尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「利休」、権力者と文化人ー勅使河原宏監督の映画③

2021年06月11日 23時10分15秒 |  〃  (日本の映画監督)
 勅使河原宏監督は、1972年の「サマー・ソルジャー」で一端劇映画製作を離れる。1980年には草月流家元になったし、もう二度と映画は作らないのかと思っていたら、1989年に突然「利休」という大作を発表した。3年後の宮沢りえ主演の「豪姫」(1992)が最後の映画になった。どちらも戦国時代を舞台にした重厚な歴史劇である。同時代に見たのはこの2本だけである。今回「利休」を再見して、今もなお意味を持つ現代を描く映画だと思ってしまった。

 1989年には熊井啓監督の「千利休 本學坊遺文」も作られ、千利休(1522~1991)の競作となった。これは利休没後400年を控えて、茶道界の協力や盛り上がりがあったためである。勅使河原監督の「利休」は、野上弥生子秀吉と利休」の映画化で、モントリオール映画祭最優秀芸術貢献章キネ旬7位。一方「千利休 本學坊遺文」は井上靖本覚坊遺文」の映画化で、架空の弟子、本覚坊(映画化に際して本學坊に変更)の目から見た利休を描いた。ヴェネツィア映画祭銀獅子賞キネ旬3位。つまり「千利休」の方が「利休」より若干評価が高かったのである。

 当時の僕の評価も同じだった。「千利休」は熊井監督らしく内省的に問い詰めていく厳しさがテーマに合っていた。一方「利休」は登場人物のキャスティングを見ても、豪華絢爛たる戦国バロック。目指すべき地点が違っていて、まさに勅使河原宏らしい総合的芸術プロデューサーの作品なのである。撮影では実際に当時の茶器や掛け軸が使われ、俳優、スタッフの緊張感は大変なものだったという。大々的なセットに加えて、彦根城、三渓園、仁和寺などでロケされ、目で見る国宝みたいな映像。そこで「権力者と文化人」をめぐる深刻な葛藤が繰り広げられる。
(「黄金の茶室」の秀吉と利休)
 ここでちょっと両作のキャストを比較しておきたい。最初が「利休」で、( )内が「千利休」。
千利休三國連太郎(三船敏郎)、豊臣秀吉山崎努(芦田伸介)、織田信長松本幸四郎(現・松本白鴎)徳川家康中村吉右衛門北政所岸田今日子大政所北林谷栄豊臣秀長田村亮茶々(淀君)=山口小夜子石田三成坂東八十助(故・10代目坂東三津五郎)、古田織部嵐圭史(加藤剛)、細川忠興中村橋之助(現・中村芝翫)、古渓和尚財津一郎(東野栄治郎)、山上宗二井川比佐志(上条恒彦)、りき(利休夫人)=三田佳子…。

 信長、家康、秀長、北政所、淀君、三成などは「千利休」には出て来ないか、出ていても知名度のある俳優ではない。信長の弟の織田有楽斎は、「利休」では細川護熙がカメオ出演。この時点では熊本県知事で、セリフはない。「千利休」では萬屋錦之介が演じて、最後の映画出演の大役となっている。親王役で10代の中村獅童も出ている。歌舞伎界を中心に驚くべきオールスターキャストになっている。歴史上の重要人物を散りばめて、見事にまとまっている。名古屋の高校卒業の赤瀬川原平が脚本に参加、秀吉が妻や母親と名古屋弁でしゃべりまくるのがおかしい。また勅使河原映画の常だが、武満徹の音楽がとにかく素晴らしくて印象深い。
(「千利休」の三船敏郎と奥田瑛二)
 利休は秀吉に取りたてられ、権力者と上手くやっていたが、前田玄以と関係が悪くなる。小田原攻めを控えて、秀吉は伊達政宗取り込みに利休が必要だった。しかし、秀吉の勘気を被って小田原にいた元の弟子、山上宗二を秀吉に取りなすも、頑固な宗二は秀吉の怒りを買って惨殺される。見殺しにしたと非難する向きもありながら、秀吉とは上手く付き合っていたが、豊臣秀長の死後に次第に権力から遠ざけられていく。「唐御陣は明智攻めのようにはいくまい」とうっかりもらして、秀吉の怒りを買うことになる。そんな折に大徳寺山門の木像事件が利休の立場を悪くする。
(淀君の山口小夜子)
 この辺りは歴史上の通説に従って進んでいる。豊臣政権内で秀長=北政所=利休ラインから、淀君=石田三成ラインに権力が移り変わるわけである。そんな中、狭い茶室の中で、秀吉と利休が対決するラスト近くの緊迫感は見る者の心に強いインパクト残す。それは権力者に立ち向かう文化人の志である。「唐御陣」、つまりあの無謀な朝鮮侵略戦争は、多くの大名が内心反対なのに誰もが口をつぐんでいる。「明智攻め」は準備なく臨んで勝った、「唐御陣」は準備万端で臨むから勝つに決まっていると秀吉は言う。利休は「外(と)つ国のことでございますれば」と外国侵略であるから簡単にいくものではないと正論で立ち向かって敗れる。

 利休は敗れて、謝罪も拒否して死を賜る。この歴史解釈は不動の定説ではない。しかし、この映画を見ていると、そんなことはどうでもいいと思える。三國連太郎の覚悟を決めた姿に、今でも勇気を与えられる。これほど一身を賭して対外戦争に反対した人がいたことを誇りに思える。学術会議会員拒否問題を、新型コロナウイルス対策を、「集団的自衛権の部分的解禁」を…思わずにはいられない。残念なことに、今も「利休」という映画のテーマが過去のものになっていない。現代の問題意識につながっている。思えば、2022年は千利休生誕500年だ。来年は「アートの力」を再確認するためにも、この映画をデジタル化して大々的に上映して欲しいと思う。
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