。
日露の関係や、外務省のドロドロ、官僚と政治家の付き合い、検察の取調べ、などなど「面白い」部分はいっぱいあるが、私にとってはその「人」というものの不可思議さが、この本では一番面白いと感じた部分であった。
小泉内閣になって、これまでの路線から転換をしなければならないこととは何か?
一つは
内政におけるケインズ型公平配分路線からハイエク型傾斜配分路線への転換
であるといっている。
どういうことか?
今国家財政は危機に瀕している。(と政府は言っている)
その対応策として、税金分配の一つである「地方交付税」や「国庫補助」制度を改革しよう、という動きがある。つまり、これまでは東京であれ片田舎の村であれ、ある程度公平に地方交付税制度屋補助金というもので、分配するので、足りない部分は補助制度で、まあひとつよしなに。ということであった。
しかし、この制度であると、極端に言えば、人口が20万人の市でも3千人の村でも同じような体育館ができたりする。それはチョットいかがなものか、財政的にも危機状態にあるから、こういった制度は縮小して、自分のところでやる事業については自分で財源を確保しなさいよ、と変わってきている。財源を取り上げる代わりに、税をとる権限を分けますよ、と、まあいわゆる三位一体の改革ですね。
このような改革をしますと、今まで国会議員の先生方が地元のために、補助金を持ってきたり、補助制度を作ったり、地方交付税制度を拡充したりしていたこと、いわば、国から「公平」に金を持ってくることができなくなる。こういうことをする先生を「政治権力をカネに替える腐敗政治家」というらしい。
与党、自民党の先生方は多くがこの型の代議士であるから、その筆頭的な代議士である鈴木宗男を、今までは許されていた罪にたいするハードルを(許容範囲)下げて、引っ掛けて、他の先生方に思い知ってもらおう。
というものらしい。
なるほど、世の中はそのように動き始めている。
またもう一つは
外交的に「地政学的国際協調主義」から「排他主義的ナショナリズム」への転換
だそうで。
これも靖国参拝問題や北朝鮮への制裁措置など、協調というよりは「日本国家は毅然としているんだ」というような「力み」が近頃感じられますな。
鈴木先生は、こっち側なのかと思ったら、外交的には協調路線派だったらしいです。
とまあ、佐藤優氏は言うわけで。まあ、そういわれればそのとおりのような気もする。
こういう路線転換時に、転換に邪魔するような者はスケープゴートとして国策捜査により、罪をかぶらされる、その対象になった者はある程度あきらめなければならない。
という論旨である。
つまり、自分がやったことは悪くはなくて、単に運が悪かった、だけのものかもしれない。
といっているようで(というか、言っている)、せっかくいい分析をしたのに、チョット言い訳がましいなあ、と思ったのでした。
佐藤氏の情勢分析は、スゴイ、と思う。どうしてそんなに分析しているのに逮捕されたんだろうか、と思うのだが・・・
つまりは「人」というのは複雑でややこしいものなんだ。理屈や理論だけで冷静には生きていけない。「情」というものがその行動を支えたり縛ったりしているものなんだなあ、ということを改めて感じられたのであった。
日露の関係や、外務省のドロドロ、官僚と政治家の付き合い、検察の取調べ、などなど「面白い」部分はいっぱいあるが、私にとってはその「人」というものの不可思議さが、この本では一番面白いと感じた部分であった。
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