尾形修一の紫陽花(あじさい)通信

教員免許更新制に反対して2011年3月、都立高教員を退職。教育や政治、映画や本を中心に思うことを発信していきます。

淡谷のり子と「Sing a Song」

2018年03月26日 21時35分42秒 | 演劇
 戦前から戦後にかけての大人気歌手だった淡谷のり子の戦時中を描く「Sing a Song」という劇を25日に見た。トム・プロジェクトのプロデュースで、もともと2月に本多劇場で公演された。その後全国を周った後で、葛飾区のかめありリリオホールで最終公演があった。そっちの方が家に近いから、そこで見ることにした。劇では「三上あい子」となってるけど、「ブルースの女王」と呼ばれ「別れのブルース」が大ヒットしたというんだから、淡谷のり子そのものである。

 もっとも淡谷のり子と言っても、僕の世代でも名前ぐらいしか知らない。1907年に生まれて、1999年に亡くなるが、晩年になってもテレビで毒舌が有名だった。そういう「元気なおばあちゃん」キャラでは知ってるけど、戦時中のことなどほとんど知らない。反戦平和の意識を強く持っていたことは有名だったけど、戦時中にしぼってドラマ化したのがこの劇である。
 (淡谷のり子)
 日中戦争が激しくなり、「ぜいたくは敵だ」の時代になってくる。ジャズやシャンソンなど外国の歌も歌うなと言われる。そんな時代に三谷あい子は、化粧をしてドレスを着て舞台に立ち続ける。ドレスが私の戦闘服であり、モンペで歌っても客が喜ばないと言い放つ。禁止された「別れのブルース」も歌ってしまい、憲兵隊に呼びつけられる。そこでお国のために活動せよと言われ、戦地慰問を命じられるが、三谷あい子は無償で(軍からお金を受け取らずに)行うと主張した。

 そんなあい子が戦地をめぐりながら何を見て、何を感じたか。はるばるとセレベス島のマカッサルまで行くと、豪快な長内司令官は兵隊のために何でも歌ってくれという。付き添う憲兵は反対するが…。そして昭和20年、もう戦局が悪化した中で、どうしてもまた行って欲しいと頼まれる。長内のたっての望みで訪れたのは、鹿児島の特攻基地だった。ここはどうしても、泣けてしまう。あんな愚劣な作戦を命じられた若者たちを前に三谷は何を歌うのか。

 三谷あい子のあり方はほぼ淡谷のり子の実話らしい。ウィキペディアを見ると、英米の捕虜がいるところに行ったときは日本兵に背を向けて、英語で歌ったと書いてあるから、並の人にはできないことだろう。始末書で済めばそれでいい。そう割り切って、自分の歌を歌い続けた。人を死に追いやる歌は歌じゃない。私は軍歌は歌わない。堂々とそう言い切って、恋愛の歌を歌った。こういう「骨のある人物」がいまこそ必要なんじゃないか。

 三上あい子役は戸田恵子。声量豊かでいいんだけど、再演の機会があればもっと淡谷のり子っぽくなるかもしれない。マネージャー役が大和田獏、長内司令官役の鳥山昌克が熱演だった。作は劇団チョコレートケーキの古川健、演出は日澤雄介。さらに練り上げた再演を期待。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする