尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」

2021年08月31日 23時05分57秒 | 映画 (新作日本映画)
 濱口竜介監督が村上春樹の短編を映画化した「ドライブ・マイ・カー」を見た。2021年のカンヌ映画祭脚本賞濱口竜介大江崇允)を受賞したことで、一躍注目され大映画館で拡大公開されている。しかし179分もある長大なアート映画であって、案の定集客には苦労しているようだ。長いからなかなか行きにくいと思うけど、これは紛れもない傑作である。上映が終了する前に頑張って是非映画館で見て欲しい映画。

 映画化の話を聞いたときに、原作を読んでいた人なら皆驚いたと思う。短編すぎて、映画にならないだろうと思うほど。そこで映画化に当たっては驚くような工夫をしている。村上春樹ファンがそのつもりで見に行くと、何だこれはチェーホフ原作じゃないかと思うかもしれない。映画の相当部分がチェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」の舞台稽古である。それが面白いかと思われるだろうが、実に面白いのである。それはこの映画以上に長大な「ハッピーアワー」で、数多くのワークショップのシーンが素晴らしく面白かったのと同じである。

 舞台俳優の家福(かふく)悠介西島秀俊)と専属ドライバーの渡利みさき三浦透子)という設定そのものは原作通り。ただ原作では東京が舞台になっていて、緑内障が見つかって運転を止められ、北海道出身の若いドライバーを紹介される。映画では家福はその後も運転していて、広島国際演劇祭(架空)の演出に招かれたときに広島まで愛車サーブを運転している。しかし演劇祭では過去に死亡事故が起こったため、演出家にドライバーを付ける決まりになったという設定。ウィキペディアを見ると、東京では運転シーンが自由に撮影出来ないため、当初は韓国の釜山で撮影する予定だったが、コロナ禍で海外ロケが不可能となり、広島に設定を変えたという。
(サーブを運転する渡利)
 原作の細かい点はもう忘れていた。2013年12月号の「文藝春秋」に発表され、翌年短編集「女のいない男たち」に収録された。この名前はヘミングウェイの短編集と同じである。原作では家福の「過去」の出来事は車の中の語りで読者に伝えられるが、映画では原作中の「過去」から始まっている。妻である霧島れいか)との情交中に語る不思議な物語が魅力的だ。そこでこれから見る人のことを考えてその重要な設定は書かないことにする。(そこには他の短編も取り入れられている。)この夫婦は大きな「喪失」をくぐり抜けてきたことがやがて判る。

 一方でドライバーの渡利も故郷の北海道で壮絶な体験をしていた。人は過去の痛みとどのように向き合えるのか。二人の思いに「ワーニャ伯父さん」のラストの有名なセリフが合わさるときに、魂の奥深き感動がもたらされる。(「ワーニャ伯父さん」については、「KERA版「ワーニャ伯父さん」を見る」「チェーホフの4大戯曲を読むーチェーホフを読む①」を参照。)ところで、この映画では、さらに重要な工夫がある。それは「ワーニャ伯父さん」のラストのセリフが韓国手話で語られるのである。
(「ワーニャ伯父さん」の本読みシーン)
 冒頭で妻の音が公演後の家福のもとに人気俳優の高槻耕史岡田将生)を紹介に来る。その時の演目は「ゴドーを待ちながら」だが、それは日本語とロシア語が交互に飛び交っている。国際的キャストは演劇でもあるが、ここまで「俳優がそれぞれの母語で演じる」のは珍しいだろう。(観客には字幕が出る。)オペラみたいに全編原語というのではなく、日本人俳優は日本語でセリフを語り外国人俳優はその母語で演じる。これは俳優、観客に「共通のテキスト」があるから可能なのである。

 広島国際演劇祭はもともと多国籍のキャスティングをすることを前提にしているらしい。まず最初にオーディションがあるが、そこには何故か高槻も来ている。他にもロシアや中国や韓国のメンバーがいる。そんなキャストで一体上演が可能なのか。そしてソーニャには手話で意思を伝達する韓国女性が選ばれた。(耳は聞こえるという設定なので聴覚障害者ではない。)そしてひたすら「本読み」が続く。その間にいくつかのドラマが起こる。車の中では家福は基本的には、数年前に音が吹き込んだ「ワーニャ伯父さん」(家福がワーニャを演じたので、ワーニャ以外のセリフが録音されている)を聞いている。それはドラマチックな語りではなく、セリフから過剰な意味を排除してただ音として読むようなものである。

 ほとんど会話のなかった家福と渡利にも、やがて身の上を少しずつ話す。「ワーニャ伯父さん」が完成し、家福と渡利が理解し合えるまでに3時間ほどが必要なのである。僕はそれは十分に納得したが、いくつかの疑問もある。まず家福がある決断をするときに、渡利の故郷を見たいと言う。それは判るけれど、広島から北海道へひたすらドライブするのは無理な設定ではないか。また家福は自ら運転するつもりで広島へ来たのだから、ドライバーがいなかったら高槻の飲酒の誘いを断ったはずだ。それらはやむを得ないかとも思うが、最大の疑問は「ワーニャ伯父さん」を知ってる人にはラストの着地点が予測可能だということだ。まあ、シェークスピアの有名戯曲ほどには知られていないからいいのかもしれない。
(濱口竜介監督)
 濱口竜介監督(1978~)は今年のベルリン映画祭で「偶然と想像」が銀熊賞(審査員大賞)、昨年のヴェネツィア映画祭では脚本を務めた「スパイの妻劇場版」が銀獅子賞を得ている。この活躍ぶりはどうだろう。別に難しくはないけれど、上映時間が長い作品が多いから見てない人が多いだろう。しかし、日本人では近年最大の注目監督なのは間違いない。演劇ファン、特にチェーホフの好きな人には絶対に見逃せない作品だ。映画のナラティブ(語り口)を堪能出来る3時間になるだろう。
追加・家福と渡利はともに喫煙者である。二人がサンルーフから煙草を持った手を出すシーンは、確かに名場面だと思う。しかし、今どき舞台俳優がこんなに喫煙しているんだろうか、それでいいのだろうかと疑問を持った。(9.1)
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