アレハンドロ・ホドロフスキー(ALEJANDRO JODOROWSKY 1929.2.17~)の驚くべき新作「エンドレス・ポエトリー」が公開された。監督87歳時の作品で、26年ぶりの前作「リアリティのダンス」(2014)には心底ビックリ、感激して「ホドロフスキーの『リアリティのダンス』」の記事を書いた。今回はさらにその続編というから、大いに期待して見たが、期待は全く裏切られない。
ホドロフスキーという人は、70年代に作った「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」など「精神世界」を描くような映画で爆発的人気を得た。今やそれらの映画は代表的な「カルト映画」になっている。それらはメキシコで撮られていたから、メキシコの監督かと思っていたら、前作「リアリティのダンス」でチリ北部のトコピージャという港町の生まれだと知った。今回は一家で首都のサンチャゴに出てきたところから始まる。父母は前作と同じ配役で、母はオペラ歌手に憧れセリフをいつも歌で語る。
(ホドロフスキー監督)
そういうところは前作と同じで、リアリズム映画ではないことを最初から明確にしている。全編にわたって、幻想的な誇張、見世物的な祝祭性、詩と性と自由への憧れなどがうたい上げられている。40年代から50年代前半、ホドロフスキーがチリを去ってパリに赴くまでの青春時代、その詩的なドンチャン騒ぎ、疾風怒濤の輝きが描かれるが、時々本人が出てきて、実はこうだったとか、こうであるべきだと語っている。もう好き勝手というか、自由奔放な作りである。
青春時代を描くから、親との葛藤、性のめざめ、友情、女性たちとの出会いと別れなどが、やっぱり重要なファクターとなる。医者になれと強制する父に反抗して、詩人を目指すアレハンドロ。詩人ニカノール・パラの詩に出てくる「毒蛇女」を求めて、詩人の集まる「カフェ・イリス」に出かけ、真っ赤な髪の女性詩人ステラに出会う。このステラを母親役と同じパメラ・フローレスが演じているが、見ている間は気づかなかった。暗示的な配役であるとともに、その巨体に圧倒される。フェリーニ的な世界。
このステラも実在の人物だそうだが、その後同世代の詩人エンリケ・リンと出会って友人となる。詩人は何物にも左右されず、真っすぐ生きると宣言し、二人で街をひたすら直進する。途中で家があるが、家主の理解を得て中を進ませてもらう。車があっても上を乗り越えていく。こういうのは若い時にありがちの発想で、他の映画でも見たような気がするけど、青春という感じ。「国民詩人」と言われていたパブロ・ネルーダの銅像を塗りつぶしてしまうシーンも印象に残る。
その後実家が焼けてしまい、バカ騒ぎの時間も終わって、アレハンドロはパリへ旅立つことを決める。旅立ちの埠頭に父が現れ、旅立ちを止めるようと争いとなる。そして和解をして、彼の人生は新しい段階に入っていくところで終わる。この後、パリでブルトンやマルソーに会って、それからメキシコへ行くという続編が企画されているという。その後も作れば自伝的5部作になるらしいが、とりあえずはパリ編は是非是非見てみたいものだ。新藤兼人やマノエル・ド・オリヴェイラを思えば、まだ若い。
今回は撮影がクリストファー・ドイルが担当している。ウォン・カーウァイの「恋する惑星」や「ブエノスアイレス」を担当し、その後世界的に活躍している。非常に素晴らしい映像だと思う。アレハンドロの青年時代はアダン・ホドロフスキー(1979~)、父役はフロンティス・ホドロフスキー(1962~)で、どちらも監督の実の子どもたち。親子を演じているけど、15歳差だったのか。衣装デザインは監督夫人の「パスカル・モンタンドン=ホドロフスキーで、1972年生まれだから43歳差だからムガベ夫妻よりすごいではないか。こういう一家勢ぞろいの映画作りも前作と同様。「リアリティのダンス」の方が復活の驚きと映像美で感動は大きかったと思うけど、今回は今回で前衛的な青春映画の素晴らしさがある。
(主演のアダン・ホドロフスキー)
ホドロフスキーという人は、70年代に作った「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」など「精神世界」を描くような映画で爆発的人気を得た。今やそれらの映画は代表的な「カルト映画」になっている。それらはメキシコで撮られていたから、メキシコの監督かと思っていたら、前作「リアリティのダンス」でチリ北部のトコピージャという港町の生まれだと知った。今回は一家で首都のサンチャゴに出てきたところから始まる。父母は前作と同じ配役で、母はオペラ歌手に憧れセリフをいつも歌で語る。
(ホドロフスキー監督)
そういうところは前作と同じで、リアリズム映画ではないことを最初から明確にしている。全編にわたって、幻想的な誇張、見世物的な祝祭性、詩と性と自由への憧れなどがうたい上げられている。40年代から50年代前半、ホドロフスキーがチリを去ってパリに赴くまでの青春時代、その詩的なドンチャン騒ぎ、疾風怒濤の輝きが描かれるが、時々本人が出てきて、実はこうだったとか、こうであるべきだと語っている。もう好き勝手というか、自由奔放な作りである。
青春時代を描くから、親との葛藤、性のめざめ、友情、女性たちとの出会いと別れなどが、やっぱり重要なファクターとなる。医者になれと強制する父に反抗して、詩人を目指すアレハンドロ。詩人ニカノール・パラの詩に出てくる「毒蛇女」を求めて、詩人の集まる「カフェ・イリス」に出かけ、真っ赤な髪の女性詩人ステラに出会う。このステラを母親役と同じパメラ・フローレスが演じているが、見ている間は気づかなかった。暗示的な配役であるとともに、その巨体に圧倒される。フェリーニ的な世界。
このステラも実在の人物だそうだが、その後同世代の詩人エンリケ・リンと出会って友人となる。詩人は何物にも左右されず、真っすぐ生きると宣言し、二人で街をひたすら直進する。途中で家があるが、家主の理解を得て中を進ませてもらう。車があっても上を乗り越えていく。こういうのは若い時にありがちの発想で、他の映画でも見たような気がするけど、青春という感じ。「国民詩人」と言われていたパブロ・ネルーダの銅像を塗りつぶしてしまうシーンも印象に残る。
その後実家が焼けてしまい、バカ騒ぎの時間も終わって、アレハンドロはパリへ旅立つことを決める。旅立ちの埠頭に父が現れ、旅立ちを止めるようと争いとなる。そして和解をして、彼の人生は新しい段階に入っていくところで終わる。この後、パリでブルトンやマルソーに会って、それからメキシコへ行くという続編が企画されているという。その後も作れば自伝的5部作になるらしいが、とりあえずはパリ編は是非是非見てみたいものだ。新藤兼人やマノエル・ド・オリヴェイラを思えば、まだ若い。
今回は撮影がクリストファー・ドイルが担当している。ウォン・カーウァイの「恋する惑星」や「ブエノスアイレス」を担当し、その後世界的に活躍している。非常に素晴らしい映像だと思う。アレハンドロの青年時代はアダン・ホドロフスキー(1979~)、父役はフロンティス・ホドロフスキー(1962~)で、どちらも監督の実の子どもたち。親子を演じているけど、15歳差だったのか。衣装デザインは監督夫人の「パスカル・モンタンドン=ホドロフスキーで、1972年生まれだから43歳差だからムガベ夫妻よりすごいではないか。こういう一家勢ぞろいの映画作りも前作と同様。「リアリティのダンス」の方が復活の驚きと映像美で感動は大きかったと思うけど、今回は今回で前衛的な青春映画の素晴らしさがある。
(主演のアダン・ホドロフスキー)