尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

鈴木雄介選手と「猛暑」問題ー東京五輪を振り返る④

2021年08月12日 22時44分19秒 | 社会(世の中の出来事)
 ちょっと東京五輪問題も飽きてきたけれど、もう少し書きたいことがあるから続けることにする。東京五輪にはもともと「金メダル30個が目標」と言っていたと思う。1年延期のうえ、コロナ禍が続いているから、直接の「数値目標」はなくなったと記憶するが、現実には27個に金メダルだったから「もう少し」だったことになる。もちろんメダル数とかノーベル賞受賞者数とか「数値目標」を作ること自体が間違っていると思うが、それはそれとしての話である。つまり、瀬戸大也桃田賢斗鈴木雄介が金メダルだったら、30個になったのである。

 えっ、前の二人はともかく、鈴木雄介って誰? という人も多いだろう。何の選手で東京五輪の成績はどうだったの? いや、鈴木雄介選手は東京五輪には出場しなかったのである。出来なかったというべきだが。多くの競技で、2019年に開かれた世界大会で「金メダルだったら五輪が内定」ということが多かった。瀬戸大也は韓国の光州で開かれた世界水泳で200mと400mのメドレーリレーでともに金メダルを獲得して、東京五輪内定第一号となった。一方、鈴木雄介はカタールのドーハで開かれた世界陸上で、50キロ競歩で優勝して五輪内定を得たのである。(ちなみに、20キロ競歩で優勝したのが、東京五輪銅メダルだった山西利和である。)

 鈴木雄介は現時点で20キロ競歩の世界記録保持者である。それまでも20キロ競歩で活躍してきたが、故障などが多く五輪や世界陸上ではなかなか活躍できなかった。世界陸上の選考会では4位に終わって20キロ競歩出場権を逃した。そこで50キロ競歩に種目変更して日本選手権に臨んだところ、日本記録を出して優勝、世界陸上でも優勝。そうして東京五輪に内定したわけだが、2021年になって代表を辞退することを発表した。理由はコンディション不調で、「酷暑の中で開催された同レース(ドーハ大会)以降、回復力の低下が著しかった」のだという。1988年生まれで33歳という年齢も回復を遅らせている原因かもしれない。
(鈴木選手がドーハ大会50キロ競歩で優勝)
 東京じゃなくてドーハの話である。しかし、今回の東京大会も猛暑だった。札幌に移した競歩とマラソンも例年にない高温だったという。東京大会に出たことによって、選手生命に影響するケースもあり得なくはないのである。男子マラソンでは106人中で30人が途中で棄権している。約3割が完走できなかった。終了時の気温は28度だったというが、湿度が72%だったことが過酷なレースになった理由だろう。女子マラソンでは15人50キロ競歩でも59人中10人の棄権者があった。男子マラソンで73位だった服部勇馬選手は、完走後に車いすで搬送され重い熱中症だった。完走したことを讃えるような論調もあったが、僕は服部選手は棄権するべきだったと思う。

 ところで2019年世界陸上ドーハ大会が開かれたカタールと言えば、2022年サッカー・ワールドカップの開催地である。ワールドカップは今まで(ヨーロッパ各国のリーグがシーズンオフの)6月から7月に行われていた。2002年の日韓大会もそうだし、2018年ロシア大会もそうである。ところがドーハでは6月から7月の平均最高気温が40度を超えるのである。ということで来年は11月21日から12月18日にかけて開催されると、散々もめた挙げ句に決まっている。ドーハの12月の平均気温を調べると、最高が24.1度、最低気温が15度になっている。もっとも意外なことに平均湿度は71%になっている。(ウィキペディアによる。)
(東京五輪で倒れ込む選手の姿)
 今年の東京はとにかく暑い。五輪終了後に少し収まった感じもあるが、それは32度ぐらいになったという意味。真夜中にトイレに起きてしまい、トイレが30度あって涼しく感じられるという倒錯的な状態だ。フィリピン沖の海水温が冬に高くなる「ラニーニャ現象」の年は夏が高温になるという。予報が当たった状況である。

 東京の天気を調べてみると、開会式があった7月23日前後数日と五輪終盤の8月4日から6日にかけて、東京の最高気温は34度を超えていた。最低気温も25度を超える日が多く、夜もクーラーが無ければ寝られない。では、他都市も調べてみよう。東京と招致を争ったイスタンブールは8月5日、6日頃の最高気温は32度、33度ぐらいだった。マドリードはもっと大変な状態で、今後の予報では16日の最高気温が41度になっている。5日、6日の最高気温は34度、35度で、今年に関する限り東京より暑いようだ。

 次の開催都市のパリは今年は低温状態で、8月5日、6日の最高気温は20度から25度あたりになっている。高温の年もあって、そんな報道を読んだことがあったと思う。7月、8月の最高気温は40度前後だが、平均すると最高気温は25度前後になっている。2028年開催のロサンゼルスも今年は低温で最高気温が20度ほどの日が続いている。今年が異例に低く、過去の最高気温は40度を超えているが、平均では25度以下である。2032年のオーストラリア・ブリスベーンも南半球だから当然のこととして、ここ数日の最高気温は20度前後になっている。こうしてみると、真夏の五輪は二度と無理だろうということにはならず、今後も夏開催が続く可能性が高い。

 ということで、意外なことに2020年五輪に関して言えば、イスタンブールやマドリードになっていても暑かった。パリ大会やロス大会では東京ほど猛暑になる可能性は低い。そういうことになるけれど、日本の場合は湿度が高いことが他国と大きく違う。慣れていないと適応が大変だろうし、適応するための事前キャンプが難しかった。その意味でアンフェアな面があったが、それでも日本選手ばかりが勝ったわけでも無い。

 しかし、7月8月の東京はスポーツに対して「理想的な環境」とはとても言えない。「復興五輪」とか「コロナに打ち勝った証」と言うのは、少なくとも「主観的な真実」だったかもしれないけれど、「夏の東京の気候は理想的」というのは「自覚的なウソ」だったに違いない。そういうウソから始まったから、後々のこともウソになってくる。マラソンを札幌にしても、多分暑くなるだろうと僕は思っていた。非科学的な発想だけど、言い出しっぺに問題があるから「呪われた五輪」になると思ってしまう。それにしても、ドーハ大会の鈴木選手のように、陸上、野球、サッカーなどの選手に今後負の影響が残る可能性を考えておくべきだ。
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シモーン・バイルスとメンタルヘルス問題ー東京五輪を振り返る③

2021年08月11日 22時52分44秒 | 社会(世の中の出来事)
 女子体操競技でリオ五輪4冠(団体、個人総合、跳馬、床運動)を獲得したシモーン・バイルス(Simone Arianne Biles)が、東京五輪の団体決勝途中で競技を中止して棄権した。陸上やバスケなどと違い、水泳や体操は伝統的にアフリカ系が少なかった。バイルスは厳しい生育環境(実母がドラッグの依存症のため、祖父と義祖母に育てられた)を乗り越えたアフリカ系選手として、アメリカで非常に人気があったという。今回アメリカでテレビの五輪視聴率が低迷した一因にも挙げられている。棄権の理由は「精神的なストレス」だった。
(東京五輪平均台のシモーン・バイルス)
 バイルスは世界体操で金メダルを25個獲得して、現在までの記録となっている。またローレウス世界スポーツ賞最優秀女子選手部門を2017,19,20年の3回受賞している。18年はセリーナ・ウィリアムズで、男子選手ではボルトジョコビッチフェデラーメッシなどが受賞している。日本選手では2019年に大坂なおみ年間最優秀成長選手賞を獲得しているが、最優秀賞を獲得した選手はいない。もっとも選出者が欧米偏重だと思うが、バイルスは超有名選手なのである。まあ僕も今調べて知ったことなんだけど、先に挙げた男子選手は名前ぐらい知ってるだろうが、バイルスは名前も知らないという人が多いのではないか。

 バイルスは大会が無観客だったことでモチベーションが低下したことを挙げていたが、それだけでなく期間中に叔母が亡くなっていた。しかし、そういうことだけでもないと思う。聖火の最終ランナーとなった大坂なおみも、全仏オープンの途中で「うつ」を告白して棄権した。今回は日本代表として出場したものの、3回戦で敗退した。猛暑だけが理由でもないだろう。個人的な理由もあるだろうが、バイルスも大坂も同じくアメリカを本拠に活躍しているアフリカ系選手だ。非常に強いストレスがかかり続けていることは想像出来る。途中棄権は非常に勇気ある行動だと思うが、それも彼女たちだからこそ出来たことなのだと思う。
(東京大会の大坂なおみ)
 バイルスは結局体操競技の最終日に個人の平均台にエントリーして、銅メダルを獲得した。その間、順天堂大学の体育館で非公開の練習を続けていたという。バイルスが棄権した女子個人総合では、結局アメリカのスニーサ・リーが金メダルを獲得した。このスニーサ・リー選手はモン(Hmong)族の出身として注目された。ミャンマー南部に住み分離運動もあるモン(Mon)族とは違う。リーのモン族は中国からインドシナ半島の山岳地帯に住み、特にラオスでフランス軍やアメリカ軍に協力した。そのため戦争後に迫害され、タイに逃げて難民として欧米に移住した人が多い。アメリカには30万程度のコミュニティがあるようだ。クリント・イーストウッドの映画「グラン・トリノ」に出て来るのがモン族である。
(スニーサ・リー選手)
 それはともかく、大坂なおみシモーン・バイルスは、今まであまり注目されてこなかった「スポーツ選手のメンタルヘルス」という問題を明るみに出した。そう言われてみれば、今までも実は多くのケースがあったのだと思う。しかし、スポーツ選手は肉体上のケガが絶えないから、今までは「体調の不良」と思われていたのではないか。本人も「精神的不調」を理由として公にするのはためらっただろう。団体球技や格闘技では常に厳しい代表争いがある。テニスや体操のような個人競技だからこそ、精神的不調を明かせたとも考えられる。

 仕事でバリバリ働いていた人が、評価されて昇格したら「うつ」を発症するような事例は珍しくない。同じことはスポーツ選手にも言えるはずだ。常に注目され成果を期待される厳しい環境に置かれ続けたら、精神面で不調になりやすい。自分に出来るんだろうか、自分はたまたま勝ってしまっただけなのではないか、自分は周りの期待に応えられないんじゃないか。そう思い込んで落ち込むタイプは、当然スポーツ選手にもいるはずだ。周りは活躍してるんだから、肉体面だけでなく精神面も強いだろうと思い込んでいる。とても精神的な不調は言い出せないから、身体面で不調ということにする。そうすると早く治ってねと同情されて、ますます復帰への道が遠のく。

 実はそんなケースが今までも多かったんだと思う。思い浮かぶ例としては、東京五輪マラソン銅メダルの円谷幸吉である。周囲の期待に押しつぶされるようにして、1968年に自殺した。いろんな問題が指摘されてきたが、メンタルヘルスという視点が全くなかった時代の悲劇だと思う。恐らく今までにも何人も同じような悲劇があっただろう。円谷ほど有名選手じゃない場合は、単に成績が不振で引退したということにできる。スポーツに止まらず、文化・芸術面でも「成功した後の不調」は多く見られる。レベルは違っても、多分身近なところにも似た例は起こっているはずだ。考えさせられたシモーン・バイルスの問題提起だった。
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五輪のスケボー、年齢制限は必要か?ー東京五輪を振り返る②

2021年08月10日 22時50分15秒 | 社会(世の中の出来事)
 今回の五輪から「追加競技」というのが認められた。東京大会ではサーフィンスケートボードスポーツクライミング空手野球・ソフトボールだったが、パリ大会では最初の3つは実施されるが、後の2つは外れて、代わりにブレイクダンスが追加される。ますます「若者受けねらい」が明確になっている。

 この中のスケートボードでは若い日本選手が続々とメダルを獲得して驚かせた。真っ昼間にやってたから僕はナマでは見てないけど、後でニュースで見て競技がよく判らないのにも驚いた。テレビの「解説」も何だか有名になってしまって、「ゴン攻め」「鬼やばい」とか流行語大賞にノミネートされそうだ。

 ちょっと振り返ってみると、「ストリート」男子で堀米雄斗(22歳)が金、女子で西矢椛(にしや・もみじ、13歳)が金、中山楓奈(16歳)が銅、「パーク」女子で四十住さくら(よそずみ・さくら、19歳)が金、開心那(ひらき・ここな、12歳)が銀という好成績だった。堀米選手だって若いのに、12歳、13歳までいるから年長に見えてしまう。西矢選手の金メダルは、岩崎恭子を越えて日本の最年少記録である。
(西矢椛選手)
 他国のメダリストを見ても、ストリート女子銀のライッサ・レアウ(ブラジル)は13歳、パーク女子銅のスカイ・ブラウン(イギリス)も13歳である。ブラウン選手は英国人の父と日本人の母の間に生まれ、宮崎県で育ったという。今回英国の最年少メダリストとなった。プロサーファーでもあり、ナイキなど多くのスポンサーが付き、ユーチューバーとしても大人気だという話。これは朝日新聞の記事を読んで知ったことで、世界は僕には全く理解できなくなっている。スケボーのメダリスト全12人中、4人が中学生なのである。

 こういう若い五輪選手といえば、僕のような高齢世代にとっては1976年モントリオール五輪に登場したルーマニアの「白い妖精」、体操競技のナディア・コマネチを思い出す。当時はあり得なかった満点の「10.0」を連発し、個人総合と平均台、段違い平行棒で3つの金メダルを獲得した。その時わずか14歳だったことで世界を驚かせた。モスクワ五輪でも床運動と平均台で金メダルを獲得したが、1981年に引退。その後苦難の人生を送ることになるが、今はアメリカで体操コーチをしている。ところで、その後世界体操連盟は五輪参加規定を変更し、参加できるのは16歳からとなっている。
(ナディア・コマネチ)
 他にも年齢制限といえば、フィギュアスケートでは「五輪前年の6月30日までに15歳になっていること」という年齢規定がある。このため2006年のトリノ冬季五輪では、9月25日が誕生日の浅田真央が3ヶ月ほど足りなかったために出場できなかった。フィギュアスケートを見ていると、選手はジャンプ後の着地に失敗して転倒する場面をよく見る。あまりに若い時に五輪メダルを目指した過酷な練習を繰り返すことは若い心身に大きな負担になるということだろう。スポーツ選手はケガを避けられず、「スポーツは危険」なのだ。

 多分スポーツの中でも一番「危険」なのは、ボクシングだろう。このボクシングは五輪参加可能年齢を18歳からとしているとのことだ。今回の大会のボクシングで日本は金1,銅2個を獲得した。特に女子フェザー級で金メダルを獲得した入江聖奈(せな、20歳)選手は、そのファイトある戦いぶりと謙虚な人柄が注目を集めた。蛙マニアというのも面白いし、決勝の相手のネスティー・ペテシオ(フィリピン)を「大尊敬している」と語るインタビューも好感を持てた。ウィキペディアを見ると、今まで二人は勝ったり負けたりしてきた間柄だと判る。入江選手は鳥取県米子の出身で中学時代は陸上部で活躍し、米子西高校進学後からボクシングに専念したと出ている。
(入江聖奈選手)
 若いとは言え、高校生からならボクシングを始めてもいいだろう。サッカーでも今は若い時期はヘディング禁止という議論がある。ボクシングではどうあっても頭部への衝撃を避けられない。サッカーのヘディングも同じだろう。それを考えると、スケートボードも相当に危険なスポーツだと思う。今は何だかマスコミでも「自由なスポーツ」「国家を背負わず延び延びと若い世代が躍動している」などと持ち上げている。しかし、スカイ・ブラウン選手は昨年5月に大けがを負って、頭蓋骨や左手首を骨折し肺や胃に裂傷を負って命の危険もあったという。

 特にスケボーは学校と別に友人や家族と始めたり、街中でパフォーマンスすることも多いだろうから、もちろんヘルメットをしているとしても危険性は大きいと思う。恐らくパリだけでなくロス大会でも採用されると思うが、その頃には五輪参加には年齢制限を設けるという議論が出て来ると思う。「中学生で金メダル」を持ち上げるだけでは、マネして大けがをする若い世代が続出しかねない。学校に持ち込んで廊下で滑ったりする生徒が出ないといいんだけど。ケガする生徒が多くなる前からきちんと考えるべきではないか。
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「メダルラッシュ」の虚実、柔道の成功ー東京五輪を振り返る①

2021年08月09日 22時37分25秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京オリンピックの会期が終わったので、いくつかの問題を振り返ってみたいと思う。どんどん忘れていくから、他のことをおいて東京五輪の話を何回か。今回はいろんな問題があった大会だったから、特にこれはどうかなと思う点を中心に考えてみたい。まずは日本のメダル数である。今回日本は金=27、銀=14、銅=17、計58個のメダルを獲得した。過去最高であり、これを抜くことはもうないだろう。何でかというと、2024年パリ大会では野球・ソフトボール、空手が実施されないから、すでに金メダルが3個減ることが決まっているのである。

 今回の東京五輪では、日本のメダル数が金メダルで米中に次ぐ第3位金銀銅の総メダル数ではROC(ロシア)、英国に次ぐ第5位だった。メダルの国別ランキングでは金で順位付けしているから日本は世界3位という印象になる。でも本当は総メダル数の方を見るべきだろう。本来は国ごとにメダル数を比べるのは五輪憲章に反する。しかし、全世界で実際は「国力」を測る数値のように使われている。だから、マスコミも大きく報じニッポンバンザイ的にあおる。確かに金メダル数世界3位は事実だから、それを素直に喜ぶべきなのか。

 しかし、素直じゃない身としては疑問がふつふつと湧いてくるのである。何故かといえば、「比較の対象が違っている」からである。リオ大会にソフトボールがあれば、やはり金メダルだったのではないだろうか。だからリオ大会と東京大会を単純に比べることに意味がないと思うのである。全部見ると面倒だから金メダルに限ることにするが、日本はリオで12個、ロンドンで7個だった。1964年東京と2004年アテネの16が過去最高だった。

 リオ大会では、競泳=2体操=2、レスリング=4(女子)、柔道=3(男子2,女子1)、バドミントンである。このうち、競泳は銀2,銅3を獲得、柔道は銀1,銅8を獲得した。ロンドン大会では柔道の金は松本薫の1個だけ、銀2,銅3だった。競泳は金はゼロだが、銀3,銅8だった。ロンドンの金は他に体操1,ボクシング1,レスリング4(女子3,男子1)だった。

 それでは今回の東京大会を見ると、前回実施されなかった独自競技としで野球・ソフトボール=金2空手=金1、銀1、銅1、スケートボード=金3、銀1,銅1、スポーツクライミング=銀1、銅1,サーフィン=銀1,銅2となっている。合計すると、金6、銀4、銅5も獲得している。それはもちろん立派なことだけど、リオと比べるんなら別扱いするべきではないか。また卓球の混合ダブルスも初の種目だし、女子レスリングも前回までの4階級から6階級に増えた。今回は重量級2つでメダルを逃していて、前回までと同じならやはり3つだった可能性が高い。

 今回の日本の金メダルが史上最高だったのは「日本が得意な種目を加えた」ことが大きい。これを大騒ぎするのは「粉飾決算」とまでは言わないけれど、日経平均の指定銘柄を勝手に入れ替えて株価が上がっている新興企業を組み入れて「株価が上昇した」と強弁するようなものではないか。もっともそれを差し引いても金メダル数は増えているのも確かだ。今回はフェンシング女子ボクシング卓球などで史上初の金を獲得した。

 しかし、それ以上に要するに柔道の金メダルが9個と過去最多だったことが大きい。リオ大会でメダル数12個中、金は3個だった。東京大会ではメダル数は同じ12個ながら、金9、銀2、銅1と圧倒的に金が多い。しかし、それでも銀の一つは今回から実施の混合団体だから、個人が獲得したメダル数は1個減っているのである。今回の東京五輪では柔道レスリングは期待通りに活躍したが、競泳バドミントンは事前に期待された結果にならなかった。別にメダルにこだわるということではなく、なぜ柔道はうまくいって競泳はうまくいかなかったのかを考えることが教育や企業経営などにも生かせると思う。

 ということで少しは競技の話を最後に。今回は柔道をずいぶん見た気がする。レスリングも見た。妻が卓球を見ていて、1ゲーム終わるごとにレスリングに変えては早く戻してといわれていた。どうも球技よりも格闘技の方が好きなのかもしれないと初めて自分で感じた。何でかというと、ほんのちょっとの油断ですべてが終わるという緊迫感が半端ないのである。それはスポーツ全部に言えるけれど、球技の場合相手がマッチポイントを迎えても、そこから連続ポイントを獲得して逆転することもある。しかし、柔道やレスリングでは「一本勝ち」というルールがあるから、一瞬の油断で大技を決められたら終わりである。

 柔道は4分間で決着しない場合、勝敗が決するまで戦い続ける「ゴールデンスコア」方式になる。リオ大会後の変更で、それまでの「有効」「効果」という小技による決着、それでも決着しない場合の審判による判定決着をなくして、「技あり」「一本」のみにして延々と戦うのである。さらに、消極的選手に出される「指導」を4回で反則負けからを「指導3回で反則負け」に変えた。とにかく積極的に攻めて技で決着しようという変更である。
 (新井千鶴、タイマゾワ、表彰式と準決勝)
 今回の五輪の中でももっとも凄まじかったのは、柔道女子70キロ級準決勝新井千鶴・タイマゾワ(ROC)戦だった。その結果、新井・タイマゾワ戦は延長しても全く決着せず、何と16分41秒という死闘を繰り広げたのである。しかも、決着したのは新井の絞め技だった。タイマゾワは「落ちた」(失神した)ことで一本負け敗戦となる壮絶な決着だった。「感動を貰える」なんてレベルを超越している。一人しか生き残れない格闘技のトーナメントの非情さをまざまざと感じた。「双方ともに金」が出来る高跳びがうらやましい。

 タイマゾワはそれまでの対戦で負傷していて、大きな絆創膏を額に貼りながら抵抗を続けた。最後の頃は明らかに体力的に新井優位になっていたが、凄まじいまでの頑張りで抵抗し続けた。結局寝技に持ち込まれて「締め」で決着。五輪で絞め技なんて今まであったのだろうか。それでも凄いと思うのは、3位決定戦でタイマゾワはクロアチアの選手に延長戦で勝って銅メダルを獲得したのである。一方新井千鶴もオーストリアのポレレスに技ありで4分間で勝って金メダルとなった。大野将平阿部一二三、詩兄妹、日本最初の金メダルとなった高藤直寿なども素晴らしい選手だと思ったけれど、何といっても新井千鶴選手のすごい戦いが思い出される。

 柔道の日本選手はナショナルトレーニングセンターでずっと合宿トレーニングを続けられ、時差も隔離も不要なのでアンフェアだという声もあった。そういう「地の利」もあったろうが、それだけではない。柔道の国際化に伴い、一時は日本のメダル数も落ちていた。1988年ソウル大会では金メダルが1個だった。(女子は公開競技で正式競技ではなかった。)ロンドン大会は先に見たように金は松本薫一個。今回テコンドーで韓国の金メダルがなかったというが、テコンドーが国際化する中で発祥国が低迷する段階なのだろう。日本柔道はルール改正もあって、技と練習量がより重要になった。それに合わせたトレーニングを続けてきたということだろう。柔道は開会式翌日から始まるから、他競技の日本選手にも影響を与える。柔道の「成功」が今回の東京五輪に大きな意味を持った。(他の競技も書く予定だったが、長くなったのでここで終わる。)
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河村市長の「金メダル噛んだ」事件

2021年08月08日 21時58分04秒 | 社会(世の中の出来事)
 東京五輪でソフトボールの金メダルを獲得した名古屋市出身の後藤希有(みう)選手が、8月4日に名古屋市の河村たかし市長を表敬訪問した。その際、市長が金メダルを噛んだことが大きく報じられ、苦情や批判が殺到した。他競技のメダリストからもたくさんの批判が湧き起こったが、単に「金メダリストに対する敬意に欠ける」といったレベルの問題ではないと思う。なお、河村市長は単に「金メダルを噛んだ」だけではなかった。「旦那はいらないか」「恋愛禁止か」などとも発言していた。そのことは【表敬訪問の詳報】(東海テレビ)に詳しい。
(河村市長が金メダルを噛んだ)
 その記事によれば、第一声が「でかいな。やっぱり」である。金メダルを噛んだ後も「体つきはもう1人の、昔からおるピッチャーの」と上野選手の名前も出て来なくて、後藤選手が「上野さんがやっぱりガッチリされています」と応じる。「ポニーテールの女のソフトボールやっている連中はかっこええんですよ、本当に。中々、元気そうで、未来がありそうで、感じがええじゃないですか。是非、立派になって頂いて、ええ旦那をもらって。旦那はええか?恋愛禁止かね?」「受験勉強なんかどうでもええで、ソフトボールをやりゃあええがね。本当はそうならないかん。びっくりしました。テレビのたくましい雰囲気と、えらいキュートな雰囲気と」などと読んでる方が恥ずかしくなるような発言が続く「歴史的文献」である。

 ところで、ここで愛知県の大村知事のリコール問題やその後のリコール署名偽造事件を書きたいと思いながら書いてなかった。そのリコールは「あいちトリエンナーレ2019」の「言論の不自由展」問題をきっかけにしたもので、高須クリニックの高須院長や河村市長が中心になっていた。リコール自体は初めから成立可能性がないので、他市の問題でもあり書くまでもないと思った。だが、その後の署名偽造と合せて「極右勢力の考え方」を知る意味で考えるべき問題だった。公然と「言論の不自由」を実践して見せた河村名古屋市長の存在こそ重大だろう。

 河村たかし(1948~)は昔から県会や名古屋市長への立候補を模索していた。90年の衆院選には無所属で立候補して落選、1993年衆院選では自民党を離党して日本新党から初当選した。以後、新進党、自由党、民主党に所属し、その間も民主党代表選への出馬を表明しては断念を繰り返した。テレビのバラエティ番組によく出演してざっくばらんな発言がそれなりの人気を得ていたと思う。2009年4月の名古屋市長選で初当選したが、市議会と対立し市長自らが市議会リコール運動を起こした。それに失敗し責任を取って辞任、2011年の出直し選に再出馬して当選した。以後、2013、2017、2021の市長選と5回当選した。

 金メダル問題に戻ると、「そもそも表敬訪問する意味があるのか」「メダルを噛む行為そのものがどうなんだろうか」という意見もあるだろう。僕もメダル噛みには違和感を感じていたから、メダリストにも同じように思っている人もいるんだと思った。また逆に「金メダルはそんなに神聖なものなのか」とも言えるだろう。「コロナ禍」で握手なども控えている中で、「噛んでから返す」というのは誰にも容認できない行為だ。そういう点を前提にして、一番の問題点はちょっと違うところにあるのではないかと思う。

 それは「他人のもの」に対する図々しさから来るうっとうしさである。他人のものなんだから、誰が考えたって最低のマナーとして「噛んでみてもいいですか」と聞くべきだろう。だがそういうマナー感覚があれば、そもそも他人の金メダルを噛んだりしない。何でも名古屋城の金のシャチホコも噛んで見せたらしいから、特に金にこだわりがあるのか。いや、それも「受け狙い」なんだと思う。何で我々がこのことを知っているかというと、そこにマスコミがいて写真が報道されたからだ。つまり公然となされたのであって、少なくとも本人は悪いことをしているとは思っていなかった。むしろ「お茶目」な行動として、有権者に好感を持たれると思っていたはずだ。

 今回なるほどと思ったのは、時事通信の「名古屋市長のメダルかじり、海外で冷ややか」という記事にあったアメリカ人のツイッターへの投稿である。「日本で働く女性の現状を象徴している。年配の男性が(女性の)個人空間に侵入し、苦労して手に入れた成果を台無しにする」という指摘である。この「個人空間への侵入」という指摘はよく判る気がする。批判された後で河村市長が最初に発表したコメントで「最大の愛情表現だった」と言った。これが今回一番気持ち悪いと思ったが、セクハラや体罰を「愛情」だという発言を何度も聞いたと思う。

 「個人の尊厳」への配慮がなく、図々しく踏み込んできて、それを「愛情」と呼ぶ。例えば教科書を忘れたと言うから隣の生徒に見せてあげたら、指をなめてページをめくったり勝手に書き込みされたというようなものか。それをおかしいと思わないことが一番の問題で、気付いていないのである。本当ならシャチホコを噛んだときに誰かが市長をたしなめるべきだったが、こういう人が権力を持っていると誰も直言しなくなるだろう。ところで、この金メダル事件の構造は、「リコール問題」と同じだと思う。昔の市議会リコール時の署名簿が今回利用されたと言われるが、それがそもそも「個人情報の流用」である。
(愛知県知事リコール運動を進める河村市長)
 それとともに、そもそもの「言論の不自由展」のとらえ方がおかしい。展示内容が「反日」だというが、それを河村市長は見たのか。見ないで批判してるし、他の人にも見るなという。見る前に禁止されたら、内容の判断が出来ない。一般市民は判断する必要がないというのである。そして、何を考えたのか開催責任者だった大村知事をリコールするという。本人は善事をなしていると思い込んでいるのかもしれないが、すべて「思い込み」である。不勉強に対して助言してくれる人がいない。河村市長の振る舞いを見て、日本のありようと自分も含めた人の生き方を考えるきっかけにしなければと思う。
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益川敏英、江田五月、宮脇昭、サトウサンペイ他ー2021年7月の訃報

2021年08月07日 20時27分26秒 | 追悼
 2021年7月の訃報特集。2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英が7月23日に死去、81歳。京大理学部助手時代に後輩の小林誠とともに「CP対称性の破れ」を説明出来る理論を発表した。そこでは当時3つしか見つかっていなかったクォークが全部で6つあると予言し、それが1995年に確認され、ノーベル賞につながった。と言うんだけど、当時から業績内容は全然判らない。益川氏は「ノーベル賞貰ってもそんなにうれしくない」などとへそ曲がりなことを発言して注目された。英語が苦手で外国へ行ったこともなかったとか、なかなか興味深いエピソードが多かった。名古屋大空襲の経験者でノーベル賞受賞講演でも反戦を訴えた。受賞対象の研究当時も、京大職組の書記長だったという。反戦平和運動も年季が入っていたのである。
(益川敏英)
 元参議院議長で衆参で長く議員を務めた江田五月が7月28日に死去、80歳。僕は江田さんの話は何度も聞いている。岡山県選出議員として長くハンセン病問題に関わり集会でもよく挨拶していた。死刑廃止集会にも顔を見せていたので、僕は親近感を持っていた。社会党書記長を務めた江田三郎の子で、東大在学中は学生運動で知られた。司法試験に合格、修習後に裁判官に就任したが、1977年に父の急逝に伴って退官、参院選に立候補して当選した。父は社会党を離党して、菅直人らと「社会市民連合」を結成していた。以後、細かく書くと社会民主連合、新進党、民主党に所属し、参議院、衆議院議員を各4期務めた。2007年参院選で民主党が大勝し、2010年まで参議院議長となった。その後菅直人内閣で法相、環境相を務め、三権の長経験者であることでは批判もあった。
(江田五月)
 生態学者の宮脇昭が7月16日に死去、93歳。非常に有名な人だったが、訃報が小さかったのが意外。日本中で元々の樹木の生態系が崩れ、二次林になっているのを批判した。それが集中豪雨などによる災害につながるとして、「混植・密植型植樹」を全国に広めた。80年代には日本全国を回り「日本植生誌」をまとめ、90年代からは海外で熱帯雨林再生計画を進めた。横浜国立大学に長く勤めて、同大には宮脇が設計した森林が広がっている。「4千万本の木を植えた男」と呼ばれ、専門書の他に一般向けの著書も多かった。
(「宮脇昭自伝」)
 漫画家のサトウサンペイが7月31日に死去、91歳。本名は佐藤幸一(ゆきかず)で、ペンネームは戦前の大漫画家岡本一平(岡本太郎の父)には及ばないということで付けたという。サラリーマン漫画の代表格で、朝日新聞に1965年から1991年まで26年間連載した4コマ漫画「フジ三太郎」で知られる。僕は同時代だったから、ほぼ読んでいたと思う。面白い時が多かったとは思うが、今になってみると中年サラリーマンのジェンダーバイアスがかかった作品も結構あったのではないか。僕にはそれ以上に、『パソコンの「パ」の字から』(1998)という軽妙なパソコン入門書というか、パソコン体験記のお世話になった思い出がある。当時はまだパソコンやインターネットがそれほど普及していなかった。この本は自分の失敗もやさしく説明していて初期のガイドとして有益だった。
(サトウサンペイ)
 映画カメラマンの前田米造が7月6日に死去、85歳。日活に入社しロマンポルノ時代に「赫い髪の女」などを撮影した。その後、80年代に森田芳光監督の「家族ゲーム」「それから」、伊丹十三監督の「お葬式」「マルサの女」などの代表作を担当した。21世紀になってからは鈴木清順監督の「ピストルオペラ」「オペレッタ狸御殿」を撮影した。「それから」で日本アカデミー賞最優秀撮影賞、「天と地と」(角川春樹監督)で日本アカデミー賞優秀撮影賞を得た。森田芳光、伊丹十三の作品はほとんど担当している。
(前田米造)
 音楽プロデューサーの酒井政利が7月16日に死去、85歳。70年代に数多くのアイドル歌手をプロデュースしたことで知られる。南沙織に始まり、キャンディーズ山口百恵も、この人が送り出した歌手だった。その後心理カウンセラーにもなって、その方面の本もある。音楽だけでなく、舞台、テレビ等の企画を担当していた。久保田早紀異邦人」を中近東風イメージにアレンジして売り出したことでも知られる。2020年、文化功労者に選定。
(酒井政利)
 戦前から天才バイオリニストとして有名だった辻久子が7月13日に死去、95歳。大阪に生まれ、宝塚のコンサートマスターだった父に6歳からバイオリンの指導を受けた。1938年に12歳で音楽コンクールで優勝し「天才少女」と呼ばれた。15歳頃からプロで活躍したが、一貫して大阪を本拠として後進の育成を続けた。1973年には自宅を3500万円で売却し、3000万円のストラディバリウスを購入したことで話題となった。
(辻久子)
 「ズッコケ三人組」シリーズで知られる児童文学作家、那須正幹(なす・まさもと)が7月22日死去、79歳。1978年から2005年にかけて50巻書かれた「ズッコケ三人組」シリーズは総計2500万部が発行され、戦後児童文学最大のベストセラーになった。しかし、当初は批評家に不評で批判もあったが、子どもたちに圧倒的に支持されて有名になった。もっとも僕の子ども時代にはなかった本だから読んだことがない。広島で被爆し、反核兵器や護憲の運動にも参加した。山口県防府市に住んで作家活動を続けたことでも知られる。
(那須正幹)
 クリスチャン・ボルタンスキーが7月14日死去、76歳。現代美術家。1944年にパリで生まれ、ユダヤ人の父の苦難を聞いて育ち生と死を問う作品を手掛けた。80年代以後に「モニュメント」や「暗闇」をテーマにした作品を多く手掛けた。来日25回を越えて日本との縁が深かった。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」の常連アーティストとして、日本でも多くのファンを得た。多くの展覧会が日本でも開かれて回顧展も行われた。僕も何回か見ているが、印象深かった。大地の芸術祭でも見ていると思う。
 (ボルタンスキー)
ウラジーミル・メニショフ、5日死去、旧ソ連映画で、81年アカデミー賞外国語映画賞受賞の「モスクワは涙を信じない」の監督。
リチャード・ドナー、5日死去、91歳。アメリカの映画監督。「オーメン」「スーパーマン」「リーサル・ウェポン」シリーズなど。
フランソワーズ・アルヌール、20日死去、90歳。「フレンチ・カンカン」や「ヘッドライト」など50年代フランス映画で活躍した。
スティーブン・ワインバーグ、23日死去、88歳。1979年ノーベル物理学賞受賞者。電磁気力と「弱い力」を統合する理論を発表した。
クリスティーン・アン・ロルセス・マレン、2月16日死去、68歳。「ベッツィ&クリス」のクリス。69年にハワイの高校の合唱隊として来日し、「白い色は恋人の色」を歌って大ヒットした。

黒田泰蔵、4月13日死去、75歳。陶芸家。白磁の創作で知られた。黒田征太郞の弟。
大石昌美、1日死去、91歳。ハーモニカ奏者として長年ラジオ、テレビで活躍し、多くのCDがある。
中山ラビ、4日死去、72歳。シンガー・ソングライター。ボブ・ディランの影響を受け、70年頃から音楽活動を続けた。国分寺の喫茶店「ほんやら洞」オーナー。
志賀節、5日死去、88歳。自民党の政治家で、海部内閣で環境庁長官を務めた。小選挙区で小沢一郎系の候補に勝てずに引退した。僕がこの人を知っているのは、自民党には珍しい死刑廃止論者だからで集会でよく挨拶をしていた。
浅見真州(まさくに)、13日死去、80歳。能楽師。観世流シテ方。
岡庭昇、14日死去、78歳。TBSに勤務しながら、70年代から評論家として活動した。文芸、メディア論などを中心に多くの著書がある。
伊藤京子、25日死去、94歳。ソプラノ歌手。1950年にオペラ界にデビュー。「夕鶴」のつう役が当たり役だった。
黒川武、28日死去、93歳。元総評議長。1983年、私鉄総連委員長から総評議長に就任し、連合結成(89年)まで務めた。
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タッチペンになる北星の鉛筆キャップ

2021年08月05日 22時51分59秒 | 社会(世の中の出来事)
 猛暑・酷暑の日々が続いていて疲れてしまう。まあブログを休んでもいいんだけど、何だか書いてないとそのまま書けなくなりそうで落ち着かない。本の話、映画の話と書いてきたから、そろそろ五輪かコロナかとも思うが、たまには全然違う小ネタ話。東京新聞7月31日付夕刊の一面トップに「タッチペンになる鉛筆キャップ」という大きな記事が載っていた。いやあ今一面で扱う記事かなとも思ったが、なかなかいい話だったから紹介。
(北星の鉛筆キャップ)
 東京の葛飾区四つ木に「北星鉛筆」という会社がある。東京東部は小さな会社が集まっている地区である。この地区には今も鉛筆会社が多くあるという。鉛筆は学校では使うけれど、社会に出たらボールペンやサインペンを使うことが多いだろう。もちろん字を書くこと自体が減っている。字は書くのではなく「打つ」ものという時代である。そんな中で鉛筆の消費量はどんどん減ってきた。高度成長期に業界全体で年間14億本あった生産量が、最近は2億本まで減っているという。そんな中で学校、特に小学校が「最後の砦」みたいなもんだろう。
(北星鉛筆本社ビル)
 ところが最近は教育もデジタル化の時代である。小学校でもコロナ禍の中でデジタル端末を配って授業で使うようになった。その際には指で画面をなぞるよりも、もっと細かい操作ができるタッチペンが役に立つ。でもタッチペンは結構高い(1本あたり1500円前後)。そこで注目されているのが北星鉛筆の「スタイラスな鉛筆キャップ」(250円)という製品である。生徒が必ず持っている鉛筆に被せるだけで、タッチペンになる。鉛筆の芯に使われる黒鉛は導電性があり、芯が触れるキャップの先端に導電処理をしたものだという。

 ここで大切なことは、なぜキャップなのかということだ。鉛筆の芯の反対側はよく消しゴムが付いていたりする。そこをキャップにすることじゃダメなのか。開発段階では最初はそれも考えたという。しかし、そうするとキャップとして使うとき、とがった芯が生徒の顔に向いてしまう。不慮の事故が心配だし、鉛筆はどんどん短くなって捨てられてしまう。キャップ型ならば他の鉛筆に付け替えれば繰り返し使える。そういう配慮で出来たのが北星のタッチペンキャップなのである。学校、特に小学校などに向いている商品なのである。2014年に発売以来、6年間で1万個売れたのが、昨年だけで1万個売れたという。
(小川洋子「そこに工場がある限り」)
 ところでこの北星鉛筆のことは最近読んだなあと思いだした。小川洋子さんの近著「そこに工場がある限り」(集英社)である。小川さんのファンであるとともに、このような社会科見学的な本が大好きなのである。神戸のグリコピアとか、丘の上のボート工場、「サンポカー」(小さな子どもを一度にたくさん乗せられるベビーカー)を作っている会社などを訪ねている。その中に北星鉛筆も出てくる。何しろここは鉛筆について学べる「東京ペンシルラボ」という施設を作って見学を受け付けている会社である。環境に配慮してリサイクルにも力を入れ、おが屑を利用した製品を作っている。なかなかすごい会社で、だからこそ鉛筆会社でありながらデジタル時代の子ども向け商品も開発できたのだろう。もちろん学校だけでなく、個人でスマホ用タッチペンにも使えます。
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ケリー・ライカート監督の映画ーアメリカの女性インディーズ監督

2021年08月04日 21時05分15秒 |  〃 (世界の映画監督)
 ケリー・ライカート(Kelly Reichardt、1964~)監督の特集上映がシアター・イメージフォーラムで行われている。「1994年に最初の長編『リバー・オブ・グラス』を発表以来、各国映画祭で激賞されながらも、大手スタジオとは一定の距離を保ち、真にインディンペンデントなスタイルと制作体制を静かに貫き続ける現代最高の女性監督ケリー・ライカート」と紹介されている。このコピーが僕の見たい気持ちをそそった。昨年初めて日本で紹介されたというが全然気付かなかった。ウィキペディアには「ケリー・ライヒャルト」と出ているが、本人に確認して「ライカート」と表記しているという。一体どんな映画だろうか。

 順番に見ることにして、まず最初に1994年の「リバー・オブ・グラス」(River of Grass)。チラシには、楽園リゾート都市マイアミのほど近く、なにもない郊外の湿地で鬱々と暮らす30歳の主婦コージーは、いつか、新しい人生を始めることを夢見ている……。20代最後の年、故郷に戻ったライカートが、逃避行に憧れ、アバンチュールに憧れ、アウトローに憧れた、かつての思春期の自身に捧げた「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリー、犯罪の無い犯罪映画」とある。何だよそれという感じだが、見たら本当にロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリーだったのに驚いた。
(「リバー・オブ・グラス」)
 マイアミの近くだというのに、全然リゾート感のない郊外地区。登場人物は皆熱量が低く、警官はいつの間にか拳銃をなくしてしまったぐらい。それを拾った若者もただの怠け者にすぎない。どこかへ行きたい主婦は家を出ると車に轢かれかけ、それをきっかけにバーでその車のドライバー(銃を拾った男)と知り合う。知り合いのプールに行こうと誘って、そこで家人に銃をぶっ放してしまう。大変な犯罪者になったと逃げ出すが、金がなくて遠くへも行けない。犯罪者とも言えない二人の「愛無き逃避行」を気だるく描くだけだが面白い。

 次が2006年の「オールド・ジョイ」(Old Joy)で、これもチラシを引用すると「もうすぐ父親になるマークは、ヒッピー的な生活を続ける旧友カートから久しぶりに電話を受ける。キャンプの誘い。 “戦時大統領”G・W・ブッシュは再選し、カーラジオからはリベラルの自己満足と無力を憂う声が聞こえる……。ゴーストタウンのような町を出て、二人は、ポートランドの外れ、どこかに温泉があるという山へ向かう。」僕はこの映画が一番面白かった。この映画でも何でもないような瞬間だけが続いてドラマがない。ドラマではなく、シチュエーション(状況)しかないのがライカート監督の特徴だ。
(「オールド・ジョイ」)
 身重の妻を家において、つい旧友の誘いに乗って山へ行ってしまう主人公。しばらくぶりに故郷の街へ帰ってきた友の誘いを断れるわけがない。温泉があるというから行ってみようぜ、場所は良く判らないけど。ライカート映画は全部「道に迷う主人公」を描いている。ただ男二人の他愛のない会話が続くが、車のラジオが時代を映す。最初のフロリダから遠く離れて、この頃は太平洋岸のオレゴン州で撮っている。山の温泉ってどんなのかと思うと、車を降りて相当歩いていくと結構立派な木造の施設があるから驚き。そこに掛け流されている湯に浸る快楽。犬を連れて行くのも面白い。そして帰って行く。それだけだけど面白い。
(ケリー・ライカート監督)
 この映画を見てアカデミー賞に4回ノミネートされている女優ミシェル・ウィリアムズがアプローチして作られたのが、2008年の「ウェンディ&ルーシー」(Wendy and Lucy)。ルーシーは「オールド・ジョイ」にも出ていた犬である。はるばるインディアナ州から犬連れでアラスカを目指すウェンディ。未来のない故郷を捨てアラスカで仕事を探そうと思ったんだけど。オレゴン州の小さな町で車が故障してしまい、なかなか修理できない。スーパーで買い物をしていると万引きを疑われ、警察に連れて行かれて戻ってくるとルーシーがいないではないか。車と犬を一度に失ったウェンディの苦闘をカメラはじっと見つめる。
(ウェンディ&ルーシー)
 最後に2010年の「ミークス・カットオフ」(Meek's Cutoff)で、これもオレゴン州ながら1845年という設定である。「広大な砂漠を西部へと向かう白人の三家族は、近道を知っているという案内人・ミークを雇うが、長い1日が何度繰り返されど、目的地に近づく様子はない。道に迷った彼らを襲うのは飢えと互いへの不信感だった……。」という映画で、これも西部劇の世界を借りて「道に迷う」人々を描いている。どこに連れ回されるているのか疑心暗鬼になるというのは、アンドレ・カイヤット監督の「眼には眼を」を思わせる。チラシにあるように、「アメリカのアイデンティティの根源たる西部開拓神話が、ライカートのオルタナティブな視点とスタイルによって見事に解体された歴史的一作」という言葉に尽きる。
(「ミークス・カットオフ」)
 長編映画ではこの他に1999年に「Ode」という映画がある。また「ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画」(2013)、「ライフ・ゴーズ・オン 彼女たちの選択」(2016)の2本はスター俳優も出演した映画だが、日本では劇場未公開のままDVDで発売された。そして最新作の「First Cow」(2020)が初めて正式に公開されるらしい。未公開なんだから知るわけがないが、アメリカにもこういうインディーズの女性監督がいたのかという「発見」がある。アートの潮流としては「ミニマリズム」に近い感じがする。壮大なドラマ世界ではなく、日常のシチュエーションをただ「写生」するだけのような世界だけど、そこに世界が顕現する「啓示」のような瞬間がある。アメリカの非ハリウッド映画が上映されることは珍しいので紹介した。
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映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」、性犯罪と復讐をめぐって

2021年08月03日 22時58分50秒 |  〃  (新作外国映画)
 2021年の米アカデミー賞でエメラルド・フェネルが脚本賞を得た「プロミシング・ヤング・ウーマン」(Promising Young Woman)が公開された。他にも作品賞、監督賞(エメラルド・フェネル)、主演女優賞(キャリー・マリガン)、編集賞にもノミネートされた。時間を行き来するミステリー的な構成で、確かによく出来た脚本だ。でも映画の完成度としては「ノマドランド」に及ばないだろう。そしてそれで良いんだろうと思う。伝えるべきメッセージをエンターテインメントとして送り出すというのがこの映画の眼目だと思うから。

 冒頭でキャシーキャリー・マリガン)が夜のバーで酔っ払っている。ミニスカートがまくれているのを見ている3人の男がいる。「なかなかいい女だ」「ああいうスキを見せるとまずいぞ」「お前介抱してやれよ」的な言葉を交わしている。そういう「出会い」を見つける場なんだろうし、男は「お持ち帰り」出来る女を捜しているんだろう。チラシに「復讐エンターテインメント」とあるから、見る前からこれは「罠」なんだろうと思って見ることになる。キャシーは男の家まで付いていくが、案の定実は素面で男の態度を告発する。
(バーで酔った(ふりの)キャシー)
 段々判ってくるが、キャシーは以前は医学部で勉強していたが、今は小さなカフェで働く日々。夜な夜な飲み屋に出掛け「私的おとり捜査」を繰り返している。両親は毎日遅いので心配してるが、「残業」だと言い張る。そんな時に昔医大で同級生だったライアンボー・バーナム)がカフェにやってくる。ライアンは懐かしく思い、昔のクラスメートの消息も伝える。自分は小児科医になっていて、アル・モンローは今度結婚するんだと。キャシーはアルの名前に激しく反応した様子で、昔のニーナのことは覚えているかと言う。

 「プロミシング・ヤング・ウーマン」とは「前途を約束された若い女性」ということだが、キャシーもニーナも昔はそう言われていた。しかし、医大生の時に何かが起こった。それは一体何なのか。キャシーの幼い頃からの親友だったニーナはある日パーティで酔っ払って意識がない状態の時に、アルにレイプされた(ということらしい)。ニーナは学校当局に訴えるが、信じて貰えなかった。「前途有望な若者」を証拠不十分で罰するわけにはいかないと言われた。弁護士にも告発を取り下げさせられた。キャシーはクラスメートのマディソンをレストランに招き、なんで傍観していたのかと問う。そして酔わせたうえで男に引き渡す。
(キャシーとライアン)
 昔の弁護士、大学で事件をもみ消した責任者(女性)、ニーナの母親…キャシーは様々な人に会いに行く。ニーナの母はもう前を向いて欲しいと言う。ライアンはまたカフェに来て、次第にキャシーも打ち解けてくる。食事にも行ったし、キャシーの両親にも挨拶に来た。キャシーはライアンと付き合って、再び前を向いて歩き出せるのか。そんな時にマディソンがこの前は何が起こったのかと問い詰めに来て、ある「動画」があったんだと渡す。キャシーは今30歳前後だから、学生時代はもうスマホがあったのである。その動画を見て、ついにキャシーは最終の行動に出る。そしてライアンに別れを告げ、アルの「独身最後のパーティ」の場所を聞き出す。
(看護師の衣装でアルのパーティへ)
 キャシーは看護師の扮装をして「誰かが頼んだストリッパー」を装って、アルのパーティに潜り込む。そして、どうなるか。それはキャシーの人生を賭けた行動だったのである。これは性犯罪の告発に止まらない。「復讐」を主眼にしているが、それとともに中立を言いわけにして「傍観者」を決め込むものへの告発でもある。かつての事件をもみ消した責任者が女性だったように、単に性別でくくれない問題だ。それでも自分の身近なものが対象になれば、当事者の気持ちが判る。では、キャシーのやり方は有効なのか。

 被害者の心は壊れてしまうが、加害者は平気で生きていける。そのような「構造」をスリリングなエンターテインメントとしてあぶり出している。少し前に読んだ姫野カオルコ彼女は頭が悪いから」を思い出すが、あの小説(とモデルになった現実の事件)では刑事事件としてのプロセスが一応機能していた。一方、この映画ではそもそも刑事事件になっていない。そのことに驚いた。「独身最後」の男だけのパーティという「ホモソーシャル」な世界の気持ち悪さ。それも医学部生という「リッチ」な男たちの貧困な発想にも驚く。

 キャリー・マリガンは「17歳の肖像」「わたしを離さないで」などで活躍しているイギリスの女優。ライアン役のボー・バーナムは「エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ」という映画の監督でもある。監督、脚本、製作を務めたエメラルド・フェネルは今作が監督デビューだが、今まで女優、小説家として広く活躍してきたという。今作のキャシーの描き方は非常に才能豊かで、今後注目の女性表現者だと思う。今作は告発色が強く、「復讐」がテーマになっているから、これで本当に良いのだろうかと見る者に尽きつける力がある。

 僕には評価仕切れない気持ちが残るが、それは名前しか出て来ないニーナという存在が大きい。ニーナは名前でしか出て来ないから、キャシーがどんなに辛いかも観客の想像で補う必要がある。キャシーの「復讐」も、村上春樹「1Q84」の青豆のようなものではないから、こういう毎日でいいのかと見る者に思わせる。そういう設定の細部など、脚本は僕には今ひとつのような気もした。近年の脚本賞がテーマ性重視になっている感じもする。「少年の君」はイジメ、今作は性犯罪と、傍観者を鋭く問う映画を見るのも辛いが必見の作品だろう。
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映画「少年の君」、中国のいじめ問題を見つめる

2021年08月02日 22時29分26秒 |  〃  (新作外国映画)
 香港映画として2021年の米国アカデミー賞国際長編映画賞(旧外国語映画賞)にノミネートされた「少年の君」という映画が公開されている。香港映画のノミネートって以前にあったのかと調べてみたら、チェン・カイコー「さらば、わが愛/覇王別姫」やチャン・イーモウ「紅夢」なども香港映画に分類されていた。この「少年の君」は監督は香港のデレク・ツァンが務めているが、舞台や出演者などは純然たる中国映画である。映画内で地名は出て来ないが、ロケは重慶で行われている。大都市を背景に苛酷な青春ドラマが展開される傑作だ。

 この映画の背景にあるのは中国の厳しい大学入試制度である。それは「高考」(ガオカオ、普通高等学校招生全国統一考試)というもので、中国の受験はすごいという話は知っていたが実情の凄まじさに改めて驚いた。何しろ二次試験とか推薦入試とかはなく、6月7日、8日に行われる「高考」の得点ですべて決まってしまうというのだから大変だ。この映画を見ると、教室の生徒数が非常に多く、生徒が机に参考書を何冊も並べて猛勉強している。

 冒頭で英語教師が教室で教えている。“was"と“used to be"は何が違うかと生徒に問いかけている。教室の中には一人うつむいて発音に付いてこない生徒がいる。そんな様子を見せながら、話は過去にさかのぼる。高校3年生のチェン・ニェンチョウ・ドンユイ)は進学校に転校してきた。入試を控え殺伐とする校内で、ひたすら参考書と向き合い卒業までの日々をやり過ごしていた。そんな中、同級生の女子生徒がクラスのイジメを苦に自殺。飛び降りた少女の死体をスマホで映像を撮る生徒たち。チェンは一人で近づいていって、遺体に自分の上着をかけてやる。しかし、そのことがきっかけで激しいイジメの矛先はチェンへと向かう。
(学校のチェン・ニェン)
 チェンの母親は学費を稼ぐためインチキ化粧品の販売に従事して借金を抱えている。そのことをイジメ生徒に知られ、さらにイジメがエスカレートする。チェンは嵐が過ぎ去るのを待ちながら、受験を迎える日々を過ごしていた。そんな中である日、下校途中にリンチされている少年シャオベイイー・ヤンチェンシー)を見て、とっさに警察に通報しようとして逆に捕まってしまう。こうして相まみえることのないはずの、優等生の女子高生街のチンピラ少年が出会うことになるのである。

 このような設定はルーティンのようにも思える。「美女と野獣」ものというか、日本では「泥だらけの純情」などが典型。かつての石原裕次郎とかジェームス・ディーンなど、男はちょっと不良っぽいのがパターンである。しかし、この映画はそのような大衆文化的文脈で作られているというよりは、現実に起こった事件を基にしたオンライン小説が原作になっているらしい。親が出稼ぎしているチェン・ニェンと親に捨てられたシャオペイ。大学受験と街の犯罪少年、生きる場は全然違うけれども、それそれを通して見えてくる中国の格差と闇の深さに驚く。
(チェン・ニェンとシャオペイ)
 イジメと借金取りから逃れて、やがてチェンはシャオペイのぼろ家で勉強するようになる。次第に心通わせていくかと思わせて、事態は高考直前に大きな変転を見せる。壮絶なイジメを受けチェンの心身はボロボロになる。そして二人の決意、イジメ事件を調べてきた若手刑事の捜査はどうなるのか。チェンの入試はうまく行くのか。一瞬も気の抜けないドラマが、ほとんど太陽が見えない夜のシーンばかりの中で展開される。

 冒頭で「世界中でイジメが大きな問題になっている」と出る。ラストには「この事件をきっかけにして、いじめ防止法が出来て、各省が連携して事態に対処している」というような字幕が出る。そのように「イジメは中国だけじゃないし、ちゃんと防止策を講じている」と言うところに、中国での映画製作の難しさ、検閲への対応を僕は感じた。確かに世界中でイジメは起きるけれど、この受験地獄や家庭崩壊、ストリート・キッズなどの状況は明らかに中国独特のものだと思う。単に自国の暗部をえぐる社会派問題作を作れないのが今の実情なのか。

 主演のチョウ・ドンユィ(周冬雨)は1992年生まれだが、受験生役で全く違和感がない。チャン・イーモウ監督「サンザシの樹の下で」でデビューして、「13億人の妹」と呼ばれたという。その後も安定して活躍していて、ずいぶん人気があるらしい。チンピラ役のイー・ヤンチェンシー(易烊千璽)は2000年生まれで、漢字3字の名前は珍しいが「千年紀を祝う」という意味だという。ミレニアムの年生まれで付けられた名前である。13歳でアイドルグループ「TFBOYS」を結成し、以来歌やダンス、テレビ、映画などで活躍しているという。つまり、この映画は社会派ではあるがアイドル映画としても見られるわけだ。

 監督のデレク・ツァンは香港の名優エリック・ツァンの息子で、俳優として活躍の後「ソウルメイト/七月と安生」など数作を作っている。この映画も大変な力作と言うべき映画だ。ちょっと長いかなと思うけど、もう終わりかと思ってクレジット前に立ってはいけない。冒頭シーンの続きがあるから。こういう中国の現代青春映画は見たことがないから、注目である。
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