尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

益川敏英、江田五月、宮脇昭、サトウサンペイ他ー2021年7月の訃報

2021年08月07日 20時27分26秒 | 追悼
 2021年7月の訃報特集。2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英が7月23日に死去、81歳。京大理学部助手時代に後輩の小林誠とともに「CP対称性の破れ」を説明出来る理論を発表した。そこでは当時3つしか見つかっていなかったクォークが全部で6つあると予言し、それが1995年に確認され、ノーベル賞につながった。と言うんだけど、当時から業績内容は全然判らない。益川氏は「ノーベル賞貰ってもそんなにうれしくない」などとへそ曲がりなことを発言して注目された。英語が苦手で外国へ行ったこともなかったとか、なかなか興味深いエピソードが多かった。名古屋大空襲の経験者でノーベル賞受賞講演でも反戦を訴えた。受賞対象の研究当時も、京大職組の書記長だったという。反戦平和運動も年季が入っていたのである。
(益川敏英)
 元参議院議長で衆参で長く議員を務めた江田五月が7月28日に死去、80歳。僕は江田さんの話は何度も聞いている。岡山県選出議員として長くハンセン病問題に関わり集会でもよく挨拶していた。死刑廃止集会にも顔を見せていたので、僕は親近感を持っていた。社会党書記長を務めた江田三郎の子で、東大在学中は学生運動で知られた。司法試験に合格、修習後に裁判官に就任したが、1977年に父の急逝に伴って退官、参院選に立候補して当選した。父は社会党を離党して、菅直人らと「社会市民連合」を結成していた。以後、細かく書くと社会民主連合、新進党、民主党に所属し、参議院、衆議院議員を各4期務めた。2007年参院選で民主党が大勝し、2010年まで参議院議長となった。その後菅直人内閣で法相、環境相を務め、三権の長経験者であることでは批判もあった。
(江田五月)
 生態学者の宮脇昭が7月16日に死去、93歳。非常に有名な人だったが、訃報が小さかったのが意外。日本中で元々の樹木の生態系が崩れ、二次林になっているのを批判した。それが集中豪雨などによる災害につながるとして、「混植・密植型植樹」を全国に広めた。80年代には日本全国を回り「日本植生誌」をまとめ、90年代からは海外で熱帯雨林再生計画を進めた。横浜国立大学に長く勤めて、同大には宮脇が設計した森林が広がっている。「4千万本の木を植えた男」と呼ばれ、専門書の他に一般向けの著書も多かった。
(「宮脇昭自伝」)
 漫画家のサトウサンペイが7月31日に死去、91歳。本名は佐藤幸一(ゆきかず)で、ペンネームは戦前の大漫画家岡本一平(岡本太郎の父)には及ばないということで付けたという。サラリーマン漫画の代表格で、朝日新聞に1965年から1991年まで26年間連載した4コマ漫画「フジ三太郎」で知られる。僕は同時代だったから、ほぼ読んでいたと思う。面白い時が多かったとは思うが、今になってみると中年サラリーマンのジェンダーバイアスがかかった作品も結構あったのではないか。僕にはそれ以上に、『パソコンの「パ」の字から』(1998)という軽妙なパソコン入門書というか、パソコン体験記のお世話になった思い出がある。当時はまだパソコンやインターネットがそれほど普及していなかった。この本は自分の失敗もやさしく説明していて初期のガイドとして有益だった。
(サトウサンペイ)
 映画カメラマンの前田米造が7月6日に死去、85歳。日活に入社しロマンポルノ時代に「赫い髪の女」などを撮影した。その後、80年代に森田芳光監督の「家族ゲーム」「それから」、伊丹十三監督の「お葬式」「マルサの女」などの代表作を担当した。21世紀になってからは鈴木清順監督の「ピストルオペラ」「オペレッタ狸御殿」を撮影した。「それから」で日本アカデミー賞最優秀撮影賞、「天と地と」(角川春樹監督)で日本アカデミー賞優秀撮影賞を得た。森田芳光、伊丹十三の作品はほとんど担当している。
(前田米造)
 音楽プロデューサーの酒井政利が7月16日に死去、85歳。70年代に数多くのアイドル歌手をプロデュースしたことで知られる。南沙織に始まり、キャンディーズ山口百恵も、この人が送り出した歌手だった。その後心理カウンセラーにもなって、その方面の本もある。音楽だけでなく、舞台、テレビ等の企画を担当していた。久保田早紀異邦人」を中近東風イメージにアレンジして売り出したことでも知られる。2020年、文化功労者に選定。
(酒井政利)
 戦前から天才バイオリニストとして有名だった辻久子が7月13日に死去、95歳。大阪に生まれ、宝塚のコンサートマスターだった父に6歳からバイオリンの指導を受けた。1938年に12歳で音楽コンクールで優勝し「天才少女」と呼ばれた。15歳頃からプロで活躍したが、一貫して大阪を本拠として後進の育成を続けた。1973年には自宅を3500万円で売却し、3000万円のストラディバリウスを購入したことで話題となった。
(辻久子)
 「ズッコケ三人組」シリーズで知られる児童文学作家、那須正幹(なす・まさもと)が7月22日死去、79歳。1978年から2005年にかけて50巻書かれた「ズッコケ三人組」シリーズは総計2500万部が発行され、戦後児童文学最大のベストセラーになった。しかし、当初は批評家に不評で批判もあったが、子どもたちに圧倒的に支持されて有名になった。もっとも僕の子ども時代にはなかった本だから読んだことがない。広島で被爆し、反核兵器や護憲の運動にも参加した。山口県防府市に住んで作家活動を続けたことでも知られる。
(那須正幹)
 クリスチャン・ボルタンスキーが7月14日死去、76歳。現代美術家。1944年にパリで生まれ、ユダヤ人の父の苦難を聞いて育ち生と死を問う作品を手掛けた。80年代以後に「モニュメント」や「暗闇」をテーマにした作品を多く手掛けた。来日25回を越えて日本との縁が深かった。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」の常連アーティストとして、日本でも多くのファンを得た。多くの展覧会が日本でも開かれて回顧展も行われた。僕も何回か見ているが、印象深かった。大地の芸術祭でも見ていると思う。
 (ボルタンスキー)
ウラジーミル・メニショフ、5日死去、旧ソ連映画で、81年アカデミー賞外国語映画賞受賞の「モスクワは涙を信じない」の監督。
リチャード・ドナー、5日死去、91歳。アメリカの映画監督。「オーメン」「スーパーマン」「リーサル・ウェポン」シリーズなど。
フランソワーズ・アルヌール、20日死去、90歳。「フレンチ・カンカン」や「ヘッドライト」など50年代フランス映画で活躍した。
スティーブン・ワインバーグ、23日死去、88歳。1979年ノーベル物理学賞受賞者。電磁気力と「弱い力」を統合する理論を発表した。
クリスティーン・アン・ロルセス・マレン、2月16日死去、68歳。「ベッツィ&クリス」のクリス。69年にハワイの高校の合唱隊として来日し、「白い色は恋人の色」を歌って大ヒットした。

黒田泰蔵、4月13日死去、75歳。陶芸家。白磁の創作で知られた。黒田征太郞の弟。
大石昌美、1日死去、91歳。ハーモニカ奏者として長年ラジオ、テレビで活躍し、多くのCDがある。
中山ラビ、4日死去、72歳。シンガー・ソングライター。ボブ・ディランの影響を受け、70年頃から音楽活動を続けた。国分寺の喫茶店「ほんやら洞」オーナー。
志賀節、5日死去、88歳。自民党の政治家で、海部内閣で環境庁長官を務めた。小選挙区で小沢一郎系の候補に勝てずに引退した。僕がこの人を知っているのは、自民党には珍しい死刑廃止論者だからで集会でよく挨拶をしていた。
浅見真州(まさくに)、13日死去、80歳。能楽師。観世流シテ方。
岡庭昇、14日死去、78歳。TBSに勤務しながら、70年代から評論家として活動した。文芸、メディア論などを中心に多くの著書がある。
伊藤京子、25日死去、94歳。ソプラノ歌手。1950年にオペラ界にデビュー。「夕鶴」のつう役が当たり役だった。
黒川武、28日死去、93歳。元総評議長。1983年、私鉄総連委員長から総評議長に就任し、連合結成(89年)まで務めた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする