尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

超絶面白本、西加奈子「サラバ!」を読みふける

2017年11月13日 23時06分40秒 | 本 (日本文学)
 ここ数日、西加奈子(1977~)の直木賞受賞作サラバ!」(小学館文庫、上中下)を読みふけっていた。とんでもなく面白くて、心の奥にズシンと響いてくる。すごい小説である。原著が2014年に出た時、直木賞確実と言われてものすごい評判だったけど、あまりに分厚くて文庫になったら読もうと思った。今回文庫になったら上中下3巻もあるではないか。買う時にうっかり中巻を買い忘れるところで、店員さんが注意してくれて助かった。(僕は文庫は買って読みたいと思うし、ちゃんと書店で買いたいなと思っている人間である。)合計1,860円+税。絶対に高くない。

 この本は基本的には、圷歩(あくつ・あゆむ)、後に両親が離婚して母方の姓を名乗った今橋歩という男性の37年間の自伝という体裁で書かれている。著者は女性なんだから、ホンモノの自伝のはずがない。でも、ここで書かれている小学校低学年でエジプトに住んだ時の描写なんか、とても想像だけでは書けないだろう。調べてみると、やっぱり著者は1977年にイランで生まれ、後にエジプトにも住んでいた。大阪の人間という点も共通している。もっとも歩は東京の大学に進むのに対し、著者は関西大学卒業。実際の体験が入っていても、やはり想像力で書かれた同時代の精神史である。

 書きたいことはいっぱいあるけど、一応ストーリーを簡単に。歩は(もちろん本人は知らないことだけど)イスラム革命直前のイランに生まれた。父親が石油会社の海外駐在員だったから。革命で帰国して大阪に住むが、4歳上の姉・貴子が小学校で「問題児」となり、いじめられる。母親は娘とうまくいかず、歩に期待する。歩は幼いころから自分を消して周囲に溶け込むように生きるすべを身につけ、幼稚園、小学校を楽しく暮らすけど、父はまたエジプト勤務となってカイロに赴く。初めてのエジプトは何しろ匂いが強烈で、トイレもすごい。豪華なマンションに住んで日本では考えられない暮らしをする。日本人学校で友だちもできるけど、それ以上になぜか気があった現地の少年、ヤコブと固い友情を結ぶことになる。ここまでが上巻で、「サラバ!」の由来は上巻の最後に出てくる。

 ここまででもちょっとすごい幼児体験だけど、だんだん両親に不穏なムードが漂い始め、突然の離婚で帰国することになる。姉は相変わらず日本の中学で孤立し、歩は孤立しないように柔道を始めようとして母親の強い反対で、サッカーを始める。中学のサッカー部と男女交際、私立男子校に入って、須玖(すぐ)という友人と出会い、本や映画や音楽の世界を知る。だが、そこに1995年の阪神大震災、続く地下鉄サリン事件が感受性の鋭い須玖の心を閉ざしてしまう。一方、姉・貴子は前に住んでいたアパートの大家を中心にした宗教(のようなもの)で、神様のように奉られたあげく、マスコミにうさん臭いと取り上げられ、心を閉ざすようになる。ここまでが中巻の前半。

 後半で彼は東京へ来て、さまざまな体験をしながらライターとして暮らすようになる。何人もの女性と関係を持つが、やがて別れがやってくる。そして、姉はどうなる、歩の家族は、と話はずっと続くわけだけど、一応それは自分で読んでもらうことにしてストーリー紹介は止める。下巻になると、ええっと思う展開もあるけど、けっこう「こうなるな」と思うところも多い。上中で拡散した伏線を回収して、この壮大な物語にまとまりを付けるにはどうなるか。(ヒントを書いておくと、2011年に日本とエジプトで何が起こったか、思い出してほしい。)それでも姉の関わった「サトラコヲモンサマ」の名前の由来にはぶっ飛んだ。最後の頃に出てくる父母の離婚の理由も読まないと判らない。

 読んでみて、よくもまあ女性にして、思春期の男子の気持ちがここまで書けたなあと思った。中学時代なんか思い当たることが多い。基本的に歩は容姿に恵まれ、姉は恵まれなかった。いじめられっ子の姉のことを知られたくない歩は、がんばって「フツー」を演じて、本心を消すように生きて来た。その甲斐あって、容姿に恵まれた歩はモテるのである。大学1年の時なんか、手あたり次第。それも30過ぎると終わってしまう。その終わり方はビックリだけど、若さや容姿で勝負できる時期なんか、あっという間に過ぎてしまうのである。パートナーやセクシュアリティの問題も大きなテーマである。

 だけど、やっぱりこの本の一番大きなテーマは「家族」と「宗教」だと思う。社会や政治、男女関係、学校、労働、文化など様々な問題が出てくるけど、人間にとって一番大きいのはやっぱり「家族」なんだと思う。僕も(世界中のすべての人と同じように)、気が付いてみれば今の時代に生きていた。気が付いたら日本語で話し、考えていた。人間は与えられた条件の中で生きていくわけだが、同時代を生きる人なら世界に何十億、日本でも1億以上いる。でも、同じ家族に生まれた人は限られる。親は選べないから、これも気づいてみれば親子になっていた。

 歩の人生を読むと、小さいころはこんな大変な家はないという感じ。姉はとんでもないし、母も自分勝手である。父親だってかなり変で、ここまで変な一族に囲まれた末っ子のアユムくん、よくやってるじゃないかと拍手を送りたいぐらいである。でもだんだん歩クンもおかしくなってくる。家がもっと裕福なら、自分がもっと容姿に恵まれていたら…と考えない人は少ないだろう。その恵まれた境遇にいるはずの歩。だが、彼は自分は家族の被害者だと思って生きていた。実際小さなころはそうなのである。一番幼い彼にできることなんかない。しかし、そうやって「被害者として、声を潜めて生きる」ことが彼の心をむしばんでしまう。「歩」と名付けられたけれど、彼はずっと自分で歩いていなかった。

 姉の心を閉ざしていたものは何か。よく判らないんだけど、何か切実に信じられるものを求めては、裏切られ続けていく。そんな姉が自ら歩み始めるとき、「信じる」って何だろうと深く考え込む。それは「宗教」かもしれない。実際、父は出家して仏門に入るし、歩の子どもの頃の親友ヤコブはエジプトのコプト教徒だった。エジプトでは朝の祈りの時間を知らせる「アザーン」で起きるし、姉は一時は宗教の教祖のようになる。歩はまったく宗教に関わらないけど、これほど宗教に近い人生を送って来た日本人も少ないと思う。そういう彼を通して、僕らも「神」または「運命」をとことん考える。

 僕にももちろん多くの「出会い」があり、多くの「サラバ!」があった。いつもは忘れているけれど、その一つ一つはやっぱり「奇跡」だった。誰にでもきっといくつも思い当たることがあると思う。出会ったり、別れたりを繰り返しながら、最後には全員と「死」という別れで「サラバ!」である、僕らの人生。でも、その中で多くの奇跡も起こったではないか。それは「神」がいるのか、単なる偶然か、そんな問題はどっかへ追いやって、僕らは歩の人生を通して、僕ら自身の人生の「奇跡」を静かに見つめてみようか。それが「サラバ!」を読んで心を揺さぶられた僕が思ったこと。

 僕は西加奈子さんの本を読むのは初めて。「サラバ!」以前は、そういう名前の作家がいるな程度の認識で、西野カナがエッセイ書いてるんかと昔は思ってた。これからちゃんと読みたくなってきた。なお、本の中にユダヤ教コプト教が重要な役割で登場する。イスラム教キリスト教との関係を説明する注があった方がいいんじゃないかと思う。一神教であることは共通で、神は同じである。コプト教はキリスト教の一派で、451年の公会議で主流派と分かれた。主にエジプトで人口の1割程度の信者がいる。エチオピアやアルメニアの正教会と近い関係にある。ユダヤ教は旧約聖書しか認めないが、イエスを神の子として新約聖書を認めるのがキリスト教。イエス(イーサー)も預言者と認めるけど、ムハンマドが最後に現れた預言者と信じるのがイスラム教。
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「ブレードランナー 2049」を見る

2017年11月12日 21時26分41秒 |  〃  (新作外国映画)
 「ブレードランナー 2049」を見た。これは見逃せない。ずいぶん前の前作「ブレードランナー」(1982)が大好きだったから。SF映画では「エイリアン」「ターミネーター」など、続編の方がヴァージョンアップして面白かった映画も多い。一体今回はどうなんだろう?

 「ブレードランナー」は、とにかく新しいものを見たという感じがした。1978年に「スターウォーズ」と「未知との遭遇」が公開され、SF映画も一般向けにヒットする時代になっていた。でも「ブレードランナー」はちょっと違っていた。アメリカでも日本でも公開当時はあまりヒットしていない。その後、だんだん熱狂的なファンが「発見」していって、代表的なカルト・ムーヴィーになっていった。僕は当時学生だったから、そもそもロードショーではほとんど見てないけど、名画座で何回か見たと思う。

 そういう意味では「ブレードランナー 2049」も一回見ただけで評価しちゃいけないのかもしれない。今回の映画に関しては、毀誉褒貶半ばというか、むしろ失敗という感想も多いのではないか。僕も全然とまではいわないけど、まあそれほど面白くはない感じがした。(そういう場合、僕は記事を書かないことが多いんだけど、この映画に関しては前作のファンは失敗作でも見に行くわけだから、書くことにする。)壮大な物語やセット、特撮なんかは見応えがある。

 でも最大の問題は長いこと。前作は116分、今回は163分。これはかなり長い気がする。エンタメ映画は2時間にまとめてくれないと、どこかで話がダレてくる。それと前作と時間が空きすぎて、話のつながりがちょっと判りにくい。世界的に観客層が高いという話だけど、前作に強い思いれを持つ世代には受けるということなんだろう。「エイリアン」も最近続編が作られたけど(未見)、続編を作りやすい映画とそうじゃない映画がある。設定の謎に面白みがある「ターミネーター」みたいな場合、前作を覚えている期間に続編を作ってくれないと困るわけである。

 前作は2019年のロス。人類のほとんどは宇宙に移住し、都市は高層のビルが立ち並んでいる。その世界では「人造人間」である「レプリカント」を奴隷として使っていたが、レプリカントは製造から時間が経つと感情が芽生え、人間に反乱を起こすようになる。それで「4年間」という寿命が定められたが、それを無視して人間世界に紛れ込もうとするレプリカントが相次いだため、警察に専任捜査官「ブレードランナー」が作られる。そして細かいことを省略して、ブレードランナーのデッカード(ハリソン・フォード)が秘書だったレイチェルと逃亡して前作が終わる。

 その意味では前作は謎を残して終わっているわけだが、今作にも終わりごろにハリソン・フォードが登場して前作の続きになってくる。でも、それまでの大部分は「新レプリカント」として「旧レプリカント」の「処理」を行うK(ライアン・ゴズリング)が謎を追う話になっている。その謎を追い続けていくと、デッカードとレイチェルの謎が浮上する。ここで取り上げられている問題、レプリカントに生殖能力があるのかという問題がかなり難しい問題で、一見するだけでは理解が大変な展開になっている気がする。

 大体、レプリカントはよく出来ていて、人間と見た目で区別ができない(という設定)。だから俳優がそのまま演じられるわけだが、そこで「あの人は実はレプリカントではないか」という問題が出てくる。その疑心暗鬼が映画の見どころにもなっていた。一方、今回は問題が高度化して、生殖の可能性という話になると、それは行き過ぎのような気がしてしまう。今回の話に関しては細かく書かないけど、なんだかどうでもいいような気が途中からしてくる。まあ僕だけかもしれないけど。

 思えば、前作の面白さは、近未来的な都市空間、特に日本語の看板が乱立するフシギなセットが大きかった。特に日本のファンはそうだったんじゃないだろうか。それ以後、このような映像に僕らは慣れてしまったことから、今回あまり新鮮味を感じないのかもしれない。環境破壊で荒廃した世界に住む人類という設定は、今じゃむしろありふれたものになってしまった。何しろ、前作の時点ではオーウェルの「1984年」どころか、アーサー・C・クラークの(映画ではキューブリックの)「2001年」も来てなかったのである。2019年なんか、果てしない遠くにあった。もう再来年ではないか。

 前作の監督リドリー・スコットは製作総指揮の一員に回り、監督はドゥニ・ヴィルヌーヴ(1967~)が務めた。フランス系カナダ人監督で、今年公開された「メッセージ」などSF映画でも手腕を発揮している。書かなかったけど、SF映画としての面白さでは「メッセージ」の方が上回っているだろう。
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ジャン=ピエール・メルヴィルの映画

2017年11月11日 23時08分08秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フランスの映画監督、ジャン=ピエール・メルヴィル(1917~1973)の生誕百年ということで、特集上映が行われている。またフィルムセンターでは「生誕100年 ジャン=ピエール・メルヴィル、暗黒映画の美」が行われている。それは見てないんだけど、ぴあフィルムフェスティバルでも特集され「影の軍隊」(1969)を見た。今回「仁義」(1970)、「いぬ」(1962)を見て、今までに「恐るべき子供たち」(1950)や「賭博師ボブ」(1955)、「サムライ」(1967)などを見ている。

 ジャン=ピエール・メルヴィルという人は、僕が映画を見始めたころには、フランスでスタイリッシュなギャング映画を作る監督というイメージだった。それに間違いはないけど、あまりにも厳しく暗い独特な世界に驚いてしまう。もともと世界でも珍しいインディペンデント映画作家だった。映画会社に雇われた監督が会社の撮影所で撮る時代に、自分でレジスタンス文学の傑作「海の沈黙」を映画化した。それがコクトーに評価され「恐るべき子供たち」の映画化を任される。

 後には「ヌーヴェルヴァーグの父」と言われたりするし、ゴダールの「勝手にしやがれ」に出演したりもしている。でもやっぱりメルヴィルと言えば、アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドなどの大スターを使ったギャング映画だろう。「サムライ」はもちろん日本の「侍」から来ているが、孤高の暗殺者をドロンがスタイリッシュに演じて忘れがたい。後に与えた影響も大きいし、僕も前に二度見た。

 日本なら森一生監督が市川雷蔵主演で作った「ある殺し屋」シリーズ。あるいは香港のジョニー・トー監督の「冷たい雨に撃て!約束の銃弾を」など多くの作品などが似ている。クールで非情、感情を殺して任務としての殺人を果たしていく。内面の葛藤は描かれないので判らない。そういう映画だけど、メルヴィル(ちなみにこれはアメリカの作家メルヴィルから取った)の映画がどこから来たか。

 「影の軍隊」を見て、レジスタンス描写のあまりの苛烈さに衝撃を受けた。ドイツに対する抵抗伝説のような映画が多いが、戦争なんだから「殺し合い」だ。リーダーは部下を死地に追いやっても生き延びる必要があるし、裏切者は殺さなければならない。その非情な現実を一切のセンチメンタリズムなしに描いている。20代前半の若いメルヴィル(彼はユダヤ人だった)にとって、戦争がいかに厳しく辛いものだったか、胸に迫ってくるような「問題作」である。楽しいかというと、苦しいような映画。

 そういう体験をしたメルヴィルには、やがて若きヌーヴェルヴァーグ作家たちが否定する当時のフランスに多かった情緒的、感傷的な恋愛映画、文芸映画がまったく肌に合わなかったこともよく判る。彼の心を捉えたのは、40年代、50年代のアメリカで営々と作られていたギャング映画だった。それもB級映画にあるような、筋立ても破綻しているけど、ムードで見せてしまうような乾いたハードボイルド。フランスで「フィルム・ノワール」と命名される映画群である。

 「仁義」「いぬ」を見ていると、アメリカ映画的なムードを感じざるを得ない。フランスでこれほどピストルを撃ちまくるかどうかも疑問だが、「仁義」のドロンなんかアメリカ車を乗り回している。カラーだけど、ほとんど夜か雨のシーンで、まるでモノクロ映画の印象。「いぬ」はモノクロだから、メルヴィル美学が一番発揮されている気がする。トリュフォーやシャブロルが撮った犯罪映画は、やっぱりフランス映画だなという感じなのに対し、メルヴィル映画はフランス語をしゃべらなければアメリカ映画でも通じるんじゃないか。それぐらい乾いたタッチである。
 (「仁義」)
 もっとも見ていてよく判らない感じもする。名前がすぐに覚えられないし、誰が誰だか主役以外はこんがらがってくる。「仁義」も「いぬ」も犯罪者側と警察側を並行して描くが、それぞれ策略を弄するから筋立ても複雑になる。「仁義」はドロンの他、イヴ・モンタン、ジャン=マリア・ヴォロンテなど豪華な配役でフランスでは大ヒットしたという。「いぬ」はベルモンドが若々しく、誰が「いぬ=密告者」なのか緊迫してる。でもそれぞれ破滅に向かう物語で、ノワール映画は冷酷である。
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マイクル・コナリー「罪責の神々」

2017年11月09日 21時08分44秒 | 〃 (ミステリー)
 宗教改革とロシア革命を書く間に、マイクル・コナリーの新翻訳「罪責の神々 リンカーン弁護士」(古沢嘉通訳、講談社文庫)を読みふけっていた。読み終わるまで眠れないのが、漱石と違うところ。マイクル・コナリー(1956~)はアメリカでもっとも安定してミステリーシリーズを書き続けている作家の一人。ジェフリー・ディーヴァーなんかも思いうかぶけど、あれほどのどんでん返しの大技はない代わりに、登場人物たちを通してアメリカの法制度を考える面白さがある。

 「リンカーン弁護士」シリーズも4作目。2013年の作品で、コナリーはどんどん新作が出るから翻訳が追い付かない。「リンカーン弁護士」というのは、大型自動車のリンカーンのことで、決まった事務所を持たずにリンカーンの車内で事務作業をするマイクル(ミッキー)・ハラーの活躍を描く。今のところこのシリーズの新作はないらしい。コナリーのもっとも知られたシリーズ・キャラクターはロス市警のハリー・ボッシュだが、このボッシュシリーズはどんどん続いている。そして、今じゃ書いてもいいんだろうけど、このボッシュとハラーは実は異母兄弟だった。だから、最近はボッシュシリーズにもハラーが出てきたりする。作品内に他シリーズのキャラクターを出すのがコナリーの特徴である。

 アメリカ社会では銃犯罪が絶えないし、未解決殺人事件も多い。ボッシュは未解決事件を扱う部署で過去の殺人を追っているが、今年出た「ブラック・ボックス」でも過去の事件の思わぬ真相を究明した。ロスの黒人暴動時に起きた銃殺事件である。ボッシュは事件の多さとともに、警察内部の問題にもいつも悩んでいる。「訴追側」から見た米社会である。一方、ハラーから見ると「弁護側」の悩みが見えてくる。訴訟社会であるアメリカでは、ホンモノの犯罪者でも弁護のやり方では陪審で無罪を勝ち取ることがある。それが弁護士の腕の見せ所でもある。

 だけど、そういうあり方に悩んだハラーは、前作の最後で地区検事長に立候補することを決めた。だから、次のハラーシリーズでは、ミッキー・ハラーは訴追側になるのかと思っていたら、なんと一時は5ポイントリードしていたのに、あえなく落選してしまった。それは彼が釈放に持っていった飲酒運転の犯人が、性懲りもなくまた飲酒運転をして人身事故を引き起こしたからである。そしてその犠牲者は、前前妻との間の一人娘のクラスメートの母親だった。娘は転校し、以後は父との面会にも応じない。

 っていうことで、またまたハラーの人生はドツボにはまり込んだ状態。そこに売春婦殺害容疑のポン引きから弁護の依頼が。被害者を調べると、ハラーと深い因縁があった。容疑者は無実を訴えるが起訴される。ハラーは独自調査で、さまざまな不審を見つけていくが、今度は過去の自分の行動が「はめられた」ものだった疑いが浮上する。そして、ハラーの身辺にも何かと不審な動きが相次ぎ、ついには襲われてしまう。そんな中、陪審裁判が始まるが、果たして真実はどこに…。

 まあシリーズものだから、ホントは最初から読んだ方がいいんだろうけど、単発で読んでも問題はない。コナリーのミステリーは、判りやすくて、ハラハラさせ、キャラクターが面白い。軽いっていえば軽いんだけど、安定した質の高さがある。だからずっと読んでるわけだけど、期待は裏切られない。ミステリーでも、もっと重い質感の作品も数多い。そういうものだけだと、肩がこる。コナリー作品なんかも読まないと。でも、こういう本を通して、僕らはアメリカの陪審裁判のあり方などを知る。そして日本の司法制度がいかに遅れているのかも判るわけである。

 ところで、2011年にマシュー・マコノヒー主演で、映画「リンカーン弁護士」が製作された。日本でも2012年に公開され、僕も見ている。あまり面白くもなかったけど、今回の作品の中でも言及され、カネに窮してるハラーは、また映画化されないかなどと言っているのもご愛敬。
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ロシア革命100年を考える

2017年11月08日 22時52分31秒 |  〃 (歴史・地理)
 1917年に起こったロシア革命から100年、今どう考えるべきか。2017年1月に岩波新書から、池田嘉郎「ロシア革命」が出た。刊行直後に読んだので、ずいぶん忘れてしまったんだけど、この本をもとにロシア革命を考えてみたい。

 1905年の「血の日曜日事件」以後に起こった出来事を「第一次ロシア革命」と呼ぶ。その意味では、ロシア革命は非常に長いスパンで考えるべきテーマだ。1917年のロシア革命は2段階に分かれる。ロマノフ王朝の専制政治を終わらせた「二月革命」と「世界で初めての社会主義革命」と言われた「十月革命」である。ロシアは「ユリウス暦」だったので、普通に使われている「グレゴリオ暦」と13日間違っていた。グレゴリオ暦では、二月革命が起こった2月23日は3月8日、十月革命が起こった10月25日は11月7日になる。

 だから「三月革命」「十一月革命」と書いてある教科書もある。まあ、僕は現地の日付で二月革命、十月革命でいいんじゃないかと思う。革命は1917年で終わったわけではなく、内戦を経て「ソヴィエト社会主義共和国連邦」が成立する(1922年)までは、革命の過程と言える。

 その時、ロシアを含めヨーロッパの主要国は第一次世界大戦の真っ最中だった。サラエヴォでオーストリア皇太子が暗殺された事件をきっかけに、誰も想定していなかった大戦争になってしまった。ドイツがオーストリアを支援し、オスマン帝国も加わった。一方、セルビアをロシアが支援し、三国協商を結んでいたイギリスとフランスがロシア側に立って参戦した。1917年にはアメリカもイギリス等の連合国側で参戦した。1918年にドイツが敗北して長い大戦が終わった。

 第一次世界大戦でロシアは惨憺たる状況に陥った。革命が起こった最大の理由はそこにある。武器を持った兵士が上官の命令を無視してしまえば、それは武装革命の種となる。農村も疲弊し、とても戦争を遂行できる状態ではなかった。それにしても、皇帝ニコライ2世がもうすこし先見の明がある人物ならば、なんとか「立憲民主主義体制」が機能していたかもしれない。肝心な時にいつも民衆を武力で鎮圧しようとした皇帝に大きな責任がある。

 二月革命によって皇帝は退き、弟のミハイル大公に譲位しようとしたが、ミハイルが拒絶してロマノフ朝は崩壊した。1905年の第一次革命によって、ロシアにも一応「国会」(ドゥーマ)が作られていた。しかし、皇帝の権力が強く機能できなかった。それでも二月革命時には「第4次ドゥーマ」が存在していたので、ドゥーマを中心に臨時政府が作られた。当初から首都ペテルブルグで反乱兵が作る「労兵ソヴィエト」と二重権力状態だったのである。

 昔は「ソ連史観」と言うか、「十月革命」神聖視が多かった。二月革命は社会の混乱を解決できなかった、臨時政府は無能だった、そこに革命英雄レーニンに率いられたボリシェヴィキが現れ、人類史上初の社会主義革命が成功した、といったようなものである。「1917年」は世界史を画する大事件であり、そこから「現代史」が始まるとマジメに書かれた本も多かった。

 だから「臨時政府」なんて言っても、ほとんど具体的なことを知らない。最後の首相だったケレンスキーの名前だけが、無能で反革命の象徴のように記憶されているだけだった。岩波新書「ロシア革命」では臨時政府の変遷が事細かに分析されている。そもそも第一次臨時政府では、首相は無所属のリヴォフ公という人だった。日本の衆院選で同じ名前の党があったと反響を呼んだ「立憲民主党」(カデット)が5人と一番多く入閣していた。カデットは名前からしても、中道自由主義派である。その中で、唯一左派として入閣したのが、司法相のケレンスキーだった。
(ケレンスキー)
 3月2日から5月2日までが臨時政府。5月5日から7月2日までの第一次連立内閣では、リヴォフ公のもと、カデット4人に対し、ケレンスキーを初め諸社会主義党派(エスエル、メンシェヴィキなど)から6人が入閣した。7月24日から8月26日の第二次連立内閣では、ついにケレンスキーが首相となり、右派社会主義者と自由主義者の連立となった。そして9月25日から10月25日までの最後の第三次連立内閣では、ケレンスキーと同様に3月からずっと連立政権にいた同僚は一人だけになっていた。

 労働者の反乱、農民の蜂起、労働者のストが頻発する情勢には、都市上層階級の穏健な自由主義者では太刀打ちできなかったのだ。だから内閣には社会革命党(エスエル)やメンシェヴィキ(ロシア社会民主労働党少数派)が増えていった。今までケレンスキーは混乱する情勢に対処できなかったと僕も思いこんでいたが、今回読んでみると、どうして八面六臂、獅子奮迅の大奮闘である。大衆的人気もあり、若いリーダーとしてよくやっていたのである。

 だけど、彼の内閣は民衆が一番望む政策を実施できなかった。「ドイツとの即時和平」である。英仏の同盟国を放っておいて、勝手に講和を結ぶなど戦後の国家経営を考えればできなかった。自由主義者や穏健社会主義者の当面の目標は、ロシアを英米のような安定した議会政治と発展した産業国家にすることだった。戦後に英米資本の支援を受けるためには、ドイツとの単独講和はできない。実際英米側が勝利するわけだから、ロシアがもう少し持ちこたえていたら、ロシアは大戦の勝者になって国際連盟の常任理事国に(英仏伊日とともに)選ばれていただろう。

 そのためには兵士の反乱、無秩序な農村情勢、労働者の相次ぐストライキを容赦なく押さえ込むしかない。武器や食料もないのに兵士に戦えとは言えない。実際ロシア戦線は崩壊していた。しかし、ケレンスキー内閣は国内反対派を弾圧することもできない。それは戦争を止められない理由と同じである。「自由で民主主義的なロシア」というタテマエを崩せないのである。

 そこにボリシェヴィキレーニンという「天才」が現れ、歴史に表れた一瞬の奇跡を利用して、「十月革命」を成功させた。「ボリシェヴィキ」(多数派)とは、最左派「ロシア社会民主労働党」が分裂した時の「多数派」という意味である。レーニンの「四月テーゼ」などを見ると、やはり天才的な政治勘というしかない。でも「十月革命」は民衆革命というより「クーデター」だろう。
(レーニン)
 ボリシェヴィキはドイツとの単独和平を実現させた。戦後の外交関係なんか、社会主義建設を目指す彼らには関係ないのである。農民の反乱、労働者のストライキも容赦なく弾圧した。二月革命後になかなか開かれなかった「憲法制定議会」の選挙が実施されたが、圧倒的に支持されたのは農村に強いエスエル(社会革命党)だった。そうすると、レーニンは「ソヴィエト共和国」が全権を掌握するとして、憲法制定議会を解散した。こうして一党独裁のソ連が成立していくわけだけど、それは「人類史上初の社会主義政権」というものではなかったというべきだ。
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トンデモ小説「道草」-漱石を読む⑧B

2017年11月05日 21時21分22秒 | 本 (日本文学)
 「こころ」と一緒に、漱石全集第8巻の後半に入っているのが「道草」という小説である。次がいよいよ未完に終わった「明暗」だから、「道草」は漱石にとって完成された最後の長編小説ということになる。だけど、これは非常にとんでもない小説だった。今読むとビックリすることばかり。漱石の「自伝的作品」と言われているけど、読んでいても全然面白くならない事にも驚いた。

 「道草」は1915年(大正4年)6月3日から9月14日まで朝日新聞に連載された。漱石がイギリスから帰り、東京の駒込に住んだ1903年(明治36年)頃が描かれている。もう少し後の出来事も書かれているらしいけど、多少のフィクション化が施されているものの大体は自伝的なものと言うことになっている。漱石は幼いころに養子として他家で育てられた時期があるが、その頃の養父、養母が別々に彼のところに金をせびりにやってくる。(養父と養母は大昔に別れている。)

 もうその養家とは完全に切れているはずなのに、やってくると金を渡さずにいられない。姉とその夫、兄もこの問題で相談するけど、世に成功しなかった人ばかりで充てにならない。主人公の健三は、実生活上に役に立たない男で、妻との日々も冷え切っている。そういう日々が克明につづられていくけど、こんな話が面白いわけがない。冷徹なリアリズムで、自己とその周りの人物を描写するというのも、大事なことではあるだろう。でもなんでこんな話を書くのか、まったく判らない。

 小説そのものはけっこう読ませるんだけど、読んでる方が不快になるのである。多分この小説が書かれた時代とは、女性問題などに関するコードが完全に違っているんだろうと思う。「満韓ところどころ」に全く中国人側の視点がないように、「道草」にも女性読者に読まれるという意識が全くないんじゃないだろうか。妻が教養がない、バカだといった感じの表現で貫かれている。

 一例を挙げると、「93」から。
 四五日前少し強い地震のあった時、臆病な彼はすぐ縁から庭に飛下りた。彼が再び座敷へ上って来た時、細君は思いもかけない非難を彼の顔に投げつけた。
 「あなたは不人情ね。自分一人好ければ構わない気なんだから」
 なぜ子供の安否を自分より先に考えなかったかというのが、細君の不平であった。とっさの衝動から起った自分の行為に対して、こんな批評が加えられようとは夢にも思っていなかった健三は驚いた。
 「女にはああいう時にも子供の事が考えられるものかね」
 「当り前ですわ」
 健三は自分がいかにも不人情のような気がした。(引用終わり)

 このとき漱石には三人の女児があった。女の子が三人続いたのである。その時の健三は「一番目が女、二番目が女、今度生まれたのもまた女、都合三人の娘の父になった彼は、そう同じものばかり生んでどうする気だろうと、心の中で暗に細君を非難した。しかし、それを生ませた自分の責任には思い至らなかった。」地震が起きたのは、三女が生まれてすぐの時期だった。

 自宅に小さなわが子が三人、それも一人は生まれたばかりの子どもがいて、地震が起きて「とっさの衝動」で自分の事しか考えないというのは、むしろ不幸なこととしか思えない。普通の人間としての感情が素直に出てこない状態である。いや、人間には究極的なエゴイズムがあるから、本当に家が壊れるぐらいの地震だったら、それはどうなるか誰にも判らないかもしれない。でも、普通は子どもの事を考えるでしょう。少なくとも、こういうことを文章にはしないに違いない。

 漱石の家庭生活については、昔からいろいろ言われている。漱石夫人「悪妻説」というのが昔からある。特に教育もなかったので、日本最高級の知識人である夫からすれば、それはつまらないことも多かったんだろう。昔の人の事はよく判らないので、これ以上書いても仕方ない。漱石は特に自分が女性差別主義者だと思ってなかっただろう。「世の通念」のままだったのだと思う。夫婦間や親兄弟がうまくいかないというのは、別に珍しいことでも何でもないけど、今じゃ読めないという話。

 漱石は1896年6月に、中根鏡子と結婚した。熊本時代である。鏡子は1877年生まれだから、ちょうど10歳年下になる。没年はなんと1963年で、85歳でなくなった。第二次大戦後まで生きて、僕と時間が重なるというのに驚き。それにしても、東京五輪の前年まで生きてたのか。漱石との間には、筆子、恒子、栄子、愛子、純一、伸六、ひな子の2男5女が生まれた。

 鏡子の父、中根重一は、結婚当時貴族院書記官長をしていた。今で言えば、参議院事務総長で、まあそれほどすごい高級官僚というほどでもないけど、一応安定した地位にあった。でも4年で、政変に伴い辞職。その後投資に失敗して窮迫したように「道草」で描かれている。貴族院書記官長というのは、全部で9人しかいなくて、前任が金子堅太郎。中根が2代目で、4代目に柳田国男が務めたことで知られている。大体、その後に貴族院議員にしてもらった人が多いのに、中根は選ばれなかったと「道草」に書かれている。
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「ナラタージュ」、原作と映画

2017年11月04日 21時02分06秒 | 映画 (新作日本映画)
 映画「ナラタージュ」をそろそろ見ないと、上映スクリーンが少なくなってきた。行定勲監督、松本潤有村架純の主演で作られた恋愛映画。主演者の名前で見る人が多いんだろうけど、僕にとっては島本理生(しまもと・りお)の原作が好きだから見たい。だから客観的な評価は難しいので、雑多に感想を書くことにする。松本潤、有村架純というのは、これ以上ないぐらいのベスト・キャスティングという感じだけど、それでも原作のファンにはなんとなく違和感が残るかもしれない。

 映画の話を簡単に書いちゃうと、東京の話を富山に移している。あれ、海が見えるよ、電車もあるから江ノ電かななどと思うと、半分を過ぎると車のナンバーに「富山」と出てくる。えっ、日本海だったのか。ラストにうまく使われている電車は「万葉線」というんだそうで、これが効果抜群。運河沿いの建物なども生きている。学校が出てくる映画は、どこかでロケすることになる。学校そのものを大々的なセットで作るのは無理だから、どこかで借りることになって、地域の空気感が出てくる。
 (ラスト近くの万葉線シーン)
 その意味で、富山に移した映画作りは成功しているように思った。卒業間近の海辺の散歩など、ムードが出ている。冒頭で大学2年生になった工藤泉(有村架純)のケータイに葉山先生(松本潤)から電話がかかってくる。卒業以来の連絡で、一瞬心が止ってしまう。高校時代、居場所を失っていた自分に、演劇部という場所を与えてくれた先生。今年の演劇部は3人しかいないので、文化祭公演に卒業生の手助けが欲しいというのである。原作と違って、ここはシェイクスピアの「真夏の夜の夢」をやるという設定。これが意外にもセリフと状況がリンクして、効果を挙げている。

 僕は島本理生(1983~)の原作が2005年に出た時に、すぐに読んで参ったなあと思った。作者は2001年に「シルエット」で群像新人賞優秀作、2003年の「リトル・バイ・リトル」で芥川賞候補になったわけだが、その時点で都立新宿山吹高校に在学していた。新宿山吹高校というのは、日本で初めて作られた単位制高校である。僕は当時夜間定時制高校に勤務していたから、この島本理生という作家に関心を持って読んでいた。そのころ綿矢りさも高校生で作家デビューしていたが、東京を舞台にしている島本作品の方により近しいものを感じて、出るたびに読んでいたものだ。

 中でも「ナラタージュ」は初めての書下ろし長編小説で読みごたえがあった。だけど、出来栄えの問題以前に、高校の社会科教員で演劇部顧問という設定に参った。しかし、そういうのは「物語を推進する仕掛け」だから、まあ僕と似ているからと言って気にするほどでもない。でも、中に出てくる映画談義にはうなった。作者が繰り出してくる映画の題名が、ことごとくツボにはまるのだ。葉山先生の家には「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のDVDがあったが、「先生、この映画嫌いだったんじゃないですか?」「それは妻のだよ」。深い事情あって別居している妻が先生にはあった。

 一方、ヴィクトル・エリセの映画もよく出てくる。小説では「ミツバチのささやき」が印象的に使われているし、映画では「エル・スール」の映像も出てくる。たまたま映画館で同時に見ていた。その映画館では「エル・スール」と「マルメロの陽光」をやっている。僕も「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は好きじゃないけど、ヴィクトル・エリセは大好きだ。葉山先生は奥さんとではなく、泉との方がうまく行くんじゃないですか。コアなアート映画ファンにそう思わせる仕掛けが効いてる。

 だんだん判ってくるけど、二人はともに心に大きな欠損を抱えて生きている。工藤泉が葉山先生に惹かれたのは、居場所がなかったときに生きる意味を見つけられたから。一方、失意と混乱を抱えて別居して学校を代わった葉山にとっても、工藤泉の存在が教師としての存在確認になっていく。その意味で「相互依存」とも言えるような部分もある。映画の中で泉が成瀬巳喜男監督の「浮雲」を見る場面があるのが、監督の批評でもあるだろう。(ちなみに、エリセ特集をやってた映画館で、今度は「浮雲」「流れる」「女が階段を上る時」の成瀬監督三本立てをやってる設定。)

 この「腐れ縁」を描いた傑作映画を補助線に使うことで、監督は二人の関係を表しているのだと思う。お互いがお互いを必要としたのだから、これは「美少女がイケメン教師に憧れた」といった「禁断の恋」ものではない。だけど、それは同時に行き先がない道筋でもあった。教師と生徒だとか、妻との問題とか、そういう問題を離れて、少なくとも「物語」としては二人には幸福な結末は用意されないのではないだろうか。「先生に呼ばれた気がした」という名シーンが原作にも映画があるが、そのような一種スピリチャルな結びつきがこの二人にはあったのである。それはよく伝わってくる。

 「ナラタージュ」とは「映画などで、ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法」である。映画でも、一番最初は映画配給会社に勤める泉が、懐中時計に触れて過去を追想することで始まる。回想された大学2年時から、さらに高校時代が再回想されている。この二重の時間の仕掛けによって、過去はそれぞれにとって改変されていくだろう。そのように回想された過去は誰にでもあると思うし、「本当の愛」があるとすれば、そういう場の中にしか存在しないのではないだろうか。

 その意味で大事なのは、高校時代の工藤泉の描き方だと思う。有村架純があまりにも魅力的に描かれてはダメなのである。実際はいかにも居場所を失ったといった虚ろなまなざしを、案外ブサイクな感じで演じている。こういう演出がうまいと思う。今回髪を切ってボブにしたと言ってるけど、今まではどんなだったっけと映像を探してみると以下のような感じ。最初が「ビリギャル」の金髪、次が「何者」の就活用写真、ついて「ひよっこ」が終わった時の写真。なるほど、いつもロングだ。
  
 行定勲(ゆきさだ・いさお)監督は、21世紀初頭の「GO」や「世界の中心で愛を叫ぶ」が有名だけど、僕はどっちもあまり好きではなかった。むしろほとんど評価されなかった「ロックンロールミシン」や「きょうのできごと」なんかが好きだった。久しぶりに本格的な長編映画を見た気がするけど、手腕は見事。来年公開の「リバーズ・エッジ」にも期待が高まる。脚本は堀泉杏。撮影は福本淳

 ところで、演劇部の活動を描いた映画としては、平田オリザ原作の「幕が上がる」がある。部活的リアル感では、そっちになる。というか、そもそも部活としてはおかしい。ほとんどの高校で、文化祭の出し物は演劇部の地区大会の演目でもある。だから、先輩が出演するなどありえない。(高校野球の予選に、選手が足りないからといって大学生の先輩を出せるわけがない。)大体、3人なら3人でもできる演目がないわけじゃないし、泉も3年で葉山先生がスカウトしてきた。照明や音響を誰がやってるのか知らないけど、要するに葉山先生も含めて「工藤泉に久しぶりに連絡するための仕掛け」と理解すればいいんだろう。大体、見てるときにはそんなことは考えないし。

 「社会科準備室」(高校から「社会科」がなくなってもう久しいのに、いまだに全国的に「社会科準備室」なんだよな)に、誰もいないのも不思議。理科の先生は、物理室、化学室、生物室なんて一人ずつ特別教室があったりするが、社会科系はまとめて一室だから、常にだれか他の先生がいる。面談もできやしない。そんなところに毎日行って、誰にも会わないのはおかしい。まあ、どうでもいいんだけど。それと葉山先生は担任ではないと言われている。だけど、成績は知ってるし、進路の相談に乗ってくれるという。物語の中の教師って、ほとんど校務分掌が出てこないけど、葉山は進路指導部プロパーだったのかなとそんなことも思った。
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遠藤賢司、篠沢秀夫、ダニエル・ダリュー等-2017年10月の訃報

2017年11月03日 22時42分26秒 | 追悼
 2017年10月の訃報特集。1面トップ級の訃報はなかったんだけど、後回しにすると長くなるからまとめておきたい。歌手の訃報が多かった。「エンケン」こと遠藤賢司が10月25日に死去。70歳。この人は70年代初期には高田渡なんかと並んで「フォーク歌手」と言われる中にいた。「カレーライス」(1972)というちょっとしたヒット曲もあった。これはカレーを作ってると自分の手も切っちゃった、テレビを見てたら誰かがお腹を切っちゃったって、痛いだろうにねという三島事件を歌ったものなのである。

 その後も全然変わらず、「純音楽家」を自称して活動を続けた。僕は15年ぐらい前に、高石ともやさんの年忘れコンサートのゲストに来た時に聞いて、とても驚いてしまった。CD「不滅の男」を買ってしまい、その後しばらく聞いてなかったけど、今回久しぶりに聞いて改めて驚いている。

 ゴスペルシンガーの亀渕友香が10月22日没、72歳。ずいぶん前から名前は知ってたけど、結局聞かないで終わった。都の職員向けの福利厚生案内に割引チケットが毎年暮れに出ていて、一度聞いてみたいなと思ってたんだけど。(今年も載ってた。)ニッポン放送の「オールナイトニッポン」のDJだった亀渕昭信の妹だということで、大昔から聞いていた。カメちゃんはフジサンケイグループをどんどん出世していったけど、妹はゴスペルというジャンルを広げた。
 
 「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」のヴォーカルだった三條正人(10月9日没、74歳)は「小樽のひとよ」という名曲があった。こういう歌謡曲、演歌系はあまり聞かないけど、好きな曲もあるのである。「君は心の妻だから」っていうのも泣かせる。でも、女優の香山美子と結婚してしまった。
 アメリカではファッツ・ドミノが死去。10月24日、89歳。「ブルーベリー・ヒル」を歌った人。ロックンロール創始者の一人と言われる黒人の歌手、ピアニスト。

 フランスの大女優で、戦前から活躍していたダニエル・ダリューが10月17日に100歳で死去。1936年の「うたかたの恋」で知られ、戦後は「赤と黒」や「たそがれの女心」などに出ている。長崎が舞台のイヴ・シャンピ監督「忘れえぬ慕情」にも出ていた。21世紀になっても、2002年の「8人の女たち」に出演してカトリーヌ・ドヌーヴ、イザベル・ユペールなんかと悠然と共演してベルリン映画祭で8人全員で銀熊賞を取ったのには驚いた。いかにもフランス的な美人女優という印象。

 フランスの女優と言えば、アンヌ・ヴィアゼムスキーが10月5日に死去、70歳。ブレッソンの「バルタザールどこへ行く」でデビュー。その後、ゴダールの政治映画時代に「中国女」なんかに出演。ゴダールと結婚した。19歳の時。10年後に離婚し、その後長い時間をかけて小説家として有名になった。日本でも翻訳されていて、来日して講演したこともある。
 (「バルタザールどこへ行く」と来日時のヴィアゼムスキー)
 篠沢秀夫が10月26日死去、84歳。仏文学者だけど、クイズ・ダービーの珍回答者として人気者になった。前任は鈴木武樹という独文学者で、中日ファン、邪馬台国論など様々に活躍していたけど、74年の参院選に「革新自由連合」から立候補して、テレビから去った。代わりが篠沢教授だったんだけど、こちらはどんどん右傾化していって保守派論客になってしまった。

 小児科医の毛利子来(たねき、10.26没、87歳)氏が死去。自由な子育て論を提唱して幅広く活動した。たしか雑誌「80年代」の共同編集人だった。

 イラク前大統領のジャラル・タラバニが死去。フセイン政権崩壊後、スンナ派、シーア派のアラブ人の対立を受けて、クルド人として大統領に選出された。クルド人自治区ではバルザニ氏率いるクルド民主党と、それから別れたタラバニ系のクルド愛国同盟の路線対立があった。複雑極まりない。

 東芝、日本郵政の社長を務めた西室泰三が死去。10月14日、81歳。東芝も日本郵政も、不正会計や巨額損失を出したことを思うと、西室氏が小泉政権下で「三位一体改革」などを進めた過去もひるがえって再検討するべきではないか。そういう経営者が政治にも大きな影響を持ったことがおかしい。
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これが元祖、映画「グランド・ホテル」

2017年11月02日 22時15分44秒 |  〃  (旧作外国映画)
 映画でよく「グランド・ホテル形式」と言われるジャンルがある。一定の場所に多くの人物が入れ代わり立ち代わり登場して、それぞれ複数のドラマが同時に進行していくような映画である。映画ばかりでなく、今じゃ一種の一般用語になっているかもしれない。元々は1932年に作られたアメリカ映画で、僕も名前は知ってるけど見たことはなかった。

 その「グランド・ホテル」を含む昔のアメリカ映画が国立フィルムセンターで特別に上映されている。東京国際映画祭と連動した「ジョージ・イーストマン博物館 映画コレクション」という企画で、「人生の乞食」「戦艦バウンティ号の叛乱」など大昔の名画が上映されている。一昨年はニューヨーク近代美術館(MoMA)、昨年はUCLA映画テレビアーカイブの所蔵フィルムが紹介された。今年はニューヨーク州ロチェスターにあるイーストマン・コダックの創始者邸にある博物館のコレクション。

 「グランド・ホテル」は大画面で見る機会はほとんどないだろうから、見ておきたいと思って行ってきた。(廉価のDVDは出ているようだけど。)ハリウッド初期の大女優、グレタ・ガルボ(1905~1990)が主演していて、僕はほとんど見てないから新鮮だった。スウェーデン生まれの美人女優と言えば、後のイングリッド・バーグマンが有名で、「カサブランカ」から「秋のソナタ」までずいぶん見てきた。でもガルボはほとんど見てない。早く引退して「神聖ガルボ帝国」と言われた伝説的女優である。

 ここはベルリンの最高級ホテル「グランド・ホテル」って言うけど、ロケなど全然なくハリウッドに作られた壮大なセットなんだろう。クレーン撮影がなんだか懐かしい感じ。ベルリンのホテルだけど、全員英語をしゃべってる。ヴィッキー・バウムという人の小説をウィリアム・ドレイクが劇にしたものがもとだという。冒頭でホテルの電話が飛び交うさまを見せて、さまざまな人生ドラマを簡単に紹介する。

 落ち目のバレリーナ(グレタ・ガルボ)、会社が危機で合併工作に来た社長(ウォーレス・ビアリー)、彼にたまたま雇われた速記タイピスト(ジョーン・クロフォード)、借金で脅迫され泥棒しても金が欲しい「男爵」(ジョン・バリモア)、たまたま社長の会社に勤めていたけど、病気で退職して一生の思い出にホテルに来た男(ライオネル・バリモア)といったあたりが主要人物。

 ジョーン・クロフォード(1904~1975)は、当時のMGMで人気女優だったということで、ガルボとクロフォードが同時に画面に映るシーンはないということだ。そもそも撮影期間が別だったそうで、登場人物が一堂にそろうシーンもない。後にオスカー女優となるが、生涯に4回結婚、最後のお相手はペプシコーラの社長で、夫の死後は役員になったという。ジョン・バリモアライオネル・バリモアはハリウッドで有名なバリモア一家で、ライオネルの方が兄。ジョン・バリモアはドリュー・バリモアの祖父にあたる。この時代の俳優になると、見てるときには判らないので、今調べて知ったことだけど、まあ知らなくても十分楽しめる。だけど、バリモア兄弟はやけに息の合ったコンビぶりを発揮していた。

 皆が皆、どこか苦境に立つ人ばかりで、それは大恐慌下のアメリカ映画にはよくある設定。そこで卑劣、尊大になるタイプもあれば、逃避に向かう人もある。そこを冷徹に見つめるかというと、そこはハリウッド映画だから、おとぎ話みたいにバレリーナと男爵が恋仲になってしまい、ドラマが進展する。監督はエドマンド・グールディング。ベティ・デイヴィスが主演した「愛の勝利」などがあるが、やはり人物の出し入れなどルビッチのような巨匠ほどの腕前はない。まあ今見ると、後に作られたグランドホテル形式の先駆けになったという意味が大きく、まだこのジャンルが練られていなかった段階だろう。

 第5回アカデミー賞で作品賞を受賞しているが、作品賞しかノミネートされなかったのに受賞した珍記録になっている。確かに技術部門も演技部門もとりわけ傑出していない。俳優に共同授賞するわけにもいかないからやむを得ない。社長を演じたウォーレス・ビアリーは、同年に「チャンプ」でオスカーを受賞している。日本では1933年に公開されて、ルビッチの「極楽特急」などと並んでキネマ旬報ベストテン9位に選出されている。1位が「制服の処女」、2位が「巴里祭」という年で、日本ではヨーロッパ映画の芸術の香りが愛されていた。アメリカ映画でも「犯罪都市」や「戦場よさらば」などが入ってる。
(8月5日、12時半に2回目の上映あり。)
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「アウトレイジ 最終章」と北野武映画

2017年11月01日 22時48分35秒 | 映画 (新作日本映画)
 北野武監督の「アウトレイジ」シリーズ最終作の「アウトレイジ 最終章」が公開されている。作品的にはどうなのかなと思うところも多いけど、北野武監督の長年の活動に敬意を表して書いておきたい。「お笑いタレント」だと思っていた「ビートたけし」が、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」で俳優としてもすごいとビックリしたわけだが、ひょんなことから監督業にも乗り出し世界的な評価を受けるに至った。だけど、20世紀末の「キッズ・リターン」(1996)、「HANA-BI」(1998)が最高傑作で、21世紀になって作られた映画は作品的にも興行的にも今一つだった。

 まあ個人的には「DOLLS」や「アキレスと亀」などけっこう好きなんだけど、北野武監督がアートっぽく取ると興行的にこける。じゃあ「座頭市」(2003)や「龍三と七人の子分たち」(2015)なんかがいいかというと、僕にはやはり不満が大きい。そんな中で作られた「アウトレイジ」(2010)、「アウトレイジ ビヨンド」(2012)、「アウトレイジ 最終章」(2017)三部作は、多分この手の大型バイオレンス映画として、北野監督としてもだが、日本映画としても最後になるのかもしれない。

 〝Outrage”っていうのは、辞書を見ると「非道」「無法」あるいは「侮辱に対する激怒」って書いてある。もともと弱小暴力団の組長だった大友(ビートたけし)が使われるだけ使われて、最後には暴発していくという筋立ては共通している。「アウトレイジ」ほぼ関東最大の山王会の内部抗争を描いている。大友は死んだのかと思うラストシーンで終わるけど、「死んだはずだよ大友さん」だった。

 「アウトレイジ ビヨンド」になると、山王会に対して関西の花菱会が登場し、そこに警察の仕組んだ仕掛けで大友が登場する。この複雑な構図と殺害方法のバラエティで一番面白いと思う。やはり2014年のキネ旬ベストテン3位に選ばれただけのことはある。(まあ一作目も過小評価だったのではないかと思うが。)韓国系マフィアの大物、チャン・テソン(張大成)という人物が大友の後ろ盾として登場していた。「ビヨンド」のラストはえっと驚くものだったけど、その後はチャンの庇護のもとに入っていた。

 今回の「最終章」は済州島のリゾートで余生のように暮らしていた大友だけど、そこにトラブルが起こる。花菱会系列の花田ピエール瀧)が買春した女を傷つけてしまい、大友たちが出張ることになる。金で解決したはずが、花田はカネを払わず大友の部下を殺してしまう。日本に帰った花田は、相手が実は大物フィクサーのチャンにつながると知り大慌てで大金を持って東京へ向かう。それ以後、花菱会の内部抗争を描きながら、日本へむどった大友たちの復讐を描いていく。

 でも、まあやり過ぎと言いますか、もう最後だからか、ライフルを乱射するなどやり放題。「先の読めない」がウリだけど、もう前の2作を見てるから案外先が読める。花田という人物はシャブと振り込め詐欺で大儲けしてるとかで羽振りがいいけど、性欲を抑えられない人物でそれがアダになる。そこらへんも面白いと言えば面白いんだけど、やり過ぎ。花菱会の新会長は前会長の娘婿の元証券マンという設定はありえないでしょ。大友と手下の市川(大森南朋)だけが武器も豊富で無傷に復讐していく。

 だから前作に面白さは及ばないと思うんだけど、まあこの手のバイオレンスに拒否感がなければ楽しめる映画。北野武ももう70歳。それほど「体技」を披露できないのはやむを得ない。話がうまくできすぎなのは、エンタメ映画だからいいんだけど、達者な役者をそろえてる割りには演技合戦にならない感じだった。皆が期待しちゃうし、本人も大変だろうけど、僕は監督初期の「あの夏、いちばん静かな海」(1991)「ソナチネ」(1993)の頃の「静かで、変で、個人的な映画」に回帰して、好きなものを好きなように作って、まだまだ活躍して欲しいと思う。
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