尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ファーザー」、アンソニー・ホプキンス2度目のオスカー

2021年06月03日 22時31分00秒 |  〃  (新作外国映画)
 東京でも大型映画館の上映が再開されたので、今年度の米アカデミー賞主演男優賞アンソニー・ホプキンスが受賞した「ファーザー」を見てきた。さすがの名演だが、完全に「認知症映画」なので若い人受けはしないだろうなあ。原作があって、フランスの若き小説家、劇作家フロリアン・ゼレール(1979~)が2012年に発表した「Le Père」という戯曲である。この戯曲は評価が高く、フランスでモリエール賞を受賞し、世界45ヶ国で上演されたという。 日本でも2019年に上演されていて、主演は橋爪功だったと出ている。なるほどと思うキャスティングだ。

 映画は原作者のフロリアン・ゼレールが監督している。自身で映画化するに当たって、主演にアンソニー・ホプキンスを熱望し、舞台をパリからロンドンに移した。1988年に「危険な関係」でアカデミー賞脚色賞を受賞したイギリスの脚本家クリストファー・ハンプトンと共同で英語脚本に書き直し、二人でアカデミー賞脚色賞を受賞した。そういう作品だから、ほとんどは室内でドラマが進行する舞台劇のような作品になっている。しかし、そういう作りの問題ではなく、これが「老人の目から見た世界」なのかと見る者に気付かせるショックがある。

 アンソニー・ホプキンスは1937年12月31日生まれで、映画は本人に合わせて80歳という設定になっている。登場人物の名前もアンソニーである。娘のアンが世話しているが、昼間は介護士がいる。しかし、いつも揉めているようだ。アンはオリヴィア・コールマン(「女王陛下のお気に入り」でアカデミー賞)がやっている。初めはアンの映像からスタートするから、観客はアンソニーを「発見」することになる。元気そうだが、「時計を盗まれた」などという。その時計はアンが見つける。そういうシーンを見ていると、もう認知機能が衰えているがそれを自分で認められず、「他人のせい」としている段階だなと思う。
(父と娘と介護士)
 アンは交際相手がいるが、結婚するとパリに住むことになるという。週末は帰って来るが、介護士と揉める父をどうしたらいいかと悩んでいる。なんて話が進むが、翌朝になると知らない男が家にいる。誰かと問い詰めると、アンの夫だという。ではアンはどこにいるかと思うと、違う女になっている。アンの下に妹がいたはずだが、何故か現れない。なんだかミステリーではないか。と思うと、再びオリヴィア・コールマンがアンとして現れる。どこかに陰謀があるのではなく、不条理演劇でもなく、問題はアンソニーの認知能力の低下にあったことがはっきりしていく。

 今まで「突然他人が家に入り込む」という物語はかなりあった。それは「人間が入れ替わる」ミステリーだったり、宇宙人が人間を乗っ取るSFだったりした。あるいは世界の謎めいた仕組みを表わすような「不条理演劇」だったりした。最近昔のアメリカ映画「私の名前はジュリア・ロス」という映画を見たが、秘書の求人に応じて田舎の屋敷に行くと薬を飲まされて意識を失う。目覚めると、君は私の妻だが記憶喪失になってしまったと言われる。ジュリア・ロスのそこまでの暮らしが描かれているので、それは何らかの陰謀だと見ている人には判る。結局は「お約束」で合理的な解決が待っているが、これはサイコ・スリラーだった。
(フロリアン・ゼレール監督)
 ここで思ったのは、人生の晩年にやって来るのは「不条理演劇」だったのかということだ。突然知らない人が家族だと名乗るようなお芝居は安部公房とか別役実みたいだ。何かとんでもない陰謀に巻き込まれてしまったのか。周りの人間は泥棒ばかりで、自分が大切にしてきたものが一つ一つ盗まれていくのである。それが認知症の世界観なのかと何だか初めて気付いた気がした。

 アンソニー・ホプキンスは、そう言えば「日の名残り」や「ニクソン」でもアカデミー賞にノミネートされていた。しかし、何といってもハンニバル・レクター博士こそ生涯の代表作になってしまった。僕もまず「羊たちの沈黙」や「ハンニバル」を思い出してしまう。日本公開はもう30年も前になる。それが今になって、このような演技を見せてくれる。ラストは壮絶である。すごい役者だなあと感嘆する。でも、まああまり気分がよくなる映画ではないなあ。監督のフロリアン・ゼレールはフランスでは小説家としてまず有名になったらしい。翻訳はないようだが、是非読んでみたいと思った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする