尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

宇能鴻一郎「姫君を喰う話」と映画「鯨神」

2021年08月15日 22時05分44秒 | 本 (日本文学)
 2021年7月の新潮文庫で宇能鴻一郎(うの・こういちろう、1934~)の「姫君を喰う話」という作品集が刊行されたのには驚いた。1962年1月に「鯨神」で芥川賞を得た作家だが、その時点では東大大学院在学中だった。その「鯨神」はすぐに大映で映画化され、巨大な鯨が特撮で再現されている。現在角川シネマ有楽町で上映されている「妖怪特撮映画祭」でもラインナップに入っているので見に行ってみた。

 宇能鴻一郎なんて言っても若い人は知らないだろう。70年代には「官能小説」の大家として有名で、週刊誌やスポーツ新聞などに「あたし〜なんです」という女子大生モノローグっぽい文体でポルノを量産していた。当然日活ロマンポルノの原作にピッタリで、題名に作家名の付いた映画だけでも「宇能鴻一郎の濡れて立つ」とか(以後作家名省略)「むちむちぷりん」「あげちゃいたいの」など21本も映画化されている。特に作品的に評価されたわけではなく、僕もちゃんと読んだことはないけど、そこらに置いてある週刊誌で流し読んだことはある。

 そんな宇能鴻一郎が芥川賞作家だと知って驚いたものだが、松本清張五味康祐など芥川賞作家がエンタメ作家になる例は珍しくはない。「鯨神」は江戸末期から明治にかけて、長崎県の平戸島和田浦(架空の地名)の鯨漁を生業とする隠れキリシタンの村を舞台にしている。ある年巨大な巨大な鯨が祖父と父の生命を奪い、数年後に兄もまた巨大鯨に挑んで死ぬ。そんな運命のもとで、残された弟シャキは「鯨神」と名付けられた巨大鯨に復讐することを目的に生きている。鯨名主は鯨神を倒したものには娘トヨと一家の財産すべてを渡すと誓いを立てる。紀州で人を殺して逃げてきたという「紀州」も野心を燃やしている。
(映画「鯨神」)
 映画は1962年大映作品で、新藤兼人が脚色し、「悪名」「眠狂四郎」シリーズなどで知られる娯楽映画の名手、田中徳三が監督している。シャキは本郷功次郞、紀州は勝新太郎、シャキの幼なじみエイに藤村志保、トヨに江波杏子、その父の鯨名主に志村喬といったキャストである。特撮についてはウィキペディアに詳しく出ている。鯨神に立ち向かっても死ぬとしか思えない宿命を生きるシャキ、彼をめぐる女性たちと「紀州」。メルヴィル「白鯨」を思わせるが、全体的に小説としても映画としても今ひとつ満足出来なかった。小説は文体的に大時代過ぎる感じで、映画は筋を追うのに精一杯。特撮も今の眼で見てしまうと苦しい。

 芥川賞受賞作の「鯨神」は60年代初期にしてはずいぶん古風な小説だ。石原慎太郎や大江健三郎以後とは思えない感じだが、直前の受賞者が三浦哲郎「忍ぶ川」なので少し反動があったのかもしれない。新潮文庫に収録されているのは、69年、70年頃の作品が多い。まだ官能小説で知られる直前の、「異色」と言うより「異常」、「猟奇的」を超える気持ち悪くなるような小説ばかりである。異常性愛ものが多いので、多くの人にお薦めしない。よほど物好きじゃない限り読まない方がいいと思う。僕も「メンタルヘルス」とか「ルッキズム」を問題にした後で、こういう小説集について書くべきかどうかと思わないでもない。

 しかし、「文学」は何を書いてもいいはずだとは思う。それでも「ズロース挽歌」なんてまずいでしょう。男だからといって、「ズロース」とか「ブルマー」に憧れるなんて心理は不可解である。それを別にしても、「姫君を喰う話」の超B級グルメ話から性欲へ、そして時代を飛び越えて「至上の愛」へと移っていくトンデモぶりにはたまげた。とっても読んでられないと思う人が多いと思うけど、これはこれで傑作だと思う。他では「西洋祈りの女」が敗戦直後の農村地帯(三重県南部)を舞台に、不思議な祈祷師(「和風」ではなく、英語などを交えて祈るから「西洋祈り」と呼ばれた)を描く。「花魁小桜の足」「リソペディオンの呪い」も収録。

 谷崎潤一郎の伝統があるからか、マゾヒズム系の小説が多いように思う。多少「大衆文学」に寄ってはいるが、「異常性愛純文学」とでもいう作品集。作者はもう故人かと思っていたら、存命だったのも驚いた。「横浜市金沢八景の敷地600坪の洋館で老秘書を従え、社交ダンスのパーティを開くなどの貴族的な暮らしぶりが伝えられる」という不思議な情報がウィキペディアに掲載されている。
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