本日、何故か、アイスココア、を飲んだ。
コンビニで、間違って買ったみたい。
で、それを一口飲んだら、大昔のことを思い出した。
むかしむかし、まだ昭和と呼ばれる時代の51年だった。
私は、東京は江戸川橋にある、とある大企業でアルバイトをしていた。
肉体労働?のようなものだった。
そのアルバイトが残業もなく終了すると、アルバイト仲間で時々喫茶店へいった。
喫茶店に行って、難しい話をすることもなく、他愛のない話をしていたんだと思う。
その喫茶店でのお気に入りメニューが「アイスココア」だった。
なにしろ、初めて飲むものだった。とてもおいしく感じたのであった。
ココアがアイス?
というだけで「都会にいる」という実感があり、言いようもない充実感で幸せだった。
しかし、その幸せは所詮「うわべ」だけのものであって、現実の生活或いは将来の生活についてなんら基盤のないものは、いつか消え去るものである。
その後、アイスココア、を飲む機会などなく、今日、アイスココアを口にした途端、20歳ころのことを突然思い出したのであった。
追伸
本日は結婚式に出席、そしてソフトボールの地区大会があり、いろいろと忙しく何も読んでいない。蛇足ながら、ソフトボールは優勝し市の大会に出場することとなった。私がいなくても優勝するなんてなんだか複雑な気分なのであった。
コンビニで、間違って買ったみたい。
で、それを一口飲んだら、大昔のことを思い出した。
むかしむかし、まだ昭和と呼ばれる時代の51年だった。
私は、東京は江戸川橋にある、とある大企業でアルバイトをしていた。
肉体労働?のようなものだった。
そのアルバイトが残業もなく終了すると、アルバイト仲間で時々喫茶店へいった。
喫茶店に行って、難しい話をすることもなく、他愛のない話をしていたんだと思う。
その喫茶店でのお気に入りメニューが「アイスココア」だった。
なにしろ、初めて飲むものだった。とてもおいしく感じたのであった。
ココアがアイス?
というだけで「都会にいる」という実感があり、言いようもない充実感で幸せだった。
しかし、その幸せは所詮「うわべ」だけのものであって、現実の生活或いは将来の生活についてなんら基盤のないものは、いつか消え去るものである。
その後、アイスココア、を飲む機会などなく、今日、アイスココアを口にした途端、20歳ころのことを突然思い出したのであった。
追伸
本日は結婚式に出席、そしてソフトボールの地区大会があり、いろいろと忙しく何も読んでいない。蛇足ながら、ソフトボールは優勝し市の大会に出場することとなった。私がいなくても優勝するなんてなんだか複雑な気分なのであった。