第4巻「冥き稲妻」は、後3年の役である。
安部一族が滅び、源頼義・義家父子とともに戦った清原一族が新たな平泉・陸奥の支配者となる。
その陰には「吉次」=物部一族が安部氏のときと同様に居る。
この前九年の役、後三年の役、そして奥州藤原氏と続く歴史は、実は、滅びたと思われる「血」が続いていくところに「不思議な縁」を感じさせる。
安部一族とともに滅んだ「藤原経清」の子は、その母とともに新たな陸奥の王者となった清原武貞(貞衡)のもとに居る。母「結有」は武貞の妻となり子をもうけている。「結有」は安部氏であるから、一族と夫を滅ぼした敵のもとに居るのである。
経清の子は後の清衡である。
後三年の役は、清原貞衡が死して後を継いだ「真衡」とその異母弟(つまり結有の子)家衡と清衡との争いが発端である。
そして、真衡が死ぬと、今度は清衡と家衡との争いとなる。
この一族の争いに、またしても源氏が介入する。
源義家である。
源義家は、武家の手本のような人物である。しかし、蝦夷側からすれば侵略者である。
伝えられる後三年の役においては、蝦夷を人あつかいしないような振る舞いをしている。それをどう描いているのだろうか、というのが本編の楽しみの一つであった。
著者もあとがきで書いているが相当苦労したようである。
さて、この第4巻を読んでも感じられるのは、敗者の悲しみである。なぜ、朝廷は蝦夷を滅ぼさなければならないのか?というのは大きな疑問である。
この物語にはあらわれていないが、どうも「富」を狙っていたのではないか、と思うのである。
前九年の役・後三年の役についてネットで調べていたとき、フト目に付いたものがあった。そこで述べられていたのは、奥羽山脈に点在する鉱物資源が、古来の争いの原点ではないか、というものであった。
そういう意味でとらえれば、陸奥の国を手中に収めようとすることもわかるような気がする。
つまり「欲」で中央が動き、末端では「情」つまり愛と憎しみで人が動かされていた。
そこに物語が生じる、のであった。
清衡は、奥州藤原の祖となる。
その要因は源義家の援けであった。だから、多くの蝦夷を殺害したにもかかわらず、また清衡にとっては親を滅ぼした相手であるにもかかわらず、源義家は、東北で評判がいいのである。
これもまた勝者の歴史なのであった。
安部一族が滅び、源頼義・義家父子とともに戦った清原一族が新たな平泉・陸奥の支配者となる。
その陰には「吉次」=物部一族が安部氏のときと同様に居る。
この前九年の役、後三年の役、そして奥州藤原氏と続く歴史は、実は、滅びたと思われる「血」が続いていくところに「不思議な縁」を感じさせる。
安部一族とともに滅んだ「藤原経清」の子は、その母とともに新たな陸奥の王者となった清原武貞(貞衡)のもとに居る。母「結有」は武貞の妻となり子をもうけている。「結有」は安部氏であるから、一族と夫を滅ぼした敵のもとに居るのである。
経清の子は後の清衡である。
後三年の役は、清原貞衡が死して後を継いだ「真衡」とその異母弟(つまり結有の子)家衡と清衡との争いが発端である。
そして、真衡が死ぬと、今度は清衡と家衡との争いとなる。
この一族の争いに、またしても源氏が介入する。
源義家である。
源義家は、武家の手本のような人物である。しかし、蝦夷側からすれば侵略者である。
伝えられる後三年の役においては、蝦夷を人あつかいしないような振る舞いをしている。それをどう描いているのだろうか、というのが本編の楽しみの一つであった。
著者もあとがきで書いているが相当苦労したようである。
さて、この第4巻を読んでも感じられるのは、敗者の悲しみである。なぜ、朝廷は蝦夷を滅ぼさなければならないのか?というのは大きな疑問である。
この物語にはあらわれていないが、どうも「富」を狙っていたのではないか、と思うのである。
前九年の役・後三年の役についてネットで調べていたとき、フト目に付いたものがあった。そこで述べられていたのは、奥羽山脈に点在する鉱物資源が、古来の争いの原点ではないか、というものであった。
そういう意味でとらえれば、陸奥の国を手中に収めようとすることもわかるような気がする。
つまり「欲」で中央が動き、末端では「情」つまり愛と憎しみで人が動かされていた。
そこに物語が生じる、のであった。
清衡は、奥州藤原の祖となる。
その要因は源義家の援けであった。だから、多くの蝦夷を殺害したにもかかわらず、また清衡にとっては親を滅ぼした相手であるにもかかわらず、源義家は、東北で評判がいいのである。
これもまた勝者の歴史なのであった。