2月に一番大きく報じられた訃報は、石牟礼道子だった。10日没、90歳。もちろん読んではいたから、その時に追悼を書こうかとも思ったが、実はもう何十年も読んでない。若いころに読んだのである。その頃は「苦界浄土」で大宅壮一賞を辞退した社会派ノンフィクション作家だと思っていた。僕も「水俣病問題」を知りたいと思って読んだ。東京のあちこちで「怨」の旗を掲げた患者さんたちの姿が見られた時代である。僕は土本典昭の映画「水俣」や「不知火海」など見たから、評判の「苦界浄土」も読もうと思ったわけだが、その時は正直言ってよく判らなかった。
(2枚目は若いころ)
50年代後半に谷川雁が主宰する雑誌「サークル村」に参加。そこには森崎和江、上野英信などもいた。僕は70年代から80年代に「天の魚」「椿の海の記」「西南役伝説」などを読んだ。しかし、最近は「読みにくさ」と同時に「伝説化」も進み、少し敬遠していた。だから訃報があまりにも大きく伝えられたのに驚いた。伊藤比呂美によれば、「苦界浄土」は「日本語が、現代文学の中で、どこまで行けるかよくわかる。その先に大きな穴がぽっかり空いていて、その先が世界文学につながっているのもわかる。」(朝日新聞、3.4)うーん、現代文学の最先端だったのか。
小川紳介の記録映画「三里塚・辺田」を見た時に、成田空港反対闘争の「最前衛」を闘う人々の家に「御真影」が掲げられてあったので僕は衝撃を受けた。石牟礼道子が晩年に皇后と親しく接した経緯は僕はよく知らないけど、「近代」の奥深くに沈んでいた日本社会の底には「世界」にもつながれば、「前近代」に通じる回路もあったということか。日本の基底にある「共同体」から発せられた「文学」だったのだろうか。石牟礼道子を「世界文学」として読み直さないといけないなあとも思う。ところで、映画「水俣の甘夏」を見て、職場に甘夏を取り寄せて売ったりしたことを思い出した。石牟礼文学もいいけど、土本典昭の映画も忘れないでいて欲しいと思う。
俳人の金子兜太(かねこ・とうた)が20日に死去、98歳。僕はあまり現代の俳句を知らないけど、東京新聞で「平和の俳句」という企画をしていて、金子兜太も当初の選者だったのでよく読んではいた。それにしても東京や朝日が訃報を大きく報道したのに驚いた。そんなエライ人だったのか。(まあ、読売や産経がどの程度だったかは知らないが。)訃報を読むと、戦後日本を代表する前衛俳句運動の中心者だったという。一方で一茶や山頭火を研究し、「お~いお茶」の俳句大賞などにも関わった。1943年に日銀に入行し定年まで勤めたという。

代表句を紹介すると、「朝はじまる海へと突込む鷗の死」「彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン」「暗黒や関東平野に火事一つ」「春落日しかし日暮れを急がない」…。うーん、判る気もするが判らないとも言える。俳句にも社会性が必要と主張し、戦争体験者として平和を訴え続けたという。安保法制反対運動の時に「アベ政治を許さない」というプラカードをよく見たが、あの字はこの人の書いたものだった。実は僕は訃報でそのことを知ったのだが、「アベ政治」は詩的表現ではないだろうと思う。ところで時事通信社が19日に確認不十分で訃報を伝えて、その後出勤停止処分を受けた。でも翌日にホンモノの訃報があった。なんだか正しかった気もした。
ノンフィクション作家の伊佐千尋が死去、2月3日、88歳。もう忘れられているかもしれないが、1978年に大宅壮一賞を受けた「逆転」の著者。米軍統治下の沖縄で刑事裁判の陪審員を務めた経験を書いたものである。それは冤罪事件で、無罪評決を出した。それを機に実業家から著述業に転じた。沖縄の問題や島田事件、布川事件などの冤罪問題の本が多いが、それと同じぐらい趣味のゴルフの本がある。また晩年には裁判員制度の批判もしている。戦前日本にあった陪審制度の復活の方がいいという主張のようで、僕も同感だ。

教育学者、科学史家の板倉聖宣(いたくら・きよのぶ)が7日に死去、87歳。小さな訃報だったが、戦後教育の中で非常に重要な人だった。「仮設実験授業」を唱えて教育の改善を主張し、数学者の遠山啓と雑誌「ひと」を、また自ら雑誌「楽しい授業」を創刊した。ものすごくたくさんの著書があるが、理科の教育法が中心だったから、僕はほとんど読んでない。そんな中で、科学や統計の方法を歴史の応用したような本もかなりあって、僕も読んだことがある。面白くて判りやすい教材開発、その方法論の研究という意味で、大事だったと思う。
・古在由秀、5日、89歳。天体力学の専門家で、初代国立天文台長。文化功労者。
・伊達治一郎、20日、66歳。モントリオール五輪でレスリングフリースタイルで金メダルを取った。もう覚えていないけど、大相撲の武蔵丸が入門する橋渡しをしたと出ている。
・谷田利景、20日、91歳。ポッカの元社長で、缶コーヒーを作った人である。その前にレモン果汁を合成で製造し、「ポッカレモン」として評判を呼んだ。戦後日本には、そういう新製品を作り出した巨人がいるが、その一人である。
・ビリー・グラハム、21日没、99歳。アメリカの福音主義キリスト教会の「テレビ伝道師」として、ものすごく有名な人だった。現代アメリカの「保守」の本家のような人で、政治的影響力はものすごく大きかったと言われる。
(ビリー・グラハム師)


50年代後半に谷川雁が主宰する雑誌「サークル村」に参加。そこには森崎和江、上野英信などもいた。僕は70年代から80年代に「天の魚」「椿の海の記」「西南役伝説」などを読んだ。しかし、最近は「読みにくさ」と同時に「伝説化」も進み、少し敬遠していた。だから訃報があまりにも大きく伝えられたのに驚いた。伊藤比呂美によれば、「苦界浄土」は「日本語が、現代文学の中で、どこまで行けるかよくわかる。その先に大きな穴がぽっかり空いていて、その先が世界文学につながっているのもわかる。」(朝日新聞、3.4)うーん、現代文学の最先端だったのか。
小川紳介の記録映画「三里塚・辺田」を見た時に、成田空港反対闘争の「最前衛」を闘う人々の家に「御真影」が掲げられてあったので僕は衝撃を受けた。石牟礼道子が晩年に皇后と親しく接した経緯は僕はよく知らないけど、「近代」の奥深くに沈んでいた日本社会の底には「世界」にもつながれば、「前近代」に通じる回路もあったということか。日本の基底にある「共同体」から発せられた「文学」だったのだろうか。石牟礼道子を「世界文学」として読み直さないといけないなあとも思う。ところで、映画「水俣の甘夏」を見て、職場に甘夏を取り寄せて売ったりしたことを思い出した。石牟礼文学もいいけど、土本典昭の映画も忘れないでいて欲しいと思う。
俳人の金子兜太(かねこ・とうた)が20日に死去、98歳。僕はあまり現代の俳句を知らないけど、東京新聞で「平和の俳句」という企画をしていて、金子兜太も当初の選者だったのでよく読んではいた。それにしても東京や朝日が訃報を大きく報道したのに驚いた。そんなエライ人だったのか。(まあ、読売や産経がどの程度だったかは知らないが。)訃報を読むと、戦後日本を代表する前衛俳句運動の中心者だったという。一方で一茶や山頭火を研究し、「お~いお茶」の俳句大賞などにも関わった。1943年に日銀に入行し定年まで勤めたという。

代表句を紹介すると、「朝はじまる海へと突込む鷗の死」「彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン」「暗黒や関東平野に火事一つ」「春落日しかし日暮れを急がない」…。うーん、判る気もするが判らないとも言える。俳句にも社会性が必要と主張し、戦争体験者として平和を訴え続けたという。安保法制反対運動の時に「アベ政治を許さない」というプラカードをよく見たが、あの字はこの人の書いたものだった。実は僕は訃報でそのことを知ったのだが、「アベ政治」は詩的表現ではないだろうと思う。ところで時事通信社が19日に確認不十分で訃報を伝えて、その後出勤停止処分を受けた。でも翌日にホンモノの訃報があった。なんだか正しかった気もした。
ノンフィクション作家の伊佐千尋が死去、2月3日、88歳。もう忘れられているかもしれないが、1978年に大宅壮一賞を受けた「逆転」の著者。米軍統治下の沖縄で刑事裁判の陪審員を務めた経験を書いたものである。それは冤罪事件で、無罪評決を出した。それを機に実業家から著述業に転じた。沖縄の問題や島田事件、布川事件などの冤罪問題の本が多いが、それと同じぐらい趣味のゴルフの本がある。また晩年には裁判員制度の批判もしている。戦前日本にあった陪審制度の復活の方がいいという主張のようで、僕も同感だ。

教育学者、科学史家の板倉聖宣(いたくら・きよのぶ)が7日に死去、87歳。小さな訃報だったが、戦後教育の中で非常に重要な人だった。「仮設実験授業」を唱えて教育の改善を主張し、数学者の遠山啓と雑誌「ひと」を、また自ら雑誌「楽しい授業」を創刊した。ものすごくたくさんの著書があるが、理科の教育法が中心だったから、僕はほとんど読んでない。そんな中で、科学や統計の方法を歴史の応用したような本もかなりあって、僕も読んだことがある。面白くて判りやすい教材開発、その方法論の研究という意味で、大事だったと思う。
・古在由秀、5日、89歳。天体力学の専門家で、初代国立天文台長。文化功労者。
・伊達治一郎、20日、66歳。モントリオール五輪でレスリングフリースタイルで金メダルを取った。もう覚えていないけど、大相撲の武蔵丸が入門する橋渡しをしたと出ている。
・谷田利景、20日、91歳。ポッカの元社長で、缶コーヒーを作った人である。その前にレモン果汁を合成で製造し、「ポッカレモン」として評判を呼んだ。戦後日本には、そういう新製品を作り出した巨人がいるが、その一人である。
・ビリー・グラハム、21日没、99歳。アメリカの福音主義キリスト教会の「テレビ伝道師」として、ものすごく有名な人だった。現代アメリカの「保守」の本家のような人で、政治的影響力はものすごく大きかったと言われる。
