尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

大傑作映画、ラヴ・ディアス「立ち去った女」

2017年11月16日 22時53分35秒 |  〃  (新作外国映画)
 近年世界の映画祭を席巻しているフィリピン映画だけど、真打登場という感じで昨年のヴェネツィア映画祭金獅子賞、ラヴ・ディアス監督の「立ち去った女」が公開された。この監督の映画はやたらに長いことで知られ、この映画も3時間48分ある。これでも短い方だけど、それでも4時間近いとなかなか見れない。もう明日で東京のロードショーが終わるので見に行ったわけ。でもこれは驚くべき大傑作だった。方法においても、テーマ性においても、映像においても、真に驚くべき達成である。

 画面はモノクロで、たださえ夜のシーンが多いからほとんどが暗い。でも、だからこそ「光」と「影」が強調される。ほとんど(全部?)ワンシーン=ワンカットで、カメラは全然動かないで「世界」を見つめている。超ロング・ショットが延々と続くけど、全然飽きない。緊張に包まれて画面に見入られてしまう。娯楽的要素はないけれど、主人公の行く末に心奪われて、時間はあまり気にならない。(しかし、4時間近いともなれば、やっぱりトイレ休憩が欲しいけど。)

 ナレーションも字幕も一切ないから、何が起こっているのか最初はよく判らない。農園のような場所で、女性たちが働いている。元小学校教員の「ホラシア」はヒマなときに皆に勉強を教えて感謝されている。一体ここは何なんだと思うと、実は刑務所だった。子どももいるから、一種の隔離施設のような運用かなと思う。場所は明示されないけど、ミンダナオ島北部らしい。ある日、ホラシアは所長に呼ばれ、釈放が告げられる。無実が明らかになったのだ。真犯人は所内で友人だったペトラで、仕組んだのは以前の恋人だったロドリゴだという真相を明かす手紙を残していた。

 30年に及ぶ拘束が解かれて家に戻ったが、ホラシアの夫はすでに死亡し、長男は行方不明になっていた。長女が訪ねてきて一緒に住もうというが、ホラシアはいずれと言って去っていく。ある島に渡って「レナータ」「レティシア」と名乗って、ロドリゴを探ろうとする。しかし、有力者になっているロドリゴは常にボディガードを連れていて近づけない。そんな彼女の周りには、夜中までバロットを売っている男、少し気が触れている物乞いの女、トランスジェンダーの男(女)など、社会の底辺にいる人々が集ってくる。バロットって何だと思ったら、プログラムに「アヒルの卵」とあった。

 プログラムに石坂健治氏の解説があって、ラヴ・ディアスの映画を「スロー・シネマ」の系譜で捉えている。スロー・シネマとは、タルコフスキーやアンゲロプロスに起源を持つ、極端な長回しで世界を観察するようなアート・シネマのこと。劇的に物語を語るのではなく、観客もともに世界を追体験するような映画で、現代ではアピチャッポン・ウィーラセータクンやツァイ・ミンリャンなどが挙げられるという。そして、ディアスの映画は「スロー・シネマの美学を魔術的な境地にまで極めたもの」と書いている。

 非常に納得できる視点で、そのうえで彼は「魂の救済」と「歴史の再構築」をテーマとしているという。今までの映画には、もっと直接にフィリピンの歴史を再検証するようなものがあったというが、「立ち去った女」はあまり歴史に関わらない。それでも冒頭のラジオ音声で、1997年6月30日の香港返還の日だと告げている。フィリピンでは誘拐が多発し、社会的混乱が続いているとも。映画の中では「光」のあたる人物の周囲に「影」の存在があることがまさに映像で語られている。

 だけど、この映画の主たるテーマは「魂の救済」である。大体がトルストイの原作に基づくという。以前にはドストエフスキーの「罪と罰」を翻案している。ロドリゴは彼なりに苦しみ、神父に告解したいと述べる。神はいるのかとも聞く。彼女の方はバロット売りに頼んで密売銃を入手し、教会でロドリゴに近づくチャンスをうかがう。復讐を考えているわけだが、ある時はロドリゴの周りに子どもたちが集まったのを見て断念する。一方、トランスジェンダーの「ホランダ」は襲撃されて重傷を負い彼女が介抱することになる。生きている価値がないと思い、家族に迷惑を掛けずに死ぬためにこの島に来た。二人は次第に心を通わせるようになるが、そのことが思わぬ結末につながっていく。

 「立ち去った女」のすごさは、このようなストーリーやテーマを書いても伝わらない。ひたすら見続ける映像美、人間ドラマの奥に、何か壮大な「人類の救済」のような思いが立ち上がってくる。イラン映画の「セールスマン」やケン・ローチ監督の「わたしは、ダニエル・ブレイク」などの傑作のように、劇映画としての面白さは少ない。「ラ・ラ・ランド」のような弾むような映像でもない。だが、まぎれもなく「世界」に触れたという思いは圧倒的だ。たぶん、自分の今年のベストワン映画になると思う。

 ラヴ・ディアス(Lav Diaz 1958.12.30~)はミンダナオ島に生まれた。本名は「ラヴレンテ・インディコ・ディアス」。もう10本以上の監督作品があるが、当初は2時間程度の「普通」の劇映画を作っていたらしい。21世紀に入って長時間映画を発表し始める。最初が2001年の「あるフィリピン人家族の誕生」という5時間超の映画だという。日本では「蝶は記憶を持たない」(2009)が東京国際映画祭で上映されたのが初紹介。2013年の「北ー歴史の終わり」、2014年の「昔のはじまり」に続き、2016年には「痛ましき謎への子守唄」でベルリン映画祭銀熊賞を受けている。監督だけでなく、脚本、制作、撮影、編集、作曲などを一人でこなしてしまうという。すごい監督が出現したものだ。
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