チェーホフの原作をケラリーノ・サンドロヴィッチ上演台本、演出で上演する「ワーニャ伯父さん」を見た。シス・カンパニー公演、新国立劇場、26日まで。
舞台を見るのは久しぶりなんだけど、「自分も年とったなあ」というのと「黒木華は素晴らしいなあ」というのが、とりあえずの感想。芝居はお金もかかるけど、後ろの方の席だと昔に比べて聞き取れないことが多い。目も悪くなってきたので、眼鏡はしてるけど、宮沢りえと黒木華の顔が判別できない。服装が違うし、役柄が違うんだから、もちろん二人を判別できる。でも顔だけ見ててもよく判らん。
それに気づいて、さすがにがっくり来たけど、まあ仕方ない。もともと僕はチェーホフが好きで、10代のころから読んだり見たりしているけど、そう言えば「ワーニャ伯父さん」を見てない。「チェーホフ四大戯曲」(桜の園、三人姉妹、かもめ、ワーニャ伯父さん)の中でも、確かに一番地味な感じ。「桜の園」とか「三人姉妹」とか、題名だけでなんだかドラマティックだけど、「ワーニャ伯父さん」ってどうよ。
ケラは「かもめ」「三人姉妹」と上演してきて(それは見てない)、今回「ワーニャ伯父さん」。チェーホフは表面的には、ドラマが起こらないような、登場人物がグチ言い合っているような劇ばかり書いた。その中でも、「ワーニャ伯父さん」は念が入っている。チェーホフの劇は、というかロシアの本や映画は皆同じだけど、名前が似ていて誰が誰やら最初はよく判らない。ワーニャ、ソーニャ、エレーナ、アーストロフ、セレブリャーコフ…。誰が誰やら。復習してくるつもりで忘れた。
一生マジメに働いてきたワーニャ(段田安則)。農園を経営して、亡き妹の夫、都会に住むエライ学者先生セレブリャーコフにお金を送り続けてきた。ところが大学教授を引退して「美しすぎる後妻」エレーナ(宮沢りえ)と農園に戻ってきた。常に尊大なセレブリャコフは医師のアーストロフを呼び寄せ、体の不調を訴え続ける。ワーニャ伯父さんを助けて暮らしてきた先妻との娘、ソーニャ(黒木華)はこの医者を好きになるけど、男どもは後妻エレーナにいかれちゃう…。そんな時、セレブリャーコフは皆を呼び集めて、爆弾宣言を行い、それをきっかけにワーニャ伯父さんの心が切れてしまう。
というようなあらすじを書いてもよく伝わらないのがチェーホフだろう。一生懸命マジメに生きてきて、それがいったい何になったのかという思い。一方、セレブリャーコフは自分がワーニャを傷つけてきたことさえ知らなかった。何となくいい目ばかりをみてしまう成り行きなのである。こういう構図は僕も含めて多くの人の琴線に触れる。マジメにやってきて、なんかいいことあったのか?
でも、ソーニャが言う。私だってつらいのよ。でも私は癇癪を起さない。さあ、仕事をしましょう。 その生き生きとした演技、存在感のすべて、黒木華が素晴らしい。宮沢りえが悪いわけではないけど。美人の後妻で「肉食」と劇中で評されるぐらいだから、役柄的にその通り。それに対して、ソーニャはマジメだけど、容貌は今一つとされる。それを「だけど、こんなに生き生きと生きている」と見るものに納得させるのが黒木華の演技だろう。多分、黒木華は映画やテレビではなく、全身の動きが観客に伝わる舞台の方が生きるのではないだろうか。
(黒木華=くろき・はる)
ソーニャが、というか黒木華がそう言ってるから、そうだ、僕ももう少し絶望せずにやっていこう、という風に思わせる。それがチェーホフだし、ケラの演出でもある。(演出はとてもうまいと思う。)
舞台を見るのは久しぶりなんだけど、「自分も年とったなあ」というのと「黒木華は素晴らしいなあ」というのが、とりあえずの感想。芝居はお金もかかるけど、後ろの方の席だと昔に比べて聞き取れないことが多い。目も悪くなってきたので、眼鏡はしてるけど、宮沢りえと黒木華の顔が判別できない。服装が違うし、役柄が違うんだから、もちろん二人を判別できる。でも顔だけ見ててもよく判らん。
それに気づいて、さすがにがっくり来たけど、まあ仕方ない。もともと僕はチェーホフが好きで、10代のころから読んだり見たりしているけど、そう言えば「ワーニャ伯父さん」を見てない。「チェーホフ四大戯曲」(桜の園、三人姉妹、かもめ、ワーニャ伯父さん)の中でも、確かに一番地味な感じ。「桜の園」とか「三人姉妹」とか、題名だけでなんだかドラマティックだけど、「ワーニャ伯父さん」ってどうよ。
ケラは「かもめ」「三人姉妹」と上演してきて(それは見てない)、今回「ワーニャ伯父さん」。チェーホフは表面的には、ドラマが起こらないような、登場人物がグチ言い合っているような劇ばかり書いた。その中でも、「ワーニャ伯父さん」は念が入っている。チェーホフの劇は、というかロシアの本や映画は皆同じだけど、名前が似ていて誰が誰やら最初はよく判らない。ワーニャ、ソーニャ、エレーナ、アーストロフ、セレブリャーコフ…。誰が誰やら。復習してくるつもりで忘れた。
一生マジメに働いてきたワーニャ(段田安則)。農園を経営して、亡き妹の夫、都会に住むエライ学者先生セレブリャーコフにお金を送り続けてきた。ところが大学教授を引退して「美しすぎる後妻」エレーナ(宮沢りえ)と農園に戻ってきた。常に尊大なセレブリャコフは医師のアーストロフを呼び寄せ、体の不調を訴え続ける。ワーニャ伯父さんを助けて暮らしてきた先妻との娘、ソーニャ(黒木華)はこの医者を好きになるけど、男どもは後妻エレーナにいかれちゃう…。そんな時、セレブリャーコフは皆を呼び集めて、爆弾宣言を行い、それをきっかけにワーニャ伯父さんの心が切れてしまう。
というようなあらすじを書いてもよく伝わらないのがチェーホフだろう。一生懸命マジメに生きてきて、それがいったい何になったのかという思い。一方、セレブリャーコフは自分がワーニャを傷つけてきたことさえ知らなかった。何となくいい目ばかりをみてしまう成り行きなのである。こういう構図は僕も含めて多くの人の琴線に触れる。マジメにやってきて、なんかいいことあったのか?
でも、ソーニャが言う。私だってつらいのよ。でも私は癇癪を起さない。さあ、仕事をしましょう。 その生き生きとした演技、存在感のすべて、黒木華が素晴らしい。宮沢りえが悪いわけではないけど。美人の後妻で「肉食」と劇中で評されるぐらいだから、役柄的にその通り。それに対して、ソーニャはマジメだけど、容貌は今一つとされる。それを「だけど、こんなに生き生きと生きている」と見るものに納得させるのが黒木華の演技だろう。多分、黒木華は映画やテレビではなく、全身の動きが観客に伝わる舞台の方が生きるのではないだろうか。
(黒木華=くろき・はる)
ソーニャが、というか黒木華がそう言ってるから、そうだ、僕ももう少し絶望せずにやっていこう、という風に思わせる。それがチェーホフだし、ケラの演出でもある。(演出はとてもうまいと思う。)
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