尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

映画「ロープ 戦場の生命線」は拾い物

2018年03月03日 21時08分30秒 |  〃  (新作外国映画)
 1995年、バルカン半島のどこか。(というか、明らかにボスニア戦争が舞台だが。)村人の生活用水である井戸が、死体が投げ込まれたため使えない。井戸を降りてロープで死体を縛り、車で引き上げようと頑張っているのは、「国境なき水と衛生管理団」である。しかし、ロープが頼りない。だんだん擦り切れて、ついに切れてしまう。もう一本別のロープを探すが、村人は誰も持ってない。

 「ロープ 戦場の生命線」という映画は、そんな不条理な設定に向き合う。ボスニア戦争はもう何度も映画化されてきたが、この映画はNGOの活動を中心に描く。その新鮮な切り口が面白い。案外な拾い物で、見て欲しい映画。「水と衛生」という団体はなく、「国境なき医師団」のことだろう。スペイン人の医者が書いた原作の映画化だから、スペイン映画なのである。

 主演の二人はベニチオ・デル・トロティム・ロビンス。国際的キャスティングだが、それは国際NGOだから当然。メンバー間は英語でコミュニケーションしている。さて、新人女性スタッフを連れてその村に向かうもう一台の車がある。ところが道の真ん中に牛の死体がある。それは死体を避けてどっちかを通ると、そこに地雷があるということだ。どうすればいい。右か左か。

 もう圧倒的に、訳が分からない状況だ。誰が何のために地雷を埋めたか、誰が死体を井戸に投げ込んだか。ロープなんか、どの家にもあるだろうし、農村なんだから店に行けば売ってくれるだろう。でも誰もがないと言い、店でも売ってくれない。二人は新人女性(メラニー・ティエリー)と通訳を連れ、ロープを探しに行く。途中でサッカーボールを探す少年を助け、彼の家で衝撃的な事実を知るが、サッカーボールとロープは何とか入手する。

 その後、デル・トロと過去に訳ありらしき国連女性カティヤ(オルガ・キュリレンコ)を加え、村に戻ろうとするが…。もう難問に次ぐ難問の続出で、ついには野営。なんとか翌日村には着くけど。この映画は戦場とはこういうものだという、ありえないような状況で活躍する人々を描く。だけど、ヒーローとしてではなく、むしろブラックユーモアの色が濃い。新人のフランス人女性は、まだ理想に燃えている。だが、現地の人々だけでなく、国連などの官僚的対応にだんだん擦り切れていく。

 オルガ・キュリレンコ演じる女性官僚は、そんな過酷な現場に「過剰適応」するメンバーを「適切に評価」して故国に返す役を担っている。過酷であればあるほど、逃げ出す人もいるだろうが、そんな過酷さをタフに生き延び、そこから抜けられなくなって日常生活に不適応になる人がいる。土日も熱心に部活をやって、ついには勝利優先で生徒に体罰をしてしまう「熱血教師」みたいなタイプだ。そうなる前に帰国を促す役割の人がいるのか。

 国連はPKOの実働部隊を持つが、NGOは身一つで動き回る。そのような「援助」の体を張った危険な世界、と同時に非日常の連続からくる高揚感。そんな世界をこの映画はうまく描いていると思う。戦争をもとに立ち現れた日常的な「暴力」も見つめている。この異常な世界は、いまもシリアなどで続いている。だが、何も戦場というだけでなく、「支配」の仕組みは世界で共通である。

 スペインのフェランド・レオン・デ・アラノア監督作品。スペインのアカデミー賞に当たるゴヤ賞で脚色賞。で、井戸の死体はどうなったか。不条理とブラックユーモアは最後のシーンまで見逃せない。原題の「A PERFECT DAY」の意味がラストを見た時に判る。
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