尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

石井裕也監督「茜色に焼かれる」、尾野真千子渾身の問題作

2021年06月04日 22時17分56秒 | 映画 (新作日本映画)
 石井裕也監督・脚本・編集の映画「茜色に焼かれる」は間違いなく本年屈指の日本映画だ。田中良子役で主演する尾野真千子にとって生涯の代表作になるかもしれない。そのぐらい主人公の存在感は半端ないが、一体この主人公をどうとらえればいいのだろうか。傑作には「ああ傑作を見た」という満足感が残るが、「茜色に焼かれる」はそれよりもまず何か凄いエネルギーを感じる。簡単に評価を云々するよりも、日本社会のいまを生き生きと描き出した「問題作」だ。

 冒頭でオダギリジョーが自転車に乗っていると、元官僚の老人がブレーキとアクセルを踏み間違えて交差点に突っ込んでくる。かくして妻の田中良子尾野真千子)は子どもを抱えてシングルマザーとなった。そして7年。加害者はアルツハイマー病だとして逮捕もされず、最近死んだ。良子は葬式に出かけていき、迷惑だと追い返される。実は良子は事故の賠償金を受け取らなかったという。本人の謝罪がないのにお金だけ受け取るわけにはいかないと、自分なりに筋を通して生きてきた。そんな彼女の口癖は「まあ頑張りましょう」である。

 しかし、経営していたカフェはコロナ禍で閉店せざるを得ず、今はスーパーの中の花屋で働きながら、夜は風俗店でダブルワークせざるを得ない。死んだ夫が倒れて、病院代も良子が負担している。それどころか「トップの中のトップを目指す」が口癖だったロックシンガーの夫には愛人との間に子どもがあって、その養育費まで良子が出し続けている。中学生の子ども、純平(和田庵)はそんな母親が今ひとつ理解出来ない。なんで怒らずに笑って頑張りましょうと言ってるのか。学校でも何故か上級生が「母親が売春婦」と絡んできていじめられる始末。
(良子と純平)
 144分もある長い映画だが、見始めると展開に圧倒されて退屈するヒマもない。特に風俗店の同僚、25歳のケイ片山友希)が印象深い。ケイは糖尿病で幼い頃からインシュリンを自分で打ってる。そんな話をしていると、店長の中村(永瀬正敏)がケイはリスカしないからまだいいと言う。その日良子とケイは飲みに行ってお互いに心を開く。飲み過ぎて純平が呼ばれて、ケイに気に入られてしまう。ここまですべて、お金が掛かる出来事が起こったら字幕で「飲み代○○○○円」などと明示される。そんな時、中学時代の級友熊木と再会する。
(良子とケイ)
 こうして書いていても、もどかしい思いがする。不幸せな者がさらに不幸せになっていく。不幸せな者がバカにされているのに、怒ることすら出来ない。「まあ頑張りましょう」と作り笑いして生きるしかないのか。ラスト近くでそんな良子もついに爆発する。バカにされたと大声を挙げる。勝負服の赤を着て包丁を持って出掛けるから、純平も心配して後を付ける。仕方ないからケイさんを呼ぶと、思いがけぬ展開が待っている。不幸せな者に幸福は訪れず、しかし愛する息子のためにこれからも良子は「まあ頑張りましょう」と生きていくしかない。
(左端石井監督と出演者)
 良子も純平もケイも、「感動を貰える」なんてレベルを越えていて、イタい状況に見ている者も立ちすくむ。あまりのつらさを何とかこらえて、尾野真千子の膝がガクガクと震えている。それがこちらにも伝わって、見ていて思わず貧乏ゆすりをしてしまうぐらいだ。良子はかつて「アングラ演劇」で活躍していた女優だったが、売れないロックシンガーに恋してしまった。そしてダンナが不慮の死をとげるが、それもこれも「神様」は何を考えているのか。ラスト近くで突然良子は一人芝居をオンラインでやるといって「神様」という芝居を作った。純平には全然判らないが、そんな母が好きなのである。尾野真千子のド迫力にビックリ。今年の演技賞確実かと思う。

 石井裕也監督は「舟を編む」(2013)と「映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ」(2017)で2回キネマ旬報ベストワンになった。しかし、どちらも僕には今ひとつという感じだった。原作がある「舟を編む」や「ぼくたちの家族」(2014)はまだいいんだけど、監督自身がオリジナル脚本を書いた「川の底からこんにちは」(2009)や「映画 夜空はいつでも最高密度の青空だ」、「生きちゃった」(2020)なんかは、展開が急すぎて付いていけないことも多い。それを面白いと思えるか、理解出来ないと思うか。今度の「茜色に焼かれる」もトンデモ映画的展開ではあるが、尾野真千子の演技で納得感が大きくなっている。ラストの母子が自転車で「茜色に焼かれる」場面は思い出に残る。まさにコロナ禍の中に作られた映画として、是非見て置いて欲しい映画だ。
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