尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

ジャン=ピエール・メルヴィルの映画

2017年11月11日 23時08分08秒 |  〃 (世界の映画監督)
 フランスの映画監督、ジャン=ピエール・メルヴィル(1917~1973)の生誕百年ということで、特集上映が行われている。またフィルムセンターでは「生誕100年 ジャン=ピエール・メルヴィル、暗黒映画の美」が行われている。それは見てないんだけど、ぴあフィルムフェスティバルでも特集され「影の軍隊」(1969)を見た。今回「仁義」(1970)、「いぬ」(1962)を見て、今までに「恐るべき子供たち」(1950)や「賭博師ボブ」(1955)、「サムライ」(1967)などを見ている。

 ジャン=ピエール・メルヴィルという人は、僕が映画を見始めたころには、フランスでスタイリッシュなギャング映画を作る監督というイメージだった。それに間違いはないけど、あまりにも厳しく暗い独特な世界に驚いてしまう。もともと世界でも珍しいインディペンデント映画作家だった。映画会社に雇われた監督が会社の撮影所で撮る時代に、自分でレジスタンス文学の傑作「海の沈黙」を映画化した。それがコクトーに評価され「恐るべき子供たち」の映画化を任される。

 後には「ヌーヴェルヴァーグの父」と言われたりするし、ゴダールの「勝手にしやがれ」に出演したりもしている。でもやっぱりメルヴィルと言えば、アラン・ドロンジャン=ポール・ベルモンドなどの大スターを使ったギャング映画だろう。「サムライ」はもちろん日本の「侍」から来ているが、孤高の暗殺者をドロンがスタイリッシュに演じて忘れがたい。後に与えた影響も大きいし、僕も前に二度見た。

 日本なら森一生監督が市川雷蔵主演で作った「ある殺し屋」シリーズ。あるいは香港のジョニー・トー監督の「冷たい雨に撃て!約束の銃弾を」など多くの作品などが似ている。クールで非情、感情を殺して任務としての殺人を果たしていく。内面の葛藤は描かれないので判らない。そういう映画だけど、メルヴィル(ちなみにこれはアメリカの作家メルヴィルから取った)の映画がどこから来たか。

 「影の軍隊」を見て、レジスタンス描写のあまりの苛烈さに衝撃を受けた。ドイツに対する抵抗伝説のような映画が多いが、戦争なんだから「殺し合い」だ。リーダーは部下を死地に追いやっても生き延びる必要があるし、裏切者は殺さなければならない。その非情な現実を一切のセンチメンタリズムなしに描いている。20代前半の若いメルヴィル(彼はユダヤ人だった)にとって、戦争がいかに厳しく辛いものだったか、胸に迫ってくるような「問題作」である。楽しいかというと、苦しいような映画。

 そういう体験をしたメルヴィルには、やがて若きヌーヴェルヴァーグ作家たちが否定する当時のフランスに多かった情緒的、感傷的な恋愛映画、文芸映画がまったく肌に合わなかったこともよく判る。彼の心を捉えたのは、40年代、50年代のアメリカで営々と作られていたギャング映画だった。それもB級映画にあるような、筋立ても破綻しているけど、ムードで見せてしまうような乾いたハードボイルド。フランスで「フィルム・ノワール」と命名される映画群である。

 「仁義」「いぬ」を見ていると、アメリカ映画的なムードを感じざるを得ない。フランスでこれほどピストルを撃ちまくるかどうかも疑問だが、「仁義」のドロンなんかアメリカ車を乗り回している。カラーだけど、ほとんど夜か雨のシーンで、まるでモノクロ映画の印象。「いぬ」はモノクロだから、メルヴィル美学が一番発揮されている気がする。トリュフォーやシャブロルが撮った犯罪映画は、やっぱりフランス映画だなという感じなのに対し、メルヴィル映画はフランス語をしゃべらなければアメリカ映画でも通じるんじゃないか。それぐらい乾いたタッチである。
 (「仁義」)
 もっとも見ていてよく判らない感じもする。名前がすぐに覚えられないし、誰が誰だか主役以外はこんがらがってくる。「仁義」も「いぬ」も犯罪者側と警察側を並行して描くが、それぞれ策略を弄するから筋立ても複雑になる。「仁義」はドロンの他、イヴ・モンタン、ジャン=マリア・ヴォロンテなど豪華な配役でフランスでは大ヒットしたという。「いぬ」はベルモンドが若々しく、誰が「いぬ=密告者」なのか緊迫してる。でもそれぞれ破滅に向かう物語で、ノワール映画は冷酷である。
コメント
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