尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

「他人の顔」と「燃えつきた地図」ー勅使河原宏監督の映画⑤

2021年06月17日 22時46分39秒 |  〃  (日本の映画監督)
 勅使河原宏監督には7本の長編劇映画があるが、今回頑張って全部見直したので書いてしまいたい。勅使河原宏は才能と環境に恵まれて、様々な業績を残した。その中で一番価値があると思われるのは、60年代に安部公房作品を続けて映画化したことだ。いずれも作家本人が脚色し、武満徹が音楽を担当した。武満徹の音楽は映像や脚本と同じぐらい印象的である。安部公房(1924~1993)は68歳で亡くなったためにノーベル文学賞を得られなかった。生前はその超現実的、SF的な設定で鋭く人間存在を追求する作品が世界的に評価されていた。

 安部公房と勅使河原宏は1950年に「世紀の会」というグループを結成したときからの仲間だった。62年の「おとし穴」(テレビドラマ)、64年の「砂の女」に続き、66年の「他人の顔」、68年の「燃えつきた地図」を映画化している。二人のコラボレーションは70年の大阪万博用に作られた「1日240時間」まで続いた。「砂の女」が間違いなく最高傑作だが、前に書いた。ここでは「他人の顔」と「燃えつきた地図」について書きたい。
(「他人の顔」)
 映画「他人の顔」は傑作だが、むしろ「怪作」と言うべきかもしれない。仲代達矢演じる化学会社の社員は、工場で爆発事故があり顔面全面に大ケガを負った。そのため顔を包帯で巻いて暮らしている。異様な姿なのだが、顔のケガが激しすぎて人目にさらしたくない。妻の京マチ子にも包帯姿で接している。精神的に不安定な仲代達矢は、平幹二朗の精神科医に通っていて、平はよく出来た仮面もあるという。仲代は樹脂製のマスクを顔に付けて、違う人格を持ったように感じる。仲代、平の戦後を代表する名優が丁々発止とやり合う場面は見応えがある。
(安部公房)
 磯崎新が加わった美術も素晴らしく、特に平幹二朗の病院は魅力的というよりホラー映画に出てきそうなキレイすぎて怖い病院である。「砂の女」だった岸田今日子が「看護婦」をしているのも怖い。この映画は最初はずいぶん前に見て、その「前衛」的作風、音楽や美術を含めて何という凄い映画だろうかと感心した。しかし、数年前に見直したら、何だか気持ち悪い映画だなあと思った。特に仲代が別の顔(それは仲代達矢の顔そのものだが)を持つことによって、別宅を用意して妻を「誘惑」するという展開が「」である。そこまで妻に執着するんなら、素顔をさらせないものか。別の顔を持てたのなら、違う女性を誘惑したくならないのか。
(マスク=仲代、奥の男=平)
 映画は基本的に小説と同じ設定だが、ラストが違っていると言う。(読んだのは大昔なので忘れたが。)いずれにせよ「大衆社会」の中でアイデンティティを失っていく個人を描いている。映画になった三作は安部公房の「失踪三部作」と呼ばれ、もっとも油が乗っていた時代の作品だ。ミステリアスな世界にたたずむ現代人。「本当の自分」とは何だろうか。映画には「ケロイドの女」(入江美樹)も登場する。長崎の被爆者と思われる設定。この女性の描き方を見ると、「他人の顔」は「ルッキズム」(外見にもとづく差別)を先駆的に考察している。妻役の京マチ子が新鮮、秘書役の村松英子、ヨーヨーに取り憑かれた管理人の娘市原悦子も見事。ビヤホール「ミュンヘン」で歌う女に前田美波里。そこの客として安部公房が写っている。キネ旬5位。
(仲代と京の夫婦)
 1968年の「燃えつきた地図」は勝新太郎主演の「前衛的」探偵映画という作りになっている。原作自体がミステリーとして書かれていて、基本的には原作の設定通り。勝新がはまり役かミスキャストかの判断が難しいが、出来映えは三作の中では低いだろう。でも、僕は原作も映画も好きなのである。キネ旬8位。興信所の調査員(勝新太郎)が失踪した男の調査を頼まれる。男が持っていたマッチをもとに「椿」という喫茶店を訪ねるが、店主の信欣三、店員の吉田日出子の対応は素っ気なく、何か怪しい感じ。出てみると、妻の弟という人物が待っている。依頼人(男の妻=市原悦子)は情報を隠しているようだ。
(「燃えつきた地図」)
 妻の弟はヤクザで、男の日記を持っているという。翌日日記を求めて付いていくと工事現場に連れて行かれる。そこで抗争が起こって弟は殺される。男が失踪当日の朝呼び出したという同僚田代(渥美清)とも会うが、何を言いたいのかよく判らない。ヌード写真を撮るという店に連れて行かれるが、情報は得られない。右往左往させられた挙げ句、田代はこれから自殺すると電話してくる。追っても追っても正体が判らない男を東京の外れを延々と探し回る。そのうちに探偵自身が自分のアイデンティティを失っていく。まあ筋があるような、ないような映画だが、当時の東京の描写が魅力的だ。まだ貧しさもあるが、「交通戦争」と呼ばれた時代だけに車が多い。
(勝新が東京を行く)
 勝新太郎は勅使河原宏の演出を見ていて、これなら自分も監督が出来ると思ったらしい。「我らの主役」というテレビドキュメンタリーでは「テシさん、テシさん」と呼んで私淑している様子が判る。そして現実に作った監督第1作「顔役」(1970)は確かに「燃えつきた地図」っぽい。カメラのアングルなど監督の好きなように回している。勅使河原はテレビ版「座頭市」も演出したとは知らなかった。「虹の旅」を見たが、中村鴈治郎、井川比佐志などが脇を締めて、勝新太郎の市は安定した面白さだった。もう一つの「夢の旅」こそ面白そうだったが見逃した。
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