尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

シモーン・バイルスとメンタルヘルス問題ー東京五輪を振り返る③

2021年08月11日 22時52分44秒 | 社会(世の中の出来事)
 女子体操競技でリオ五輪4冠(団体、個人総合、跳馬、床運動)を獲得したシモーン・バイルス(Simone Arianne Biles)が、東京五輪の団体決勝途中で競技を中止して棄権した。陸上やバスケなどと違い、水泳や体操は伝統的にアフリカ系が少なかった。バイルスは厳しい生育環境(実母がドラッグの依存症のため、祖父と義祖母に育てられた)を乗り越えたアフリカ系選手として、アメリカで非常に人気があったという。今回アメリカでテレビの五輪視聴率が低迷した一因にも挙げられている。棄権の理由は「精神的なストレス」だった。
(東京五輪平均台のシモーン・バイルス)
 バイルスは世界体操で金メダルを25個獲得して、現在までの記録となっている。またローレウス世界スポーツ賞最優秀女子選手部門を2017,19,20年の3回受賞している。18年はセリーナ・ウィリアムズで、男子選手ではボルトジョコビッチフェデラーメッシなどが受賞している。日本選手では2019年に大坂なおみ年間最優秀成長選手賞を獲得しているが、最優秀賞を獲得した選手はいない。もっとも選出者が欧米偏重だと思うが、バイルスは超有名選手なのである。まあ僕も今調べて知ったことなんだけど、先に挙げた男子選手は名前ぐらい知ってるだろうが、バイルスは名前も知らないという人が多いのではないか。

 バイルスは大会が無観客だったことでモチベーションが低下したことを挙げていたが、それだけでなく期間中に叔母が亡くなっていた。しかし、そういうことだけでもないと思う。聖火の最終ランナーとなった大坂なおみも、全仏オープンの途中で「うつ」を告白して棄権した。今回は日本代表として出場したものの、3回戦で敗退した。猛暑だけが理由でもないだろう。個人的な理由もあるだろうが、バイルスも大坂も同じくアメリカを本拠に活躍しているアフリカ系選手だ。非常に強いストレスがかかり続けていることは想像出来る。途中棄権は非常に勇気ある行動だと思うが、それも彼女たちだからこそ出来たことなのだと思う。
(東京大会の大坂なおみ)
 バイルスは結局体操競技の最終日に個人の平均台にエントリーして、銅メダルを獲得した。その間、順天堂大学の体育館で非公開の練習を続けていたという。バイルスが棄権した女子個人総合では、結局アメリカのスニーサ・リーが金メダルを獲得した。このスニーサ・リー選手はモン(Hmong)族の出身として注目された。ミャンマー南部に住み分離運動もあるモン(Mon)族とは違う。リーのモン族は中国からインドシナ半島の山岳地帯に住み、特にラオスでフランス軍やアメリカ軍に協力した。そのため戦争後に迫害され、タイに逃げて難民として欧米に移住した人が多い。アメリカには30万程度のコミュニティがあるようだ。クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」に出て来るのがモン族である。
(スニーサ・リー選手)
 それはともかく、大坂なおみシモーン・バイルスは、今まであまり注目されてこなかった「スポーツ選手のメンタルヘルス」という問題を明るみに出した。そう言われてみれば、今までも実は多くのケースがあったのだと思う。しかし、スポーツ選手は肉体上のケガが絶えないから、今までは「体調の不良」と思われていたのではないか。本人も「精神的不調」を理由として公にするのはためらっただろう。団体球技や格闘技では常に厳しい代表争いがある。テニスや体操のような個人競技だからこそ、精神的不調を明かせたとも考えられる。

 仕事でバリバリ働いていた人が、評価されて昇格したら「うつ」を発症するような事例は珍しくない。同じことはスポーツ選手にも言えるはずだ。常に注目され成果を期待される厳しい環境に置かれ続けたら、精神面で不調になりやすい。自分に出来るんだろうか、自分はたまたま勝ってしまっただけなのではないか、自分は周りの期待に応えられないんじゃないか。そう思い込んで落ち込むタイプは、当然スポーツ選手にもいるはずだ。周りは活躍してるんだから、肉体面だけでなく精神面も強いだろうと思い込んでいる。とても精神的な不調は言い出せないから、身体面で不調ということにする。そうすると早く治ってねと同情されて、ますます復帰への道が遠のく。

 実はそんなケースが今までも多かったんだと思う。思い浮かぶ例としては、東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉である。周囲の期待に押しつぶされるようにして、1968年に自殺した。いろんな問題が指摘されてきたが、メンタルヘルスという視点が全くなかった時代の悲劇だと思う。恐らく今までにも何人も同じような悲劇があっただろう。円谷ほど有名選手じゃない場合は、単に成績が不振で引退したということにできる。スポーツに止まらず、文化・芸術面でも「成功した後の不調」は多く見られる。レベルは違っても、多分身近なところにも似た例は起こっているはずだ。考えさせられたシモーン・バイルスの問題提起だった。
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